一昨日は、神奈川県、鶴見の「総持寺」に高校時代の友人の墓参り。亡くなって満5年。享年61歳。縊死。

 

毎年、お盆や春夏のお彼岸には、墓掃除を兼ねて墓参りをしている。今年は、お盆や、秋のお彼岸に行けなかったので、この日になった。彼の墓所内の植木の剪定、草むしりの為に剪定ばさみや鋸持参。これが、結構疲れる。

 

総持寺内の墓所も広いので、以前は、鶴見駅から往復、歩いていたのだが、今は、往路だけ、墓の近くまで駅からタクシーが、ワンメーターで行けるので利用している。

 

高校時代、神宮球場へ、母校の地区予選や、当時から東大野球部ファンだった私に付き合って、一緒に観戦に行ってくれたりしてくれた。とはいえ、彼が野球ファンだったということは、彼が亡くなってから弟さんから初めて聞いた。

 

高校時代からハンサムボーイだったが、高校時代は、あまり浮いた話は聞かなかった。大学や社会に出てから、その面で華が開いた。中高年になっても、ダンディで、これは、もてるなと30年振りに再会した時に思った。

 

彼は、父が早くなくなり、若干、複雑な家庭で育ったので90歳過ぎで亡くなった実母を非常に大切にしていた。今考えると、永遠のマザコンだったのかもしれない。

 

彼の最初の奥さんは非常に、よく人間が出来た方だったが、友人の女性関係で離婚した。友人からの申し入れだったそうだ。

 

その後、直接の死因となった7年間、結婚生活を送った後妻に、成功し始めた仕事の全てを、ある日突然、乗っ取られ、自宅の億ションも、出ていけとなった。

 

その時に、離婚して10年以上経っていたのだが、最初の奥さんが、別れても娘達の父親だからと当面の経済面の支援もしていた。

 

弟さんのお話では、兄の学生時代の友人と呼べるのは、貴方だけだと思うとのこと。50歳過ぎてから、年に1、2回、一緒に食事などをしていた。

 

最後に会った時に、この辺りに、ロープ屋は無いかと聞かれ、教えると太いロープを購入。後妻に全財産を取られ、ロープで縊死するというので、慌てて私の30年来の弁護士を紹介。弁護士が引っ越す必要はないし、半年、頑張れば、数千万円は、慰謝料として取れると言われた。

 

その後、彼の億ションに、遊びに来いというので、心配なので1週間に1回位は、行き、一緒に食事などをしていた。抑うつ症状がでていそうなので、医者にもかからせたが、1回だけ行って、後は行かなかったようだ。大人なので、なかなか、本人が嫌がるのを医者に連れていくのも出来なかった。そんなこんなで2か月が過ぎた。

 

私が仕事で富山に出張して帰宅した日、疲れたのでは早く寝た。朝起きたら、私の携帯に深夜、彼からメールが入っていた。「お前には世話になったが、もう限界だ。悪かったな」とのメール。慌てて、メールや電話をしたがつながらない。

 

急いで警察に電話して私も拙宅から遠い都心の彼の億ションへ行くと、警察が着いていた。部屋に電気がついていて、テレビもついているので勝手に踏み込めない。別居の後妻さんに鍵を持って来るように連絡して待っているとのこと。1時間ほどして到着。後妻さんが「私は、部屋に入りたくない」とのことなので、警察と私が部屋に入る。

 

警察官が先導して入口右手のベッドルームに入ると「ああっ、やっちゃってるよ」と発言。「貴方は、入らなくて結構です』と言われ現場は見ていない。縊死は、垂れ流しになるので、ええかっこしいの彼は、大人用のおむつを着用していたようだ。何とも悲しい。その後、所轄の警察署で御遺体と対面。綺麗な死に顔だった。

 

後妻さんが、私は、関わりたくないというので後妻さんの了解の上で別れた前妻さんが葬儀を取り仕切った。その後、前妻さんと娘さんがホテルで、業界関係者を集めてお別れ会を催した。前妻さんのお話では、子供が生まれた時も、子供の面倒よりも、俺の世話を優先しろ」と言っていたようだ。「乳飲み子を抱えて、そういうわけにも、行かずに困った」とのお話。

 

結局、前妻さんが、子供の世話をしている間に、友人は、とっかえひっかえ、別の女に走ったようだ。自業自得とはいえ、後妻を信用していたので名義を全て後妻か会社名義にしていて、知らない間に株主総会で、会社も追放されて無一文。

 

前妻さんや娘さんが、このままでは、納得いかないと弁護士に訴えたが、本人が死んでは、どうにもならないとのことだった。

 

前妻さんは、毎日、影膳で話しかけて居るが、既に離婚しているので、お墓には行けないとのこと。家庭を持って小さな子供さんを抱えている娘さんや、仕事が忙しい弟さんに代わって、私が勝手に、墓掃除や、墓参りを続けている。遠いのが難点だが、出来る限り、やってやりたい。