ドンウォズ(著名プロデューサー、ブルーノートの社長 バックビートの音楽プロデューサー) | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

追記します。

 

            テープop 2016

 

◎あなたがアーティストだった事を除いたとしたら、あなたをプロデューサーにしたきっかけは何でしたか?

 

 

  えーと。君はジョージマーティンとザ ビートルズがレコーディングプロセスのある一つの方法を作った事に対して感謝することが出来る筈だ。レスポールみたいなたくさんの人たちもより早くそういった事をした。だけど、ザ ビートルズは僕に直接話しかける様なやり方でそれをした。僕はプロデュースされた音楽の価値に気が付いたんだ。

 

 

 

           アップルミュージック ディスカヴァーミュージック   2023

 

  私はずっとボブ ディランをプロデュースしたいと思っていた。1989年に遂にその願いが叶って、スタジオで彼のプロデュースを手掛けていた時、ジョージ ハリスンが曲の中でギターソロを演奏するためにスタジオ入りしたんだが、ボブが彼にちょっかい出し始めた。ボブはエンジニアのエド チャーニーを席から外させ、その椅子に座り、リモコンを操作していた。それを見たジョージ ハリスンから、(俺はワンテイクで録って、それで終わらせる。やり直しはない)と言われたので、私は、(わかりました。もちろん、それで問題ありません)と答えた。それを聞いたボブももちろんそれに同意した。でもその時のジョージはまだチューニングもできていないし、曲を聴いてもいない。曲のキーすら知らなかった。ボブはソロパートを早送りしてからすぐに(よしやろう)とばかりに、そのまま録音に入ってしまった。そこでジョージはようやくキーを把握した。あの時の状況からすれば、それは立派な努力だったが、それは決して私たちがジョージ ハリスンに望んでいたソロ演奏ではなかった。

 

 

  ソロを録り終えたボブは、マシンを止めて(オーケー、素晴らしかった。ありがとうな)と言った。ジョージ ハリスンは私の方を向いて、(助けてくれ、ドン。どう思う?)と訊いてきた。ボブも(ああ、君はどう思う?)と私の方を見た。部屋全体がエコーで溶けていくような、時間がゆっくり流れているような感じがした。バングラデシュ コンサートを見に行くために、車を売ってチケットを手に入れようとした時のことがフラッシュバックした。ジョージとボブが、私の3フィート先にいて、(どう思う?)と問いかけている。私はこんなにも厳しい状況に追い込まれている。ありがたいことに、その時、私の頭の中に声が響いてきて、(彼は君にファンでいるためにお金を払っているわけじゃない。)と言われた。私は(わかった。ここで本当のことを言わなければならない)と思った。そうして、(よかったです。でも、チューニングしてから、もう1度やってみましょう。すごくいいものが録れるかもしれない。)と言ったんだ。それを聞いたジョージは(ありがとう)といった感じだった。おそらくその時、ボブのテストに合格したんだと思う。でも、あれは極めて重要な瞬間だった。私はファンでいるためでなく、仕事をするためにお金をもらっているんだと気づいたんだよ。

 

 


           ベースプレイヤー   


◎(ビートルズトリビュートライブでポールマッカートニーの後ろでベースを弾いたことに対して。。。)貴方のポールマッカートニーのベースラインに対するアプローチはどのようなものでしたか?貴方はそれをどのように演奏で再生させましたか?



 僕がポールマッカートニーのベースパートの本質のエキスを摂取することが避けられないのは分かっていました。なぜなら彼のベース演奏はとても革新的で影響力があったからです。彼はロックンローラーでベースプレイヤーとしてはジェームスジェマーソンと並ぶプレイヤーです。信じられないようなメロディックなリードライン。ローエンドでの演奏。彼は複雑なシンコペーションをもつ打楽器奏者としても機能していたんです。彼の演奏を前にして僕が紳士的に軽い演奏をすることはまるでマスターベーションの様でとても失礼な事だと思っていました。


 他のベースプレイヤーはとても多くを彼に負っているところがあるのです。そして、彼の後ろで演奏する事はむしろ言葉以上に私が控えめに彼に対して感謝を表明できる人生で一度きりの機会でした。

 

 

 だから僕は(コンサートの前に)ポールマッカートニーの演奏に夢中になりました。僕はマルチトラックレコーダーを手に入れると、ベースだけの音を取り出して、(マッカートニーベース学校)に通いました。それから、彼のベース無しの音楽を流すんです。そしてベッドルームに座って、ビートルズを徹夜で演奏しました。それはまるでかつて僕がちょうど14歳の頃にやっていたみたいに。それはとても楽しくてとてもインスピレーションを受けた時間でした。僕が最終的な結論として思った事はポールマッカートニーはまったくの天才ベースプレイヤーだという事です。



◎あなたはプレシジションベースでポールのザ ビートルズのベースサウンドをカバーするにあたり、何か特別なトーンかテクニックを使いましたか?



 そこには唯一のポールマッカートニーの演奏があります。たとえ同じ楽器や機材を使ったとしても誰も彼の様に演奏出来ないし、彼の様な音を出せないのです。だからホフナーを持つことや、彼のトーンを模倣することは負け試合をする様なものでした。つまりそれはテレビ放送の為にビートルズのかつらをつけて演奏するようなものです。

 

 

 

 僕はかつてポールのベース演奏の本質を蒸留して反芻し、その後、出来る限り僕の演奏を改善させていました。ポールは誰よりも上手に楽曲を演奏出来ました。僕は彼が(I Saw Her Standing There)を演奏しているのを見た事があります。ベースパートで8分音符をはずすことなく、シンコペーションのメロディーを歌っていました。それは僕を興奮させました。彼以外の誰がヴォーカルの側面とベース演奏の側面をそれぞれに独立させてこれほど発展させることが出来、それぞれのパートを輝かせることが出来ましたか?

 

 

 


◎ポールは貴方のベース演奏について何か言いましたか?


 僕とポールはちょっとぶらぶらして、二、三の本当に楽しい会話を交わしました。僕らはたくさんベースについての話をしました。僕が彼の輝かしい業績をまるでファンみたいに彼に話してなかったなら良いんですけど。。

 

 

  僕は彼と話をした時に彼とは異なった感覚を得ました。彼はそれほど彼自身のミュージシャンシップについて感動していないように感じました。しかし、僕は彼のミュージシャンシップはクールで賞賛に値するものだと思っています。彼は確かに彼の音楽に対する世界的な熱狂やインパクトに気づいてはいますが、彼の視点はもちろん、彼が実際にはハリケーンの目の中に居たという現実によって着色されています。そして、すべての熱狂を通した後の彼の謙遜は彼の音楽的な成果と同じぐらいのインスピレーションを与えてくれます。

 

 

 

 


 僕はポールマッカートニーのベースパートを正確に憶える為にハードに演奏したよ。それらをきちんと憶える為にね。彼のベースパートだけを抜き出したりさえもした。そういった演奏、たとえば(サムシング)のベースパートはまるでモーツァルトみたいなものだ。ポールマッカートニーは天才ベースプレイヤーなんだよ。

 

 

 

 もう一度改めて彼の演奏に触れたことで僕は彼に対する新発見の尊敬の念を持つことになった。そして、以前にも多くの尊敬の念を持っていたんだ。僕が取り出した彼のベースパートを聴いて、僕はぶっ飛ばされたよ。僕はいくつかそういったベースパートに挑戦して、いくつかは手に入れることが出来なかった。(ヘイブルドッグ)の様な演奏もそうだよ。彼がやった演奏は何でも完全に理解する事なんて出来ないよ。ワイルドなベースラインだから。まるでジャズみたいなんだ。

 

 

 



        

   1952年米デトロイト生まれ、音楽家・プロデューサー。79年に結成したバンドWas(Not Was)でベーシストとして80~90年代にかけて活動する傍ら、プロデューサーとしてザ・ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランほか数多くの大物ミュージシャンの作品を手がけてきた。2012年1月にBlue Note Recordsの社長に就任。



 ブルーノートレコードの社長職を2012年にもらったときまで、自分も大手レコード会社は邪悪な帝国だと思ってたよ。レコード会社の連中といえば、音楽をダメにする盗人だってね。でも、いざこうしてなかに入ってみると必ずしもそうでないことがわかった。音楽に造詣が深く、ものすごい献身とピュアな愛情をもって音楽をつくってる連中がたくさんいるんだ。こないだカントリー歌手のマールハガードと契約をしに行ったら「レコード会社の連中はとにかくアンフェアだ」と言われたんだけれど、ぼくは「そうじゃないレコード会社もありうるんです」と答えたよ。


 昔のレコード会社を考えてみなよ。アトランティックレコード創始者のアーメットアーティガン、アイランドレコードのクリスブラックウェル、ブルーノートレコードのアルフレッドライオン。いいレコード会社は、みんないいレコードのつくり方を知っている音楽好きがやっていた。それが90年代から営業の連中が会社を回すようになり、2000年代になると金融屋がやってきてますますレコード会社をダメにしたんだ。EMIは、去年までシティバンクが保有していたけれどもとっとと手を引いて、いまはユニバーサルミュージックの傘下になっている。どういうことかというと、金融屋や銀行屋は「リスク」ってものが理解できないんだ。


 音楽ってのは、そもそもがギャンブルなんだ。「結果はわからないけど、面白いからやってみよう」。そうやって音楽は領域を拡大し、進化を遂げてきた。レコードマンっていうのは、自分の本能と愛情と献身と責任において新しい音楽を生み出してきたわけで、いま音楽業界はそういう人たちの手にもう一度戻ってきているんだと思う。ブルーノートは巨大なグローバル企業の傘下にいるけれども、経営における精神はアントレプレナーのそれだよ。


 創始者のアルフレッドライオンが1939年に書いたステイトメントが残っている。彼はそこでブルーノートのミッションを「オーセンティックな音楽を世に送り出すこと」と書いている。ぼくが21世紀のいまブルーノートにおいてやるべきは、まさにそれだと思う。60年代の音楽を再生産することじゃなくてね。そうやって果敢に新しいチャレンジをしたおかげか、2012年の売り上げは前年比で60%も伸びたんだ。

 
 Spotifyといった新しいデジタルサーヴィスが出てきたことにはいい面と、特に財政面ではよくない面もあるけれど、新しい環境に適応するためにできることはすべてやるつもりだよ。ただ、状況がどんなに変わっても、いい音楽をつくるというミッションを忘れたら何の意味もない。人生の一部として深く音楽を求めてる人がいるということを信じて、その人たちにちゃんと届くようにあらゆる手を尽くすのがレコード会社の仕事だと思っている。


 プロデューサーの仕事を30年以上にわたってやってきて思うのは、ぼくら裏方の仕事はあくまでもアーティストのヴィジョンを最大限に具現化することなんだ。アーティストは言うなれば雷に打たれるのを待っている凧で、ぼくら裏方はそれがあらぬ方向に飛んでいってしまわないよう地面で糸を持っている人。いつだか、ボブディランに訊いたことがある。「どうやったら『エデンの門』みたいな歌詞を書けるんだ?」って。ボブは「自分が書いたんじゃない。オレはノートに鉛筆を走らせただけだよ」って言うんだ。音楽や詞は彼らのなかから出てくるんじゃない。外からやってきて彼らを通り抜けてこの世に具現化するんだ。キースリチャーズも、ウィリーネルソンもみんなそう言うよ。ぼくらにとって悩ましいのはその「雷」がいつどんなふうにやってくるかがわからないってところで、音楽の仕事は結局毎日がファッキンミステリーなんだよ。銀行屋にはとうてい理解不能だと思うよ。


 音楽で大儲けできる時代は終わったのかもしれないとは思う。そこで生き残っていくためには経営をヘルシーにして、無駄なお金を使わないようにしなきゃいけない。昔のレコード会社ときたら、受付にコカイン入りのボウルがあったものだけど、もうそういう時代じゃない(笑)。それと、クソみたいなレコードをつくらないこと。これが何よりの「健全化」だね。スマートなビジネスをして、それなりの暮らしを送れるならそれで十分だよ。そう思えれば、音楽の仕事は、これからもワンダフルだよ。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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