僕がサウスウェールズで育った子供の頃、かなり孤立していて、完全に文化的に隔絶されていたので、ポップミュージック以外には、他の考え方や人間としてのあり方に出会うことはなかった。家に本はなかったし、家の中では誰もそんな話をしてくれなかった。学校でも僕の周りにあった労働者階級のトーリーの考えや価値観に挑戦するようなものは何も得られなかったんだ。
僕にとってより挑戦的な音楽に対する魅力は、ビートルズの音楽的発展によって浸透していって、僕はビートルズを慕って追いかけ、人として彼らのすべてを知りたいと思った。ビートルズが (Love Me Do )をやった3年後に彼らがティモシーリアリーやエジプトの死者の書、マハリシなどの話をしていたことをいつも思い出すよ。
ビートルズに夢中になっていた9歳の少年にとって、それは重要なことだった。(ラブ ミー ドゥ)の3年後にビートルズがあれだけのことをやっていたことを、熱心な小学生がどう評価しただろう?僕が思うに、僕のアイデアに対する欲求に対しての彼らの影響力は計り知れない。とても計り知れないものだった
ポールマッカートニーはアルバム(Ram)を出した時にたくさん批判された事が、ここで僕がこの曲を選んだ理由の一つなんだけど、(Ram)は素晴らしいポップレコードで、(The Back Seat Of My Car )は素晴らしい聴きどころだよ。メロディ的にかなり絶妙で、ハーモニー的には コードの変化、アレンジ、オーケストレーションで聴きどころがある。。。。つまり、本当に何がいけないんだろうね?この曲は僕が(ホワイト・ブレッド・ポップ)と呼んでいるもののほぼ完璧な例になるんだ。そういう(ホワイト・ブレッド・ポップ)といえば、マッカートニーとブライアンウィルソンがその項目を書いた。それについての本は彼らが書いたんだよ。
僕のソングライトにとって基盤となっているのは、マッカートニーのメロディックでハーモニックな感性なんだ。(ジョンは反抗的で、マッカートニーはソップだった。)なんていう馬鹿げた説を信じたことはなかったよ。だってⒶの部分には興味がなかったし、Ⓑの部分にはまったく信じられる部分が無いからね。(ラム)は素晴らしいポップアルバムだよ。信じられないポップレコードなんだ。歌詞を聞いているとひるんでしまうところもあるけど、ポップミュージックなんだからそれでいいんだよ。
僕はここでビートルズの曲を選ぶことも出来ただろうけど、その場合でもおそらくマッカートニー・ビートルズの曲になっていただろうね。いずれにしろ僕や僕の年代の人たちにとっては、すべてはビートルズから始まったんだ。なぜなら音楽の精神的な力はビートルズによって解き放たれたんだからね。
ピッチフォーク2011
https://www.youtube.com/watch?v=QmI5AKcgMTs
https://www.youtube.com/watch?v=teHqHmnXnhE
https://www.youtube.com/watch?v=xq_hYMtCBA8
https://www.youtube.com/watch?v=BPDAIrXyTDU
https://www.youtube.com/watch?v=SZRq91qsJbk
https://www.youtube.com/watch?v=70m6RJEVs-8
https://www.youtube.com/watch?v=g1HkOyXPysU
ビートルズカヴァー
https://www.youtube.com/watch?v=SYykQKHFA58