「仕事も、子育ても、私の人生も、もっと楽しむ」
自分の人生を、もっと楽に、もっと楽しく、自分らしく
しあわせに生きるママを増やしたい。
私のこれまでのターニングポイントについて、数回に分けて
My Storyとしてお話していきます。
初回は、「わたしの好きは、親の好きではなかった」です。
子どもの頃
私の家族は、父母妹の4人家族。
小さいころの夢は、小学校の先生になることでした。
(もうひとつは、歌が下手なのに、歌うことに憧れていました笑。)
小学校も中学校も新設校で、担任の先生やクラブ顧問の先生に
恵まれていたこともあり、毎日の学校生活が楽しかったです。
自分で言うのもなんですが、
勉強も運動も、それなりに頑張ってきた子でした。
「頑張る」、まさに「頑なに張る」感じでした。
理由は、母に認められたかったから。
両親は、自分達では気づいていない「完璧主義」。
「きちんと」「べき」「~せねば」「世間体」
をとても気にします。
長女だったので、当たりも厳しくなります。
テストで98点をとると、
「また怒られる。」
と得点できた98点をみるのではなく、
ミスした2点でずっと、できない自分を作り上げ、
心がざわつき、満足できないようになっていました。
高校時代の反抗期
中学は、陸上部と演劇部に所属。
高校は、軽音楽部とハンドボール部に所属。
どれも顧問の先生等からお声掛けいただき、始めたのがきっかけです。
実業団遠征もあり、まあまあハードでした💦。
「バンドって何するの?」状態で、誘われて入部した軽音学部。
半年は友達のキーボードを借りていましたが、
「自分の楽器がほしい」と両親にお願いしたところ、
安くない買い物で、予想通り猛反対。
元々音楽にさほど明るくない両親にとって、
学生の分際で「バンドなんて」から始まり、夜中まで大喧嘩。
言い争う中で、私が夜中まで食い下がった理由は、
(途中から)楽器を買う、買わないではなく、
親の価値観にはない私の話を、最後まで聞いて、認めてほしかったから。
親の価値観にない、知らない、
時には無駄、意味のないと思う世界でも、
私には楽しい、やりたいと思うことであり、
それを叶えることで、達成感としあわせを感じる
ことを伝えたかったんです。
子どもの頃、好きなピアノを習わせてもらい、
その延長がバンドになった、ただそれだけ。
結局、両親には思いは届かず、
夜中、母から親子喧嘩を聞きつけた叔父が広島から駆け付け、
キーボード代を置いていってくれました。
(母にはこの出来事が、親不孝な娘として今も残っています。)
そして、音楽は、一生の趣味として現在も継続中です。
音楽を通してたくさんの人と知り合い、助けられてきています。
両親が習わせてくれたピアノがきっかけ。
よく思われなかったバンド活動ですが、
こんなに長く続けられることを見つけたということで、
「密に喜んでくれていたらいいのにな。」
と思い、感謝しています。
親のちょっとした言動で子どもに潜在意識化される思考。
親の価値観で、子どもの可能性の芽を摘まないように。
自分がしあわせであることが大切!