私は乳がんサバイバー
左胸を全摘出
左胸はシリコンインプラントを
いれております。
2022年末で5年目に突入✊
5年生に進級いたしました
(簡略ですみません💦詳しい話は過去blogを
ご覧いただきますように🙏)
サボッていたblogを再びはじめたのは💦
父の病気の備忘録として
再稼働しておりま~す
2023年2月14日(火)
バレンタインデーじゃんか~🍫
父の大腸内視鏡検査の日でございます
昨日は指定されたお食事セットをいただき🙏
下剤を飲み💩
当日は病院で、さらに下剤を飲みまくる🚰
同じ検査の方々が7人くらいいたでしょうか。
午前中は下剤→トイレの繰り返し
最後の💩の様子を看護師さんに
チェックしていただき
合格しましたら
いざ!内視鏡検査へ!のシステムでございます
しかし…
💩を看護師さんに見られるのも
嫌だけど💦
毎日見てる看護師さんたちも大変だな…💩
自分の入院手術の時も思いましたが
看護師さんたちには
いつも✨後光がさしてみえる✨🙏
さて、
みんな次々とミッションをクリアしてくなか、
うちの父だけは…
なかなか便が出ない…💩
みなさんは午前中に終わり
午後からの検査待ち。
うちの父は、追い下剤のループにはまり💦
看護師さんもお腹をマッサージ
うちの母も大腸がんで
内視鏡が入らなかったが…(約30年近く前)
嫌な予感がするのであります
なんとか
内視鏡アンカーをつとめ🏃💨🏃♀️
pm4時過ぎに大腸内視鏡検査に突入✊
(朝8時50分から来ています)
お昼どきには
看護師さんが気をつかってくれて
待ってるワタシに
『まだかかるから、お昼ごはん
食べてきてくださいね』と、
なんと優しい心遣い✨
再び後光がさすのであります✨
そして無事?!に検査を終え
先生のお話を聞きにワタシも行きます。
『S状結腸がん』やっぱりありました💦
カメラも、入らないくらいになってた腸を
先生がこじあけて笑💦くれまして
(叔母が言うには内視鏡ゴットハンドの先生✨)
私はカメラが入らないのでは?!と
思ってたので
先生すげー~!!!!💦
腸全体を見せていただきましたが、
S状結腸がん以外は、小さなポリープが
いくつかあるけど問題なし。
きれいなピンクの腸でした。
とゆうことで
今度は手術ができるかどうかの検査。
内視鏡が終わったその足でCT検査に向かい。
(この時点でpm5時過ぎてる💦)
父がCTをとってる間
看護師さんが
『心配なことがあったら
なんでも言ってくださいね』と
私『父が遅くまですみません🙏』
看護師さん『いえいえ、○○さん(父)は、全然悪くありませんよ。痛くないと病院には行きたくないもんですよ。
内視鏡検査も時間がかかるから、
怒って途中で帰っちゃう患者さんも
いるんですよ~』と…。
こんな慈愛に満ちた看護師さんたちに
激怒するなんて…
信じられん…
看護師さんたち…
大変な思いをたくさんしているのだろうな…
そして
また先生のところに戻り💦
できたてほやほやの🍠♨️CTの画像を見ます。
そうすると
○肝転移があること。
○肺がボロボロなこと。
(昔のタバコの影響)
○動脈瘤があること。
転移もありますし
なにせ
肺と心臓が耐えられないと
手術はできないでございます。
いろいろ問題が出てきまして💦
結果
先生『血管がボロボロです』
『これは手術をしないで、ステント(腸を広げる器具を入れて食べ物を食べれるように)
を、いれるだけにして抗がん剤の軽い薬を飲むほうが結果的にいいのかもしれません』
父『悪いところも自分のもの
共存していきます』
ここで名言でました~✨
いやいや💦
いいこと言った✨
みたいな顔して💦
病院嫌いで悪化しただけだからね~笑
映画監督の大林宣彦監督も
自分のがんに
『おれが生きてるから、おまえたちも(がん)
生きていられるのだからな
だから、おとなしくしてな』
と、いつも言っている✨と言ってたな
でも確かに
私も乳がんになったとき、
がんをやっつけてやる!みたいな気持ちには
ならなかった。
ウイルスなどの外から入ってきたものではなく
自分の身体の中に出来たもの。
なりたくはなかったけれど。
やっつけてやる!みたいな気持ちにはならなかったなぁ…。
とはいえ、手術できるかできないかの
検査は、いちおすることに
まだまだ今週来週も検査は続くのでした~
なんとか長い一日を終え
とにかく💩を出すために
下剤の薬をたらふくもらい
(薬局も閉まる時間でしたが、看護師さんが近くの開いてる薬局に今から行きます!電話してくれた✨)
外来もとっくに終わっていたため、
支払いは次回にまとめてとのこと。
この日の最後の患者は
うちの父だ💦
先生✨看護師さん✨
遅くまでありがとうございます🙏
玄関が開いてるか
玄関まで見送ってくれた看護師さん🙏
人は支えられて生きていることを
あらためて痛感🙏
外にでると雪が☃️
朝から何も食べず、疲労困憊の父を支えながら
近くの駐車場まで歩いたことは。
きっと一生忘れない光景になるだろうなぁ…
途中、スーパーで晩御飯を買って
家に帰ってきたら
父『開通したから、
腹が減ったな!!』
おいおい
私『青函トンネル
開通じゃないんだから』
青函トンネル(せいかんトンネル)または青函隧道(せいかんずいどう)[3][注釈 3]は、本州の青森県東津軽郡今別町と北海道上磯郡知内町を結ぶ鉄道トンネルである。
さっきのセンチメンタルな
ワタシの思いを返せー
今日も最後までお読みいただきまして
ありがとうございます🙏