キンクス  | ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

ビートルズやメンバーへのミュージシャンの発言集 The Beatles  影響 評価 

 ビートルズやビートルズのメンバーに対するミュージシャンの発言は今までたくさんありました 。おそらくこれから先もたくさん発言される事でしょう。ここはビートルズが与えた影響を記録していく場所です。

デイヴデイヴィスと ピートクアイフ部分を追記しました。


 

レイ ディヴィス(ヴォーカル ギター)

 

   ミュージックエコー 1966

 

タックスマン
ザ フーとバットマンをクロスさせた感じ。少し独創性に欠けるけど、ビートルズはセクシーなオーバーダブで、これを乗り切っている。オーバーダブがヴォイスパートをこれだけセクシーにするというのは驚きだ。


エリナリグビー
僕はこの前ハイドンのLPを買ったけど、これはちょうどそんな感じの曲。ちょっとした四重唱なんだが、まるで小学校の先生を喜ばそうとしているみたいに聴こえる。ジョンが「オールドミスの先生のための曲だ」なんて言ってる姿が目に浮かぶ。それでもこれは実に商業的だけどね。

I'm Only Sleeping
最高に美しい曲。(エリナーリグビー)なんかよりも断然こっちの方が優れている。古き良きものっていうのかな。明らかにアルバム中のベストトラックだよ。

 

Love You Too
ジョージが書いた。彼は、今やグループの中で、凄い影響力を持つようになってきている。これは僕が2年前に書いていたような類の曲で、その僕はいま、ビートルズが2年前にやっていたようなことやっている。悪い曲ではなく、上手く演奏された曲であり、いずれにしても、それはいつものビートルズ調ということ。


Here There and Everywhere
これはビートルズが良い引き出しをいっぱい持ってることを証明する曲。色んなコードが目まぐるしく登場する。素晴らしいのは、声とギターが、ひとつの楽器のように融合していることだ。アルバムで3番目によく出来た曲。


Yellow Submarine
クソみたいな曲。本当に。僕自身もピアノでもってこんな風にふざけることがある。これがろくな曲じゃないってことくらい、彼らにも分かってると思う。


She Said She Said
この楽曲は古いビートルズサウンドに対する信頼を取り戻すためにこのアルバムに入っているんだよ。それがすべてだ。

Good Day Sunshine
この楽曲は巨人だよ。これはこの楽曲自体を君に押し付けたりしない。だけど I'm Only Sleepingのように目立つ。これは真の古いビートルズへの回帰なんだ。私はエレクトリックな音楽はそんなに好きじゃないんだ。ビートルズはかつて隣に住んでいる、とってもいい男の子のような感じで受け止められていた。

And Your Bird Can Sing
 この曲は好きじゃない。この曲はあまりにも予想範囲内だ。まったくビートルズの曲の様ではない。

 

Dr. Robert
これは良い。12小節のビートで、一つひとつの小節が実に巧妙。ただ、僕の好みではないけど。

 


I Want To Tell You
ビートルズの標準以下だけど、この曲がアルバムのつなぎの役目を果たしている。


Got To Get You Into My Life

 背景にはジャズがある。そしてこの楽曲はイギリスのジャズミュージシャンがスウィングする事が出来ないということを証明するものだ。ポールはミュージシャン達がプレイするジャズよりも上手く歌っており、このことがジャズとポップは全然別物だという一般論を無意味なものにしている。ポールはまるでリトルリチャードのようだ。事実、これがアルバムの中で一番ヴィンテージな楽曲だ。

Tomorrow Never Knows
このクレイジーな音を聴いてくれ!ディスコで流行るに違いない。これを演ってる時に、彼らがジョージマーティンをトーテムポールに縛り付けていたことは想像に難くない。

 

 

ビートルズのLPを全部通して聴いたのはこれが初めてだけど、良い曲が入ってるのは(Rubber Soul)の方だと言わざるを得ない。
「I'm Only Sleeping」が傑出している。「Good Day Sunshine」がその次。それと「Here, There and Everywhere」も好き。でも、それ以外についても厳しいことは言いたくない。バランスとレコーディングテクニックは、これまでになく良いものになってはいる。

 

 

 

ニューヨークタイムズ 2010


 それは12月になったばかりのマンハッタン、アッパーウェストサイドだった。私はセントラルパークから72番街の方へ向かって、日課である朝のジョギングをしていた。太陽はすでに出ていたが、足場は不安定だった。私は氷の上で滑り、転倒したところを学生たちに助けられた。 「大丈夫ですか?」私がか弱く、もろく、とても齢をとっているように見えたのだろう、彼らは心配そうに訊いてくれた。私は「大丈夫さ、君たち、僕が世界中をツアーして回るロックスターだということを知らないのかい?」とでも言いたい気分だったが、彼らが本気で心配してくれているのを見て素直に感謝し、今度は用心深く走り続けた。


 セントラルパークウェストを横切ろうとしている時、私は交差点の信号わきに一人で立っている、ヨーコオノに似た女性に気づいた。隣にジョンレノンの姿のない彼女を見るのは初めてだった。彼らはいつも手を握りあったり、腕を組んだりしているのが普通だったのだ。 これまでにも、私はしばしば街中で彼らを見かけてはいたが、ビートルズ時代から、私は彼とは一定の距離を置いてきていた。私は自分自身のプライバシーも、他人のプライバシーも、ともに尊重する。しかし、この時の私は、彼女に接してみようと考えた。

 
 (ハーイ!)私がすれ違いざまに声をかけると、ヨーコは礼儀正しくお辞儀を返してきた。きっと他の誰かだとでも思ったのだろう。


 アパートに戻ると、私はニューヨークタイムズに載ったジョンとヨーコの新譜の評論と、(アーティストは苦しみを必要とすべきでない)と断言したジョンに関する記事を読んだ。記事は前向きなもので、これは私を安心させた。(ジョンレノンに出来るなら、僕に出来ないことはない)と私は思った。彼は行き当たりばったりでソロ歌手になっていた。しかし、彼は一人でやることを楽しんでおり、失敗も怖くなかった。恐らく彼はビートルズでの安定した成功に退屈していたのだと思う。

 

 

  2~3日後、私は私のバンドであるキンクスとともに、ツアーのためにパリへ立った。パリへ到着するや、私はすぐに朝早くからのインタビューに応じた。一人の記者が、私にいくつかの曲を聴かせ、それらについての感想を求めてきた。何曲か聴いたのち、彼はジョンとヨーコのニューアルバムからの、最初のシングルをかけた。私は座って聴いたが、私の意識は何日か前の寒い日に、一人で立ちつくしていたヨーコのイメージに向けられていた。曲が終わり、部屋の中が鎮まった。私は(ラジオでも何曲か聴いたけれども、今のところ特に印象に残るものはない、しかし、これまでのジョンの仕事と同様に、いつしか何かが私の心を掴まえて、頭の中にいつまでも残る作品になるのだろう)と言った。


 記者は深い息をつき、昨晩ジョンが亡くなったことを告げた。彼がアパートに入るとこで撃たれたのだとも。私は騙されているのだと感じ、苦々しくてバカバカしい思いだった。そしてレポーターたちに待ち伏せされた。それは私の移動中に起こったに違いない。私は自分が17歳の学生だった時に、アートスクールの娯楽室で、レコードプレーヤーから流れるジョンの(ツイストアンドシャウト)を聴き、その率直さにどれほどぶっ飛んだかを思い出した。


 彼の声は全ての下らない物事を切り裂き、まるで音楽のこん棒を振り下ろすかのような調子で、私にこんなメッセージを送って来た(もしも僕に出来るなら、お前にだって出来るさ。重い腰を上げてロックンロールを演るんだ)それから私は街路に一人で立っていたヨーコのことを考えた。その時の印象は私に絶えずついて回るのだろう。私は(ハーイ!)の他に、もっと何かを言っておくべきだったのだ。

 

 

 

 

 

           モジョ誌 英 2013

  ビートルズの前に演奏する時には、まるで学校でいじめにあってるみたいだったよ。あのツアーでキンクスが前座を務めることになったとき、ボーンマスのライヴ前にジョンレノンが(あいつらはどうせ僕らの引き立て役としてここにいるんだから)って言っているのを耳にした。だけど、僕らの(You Really Got Me)の客の反応はすごいものだったよ。

 

 

 

 あれは(自分達が誰にも負けない何かを持っている)ということを初めて証明してくれる出来事になったね。まるで学校でイジメっ子に勝ったようだったというか、そんな気分だった。

 

 

 

 

 

 

 ジョンが殺されてから一週間後ぐらいにニューヨークのパラダイムでコンサートをしてね。どうしても(You got to hide your love away)を演奏したかったんだけど、出来なかった。キンクスとリハーサルをしてる時間がなくて、当時は何でも連中とやらなきゃいけなかったからね。デイヴと二人でアコースティックでやればよかったんだ。


 ジョンレノンは残酷にもなれた人だった。初期に彼の一言でひどく傷ついた事があった。彼が僕の身体的特徴について言い放ったんだ。それでもこの曲が好きだな。ジョンが当時、必死に隠していた弱さがはっきり出ている。

 

 

 

 

 



◎マッカートニーの印象を教えてもらえますか?


 ソングライターとしてだけでなく、歌うことにも優れている。ソングライターとしてはポピュラーミュージックの世界が始まってから、おそらく今までで一番優れた人物だよ。そして、彼の楽曲はとても簡潔で論理的なものだ。僕の音楽はもう額縁に飾ってあるだけだけれど、彼の音楽は今も流れ続けているんだ。僕と彼の音楽には共通の部分があるので、僕の名前が彼と並ぶことがあるけれど、それは光栄なことだよ。


 彼はいつでも対等に話をしてくれるんだ。60年代に最初に会った時も彼はすでにスターだったが、楽屋に来てくれて挨拶してくれたんだ。彼は周りからまるで神様の様に扱われているにも関わらず、誰に対しても態度が変わらないんだよ。驚くべきことだ。


 ジョンレノンは表向きでは強力だったが、中身には弱さを持っていた。ポールマッカートニーは表向きとても愛想がよくソフトだが中身はとても強いんだ。彼は言っていた。(音楽のことで誰に何を言われても僕には全く気にならないんだ)って。彼は自身をずっと信じ続けられる人だ。だからポールマッカートニーはこの世界でずっと前線にいられるわけだ。


 ジョンとポールはまるでコインの表と裏だ。僕はジョンレノンの方が人間的に好きだが、ポールが嫌いだった時はない。ポールは昔も今も尊敬できる偉大なソングライター、そしてシンガーだよ。

 

 

 

 

 

 

デイヴ デイヴィス(ギター ヴォーカル)

 

 

       2010 クラシックロック 

 

 

 

〇ジョン レノンについて
 

   私と(キンクスのベーシスト)ピート クアイフが唯一論争したのは、ビートルズについてだった。私はビートルズが好きではなかったが、ピートは彼らのケツから太陽が輝いていると考えていた。私はよく言ったものだ。(なあ。ピート、俺たちの方が良いものができるんだ!)ってね。

 

  キンクスがリバプールエンパイアでビートルズの前座を務めたとき、私たちが彼らが使っていたギターを見たがったんだよ。それがリッケンバッカーであることは知っていた。私はそこに行って弾こうと思ったんだけど、ジョンレノンは僕らに何も触らせなかったんだ。(絶対に触るな!)ってね。彼は偏執的な男だったけど、面白い男だったよ。


  高級なスーツにビートルズのヘアースタイルで、何でもかんでも守っていた。ジョンはよくスコッチオブセントジェームス(ナイトクラブ)に出入りしていた。彼は私のことを気に入っていたようだった。彼が私を気に入ってくれたのは、私がどんなことも気にしない性格であることを知っていたからだと思う。私の態度は彼の態度の様に内なる憤りに由来するものじゃあなかったからね。



  彼の不満の多くは、人生で起きた根深い体験や憤りから生まれたものだった。でも、私はジョンとは違って、素晴らしい子供時代を過ごした。スコッチオブセントジェームスで、二人とも酔っ払ってテーブルについたことがある。私も少しドラッグを使用していたので、彼は私の話を止めることができなかった。私が帰ろうとすると、ジョンがこう言った。(君は今まで会った中で最も不愉快な人間の一人だ!)。 私はそれを大きな賛辞として受け取ったよ。

 

 

 

 

〇レイ デイヴィスについて


 私たちはいつでも奇妙な関係にあり、最近はコミュニケーションをとっていないよ。確かに彼は天才的なソングライターだが、それ以外にも話さないとならないことがある。まずレイは良い人じゃない。彼は狡猾で、人を巧みに操るような嫌な奴なんだ。長年、私をクソのように扱ってきた。



 子供の頃、私は外向的で自由奔放で、とてもオープンだった。一方、レイは内向的で問題を抱えていて卑屈だった。彼は私から何かを奪わない限り、決して幸せにはなれないみたいだった。子供の頃はそれでも我慢できたけど、大人になるとそれが現実の問題となる。私たちが12歳くらいのとき、義理の兄が私たちにボクシングのグローブを買ってくれたんだけど。。。


 ある日、私たちは古い玄関の部屋でスパーリングをしていた。私はかなり優秀なサウスポーで、レイをリードしてジャブを撃っていた。それから彼に右のアッパーを食らわせたんだ。彼は飛んでいってピアノの側面に頭をぶつけてしまった。


  彼はまったく動かなかったので私は「なんてこった!彼を殺してしまった!」と思った。それで手袋を脱いで近づいた。それでも彼は反応しなかったので、私は彼の胸に寄り添い、息をしているかどうかを確かめた。するとちょうどそのとき、彼は私の顔面に大きな右パンチを食らわせたんだ。その出来事が私たちの関係を象徴しているよ。

 

 

 

  

       ヴァンヘイレン ニュースデスク  2013

 

 

  ああ。私たちは小さなリズミカルなピアノのパートを使ったレコードを聴いて育った。50年のロック、ファッツ ドミノとかそういう人達のロックが流行した。あのリズミカルな部分。そういった素晴らしいリズミックパートの多くは演奏できるようなものではなく、ただリズミックなものだった。そういった演奏は本当に君をどこか別の場所に連れて行くもので、とても(シンプル)なものなんだよ。

 

 

  つまり偉大な芸術においてはすべて、演奏は(シンプル)であることに尽きると思う。(無邪気さ、自己表現、そしてシンプルさ)というものが芸術というものにとってきっと大切なんだよ。そして、高度なテクニックがあろうが、テクニックが無いとしても(素晴らしい演奏)というものがあるんだ。

 

 

  渋滞を避ける方法を知らなければ、道路を歩いて渡ることは出来ないよね(笑)。普通に考えると、音楽を知っているのならば、何をするにもうまく立ち回れるはずなんだよね。でも、多くのミュージシャンは、自分達が出来ることに自信が持てないから、(シンプル)な演奏を避けてしまう傾向があるんだ。そして彼らはそれを遥かに通り越してしまうんだよ。そうなってしまっては元に戻るのは難しい。つまり、演奏者として(すべてを知っている。)と思ったときにお前はどこに行くのか?っていうことだ。

 

 

 一方でポールマッカートニーのようなベースプレーヤーが、どのようにしてあんなに(シンプル)な演奏で面白いメロディーを書けるのかが、とても不思議だと思っていた。なあ。彼はコンサートピアニストではなかったよね。彼はポップバンドのベースプレーヤーだった。それは本当に不思議だよね(笑)。

 


 

 

 

 

ピートクアイフ(ベース)

 

 

 

 私は、ベースは楽器として演奏されるべきだと考えていた。ポップスやロックのベースプレーヤーの多くは、音色のあるメトロノームのように弾いている。ポールマッカートニーはそのような人間ではなかった。最高のベースプレーヤーは、ベースを楽器として演奏し、独自のパートを持っていた。彼のグルーヴは際立っていて、見失わないようになっている。そして彼のラインは、他の人のトップラインのメロディーよりもしっかりと考慮され作られていて、いつも非の打ち所がないほど楽曲に貢献していた。彼は経済的にも大きな成功を収め、高い名声を得ているがベースプレーヤーとしても彼の様な演奏が出来る人間はいないだろう。