和歌山は私は少し強くしてくれたと思います。忘れないためにここに残します。
2013年04月20日挙式して、その翌日から新婚旅行に行き、帰ったらすぐ新生活スタートしました。
私の毎日は目の前の公園の午前のゲートボール練習と17時のアナウンスだけで毎日過ぎていってました。その頃ハローワークで失業(前職は三月末退職だったので)求職活動をせねばあかんかったので、職業訓練があったのでそれを応募しようと頑張りました!その頃はそれしかありませんでした。
ハローワークのおじさんには「なんで神戸からこんな田舎に」と散々云われつつ。
職業訓練の応募をした頃に妊娠が発覚。訓練受かって終わる頃には出産なんて万々歳では?という考えが悪かったようで、猛烈な張りと心拍確認できなくなってしまい、日帰りの手術に。
その頃は本当に全てがボロボロでした。
その頃出会ったのが職業訓練のメンバーです。
訓練が始まった時は流産手術なのでめちゃ肝心な時に休みましたが(笑)
年齢層はバラバラでしたが、毎日通学するのでめちゃ仲良しに。車に乗らない私を雨の日は家まで送ってくれたり、和歌山観光連れていってくれたり、ご飯誘ってくれたり。共に闘った仲間に凄く助けられました。
10月頃訓練も終わり、そろそろ何か職につかねばなーと探してたのですが、転勤族で和歌山ど素人にはいい職はなく…しかし前職の人事経験を生かしてみませんか?とお誘い受け、労働局の非常勤職員に。
9年近く横断的に全てを経験してる私はかなり重宝されました。
働いて半年ぐらいで長女を妊娠。
流産があったので少しでも張ったら休ませてもらいました。
労働局では和歌山のいろはを教えていただきました。御姉様方のお陰でうまいパン屋も知りました。小児科やらどこいけばおもしろいよーとか。
そして里帰りですが、長女出産。
産後二ヶ月後に早々に和歌山に。
まー子育てだと急にまた和歌山の世界観が変わりました。一人だとなんとかなったのに子連れだとどうしたら?と。
ベビーカー押してお散歩してもいきなり泣いたりしないか、オムツ替えれるのどこ?とか。
近所と近鉄、めっちゃ行ってました(笑)
父に「児童館とかに行ってみたらいいよ」と言われてたので、4ヶ月首すわり時期から毎日のように支援施設に。それが今のスタイルの原点です。
「毎日連れていって偉いねー熱心ねー」と言われましたが、家で二人が怖かった。泣かれたらどうしよう寝てくれなかったらどうしようという恐怖心。外なら沢山話せますし。
さつきランドの野田先生には「抱っこ紐すら使い方怪しい時に電車で来てたよねー。よく覚えてるわ。離乳食もかなり苦戦してたし。」と言われたのをよく覚えています。
次女が産まれてからはよりいっそうそうなりました。長女は初代ファミサポさんに鍛えられてかなりパワフル女子になったので、出掛けざるおえなくなり。
やっとこさ落ち着いたら今度は転勤。
しかも未知の世界、関東。
でも子供達にとっては普段の生活が少し場所を変えただけで、出掛けたいとかはそのまま。
不安を胸に旅立ちます。
ありがとう!和歌山!
多分何年後には帰ってきそうですが(笑)
別れの挨拶で一番言われたのは「なんかねーまた会えそうだからさよなら!って感じしないよねー」と。私もそう思います。
和歌山在住の方は「茨城県鹿嶋市情報なんかいらんし?!」と思われるかもしれませんが、気が向いたら読んでいただけると嬉しいです。
出来る限り、この毎日投稿するのは頑張ります!
おっふぉあー!
