え~、実は怪獣父骨髄ドナーになりまして、

 この間、ちゅちゅっと骨髄液を抜いてまいりました。

 今日から暫くの間、このときの体験を赤裸々に

 語って行きたいと思いますので、よろしく。


 あっ、もし骨髄ドナーについての質問なんかあれば、

 それに関するお答えも練り混ぜながら体験談を

 UPしていくので何かあればコメントください。


 ※骨髄提供の日時や病院などに関する情報は、

  提供者が特定されることがあるので、ブログなどでは

  公表されませんのであしからず。


第1章 案内は忘れた頃にやってくる

 

 ある日いつものように家に帰ると、郵便受けに

 見慣れない色の封筒がニョキッと突き刺さっていた。

 宛名は怪獣父で差出人は骨髄移植推進財団。

 今まで、骨髄バンクニュースが送られて来る事はあったが、

 封筒の色が違ったので、いよいよ来るべき時が着たのか、と

 すぐに理解できた。


 怪獣父が骨髄バンクに登録したのは今から5年前の平成15年、

 1号が生まれて、1年が経過しようという時だった。

 たまたま、献血をした会場内で骨髄バンクの登録を行っており、

 わずかな血液で登録できると聞いた。


 1号が生まれてから、強く感じていたことは、

 子供に何かあれば、何とかして助けたいと思うだろう、と言う気持ちであった。

 きっと、子供の成長や幸せを願う親なら、誰しもがそう思い、

 そして、あらゆる手段を講じるだろうと感じていた。

 もし、1号が白血病などになり、自分の骨髄液が提供できないとすれば、

 自分の無力さを呪うと共に、適合者がいるなら助けて欲しいと

 思わずにはいられないだろうに違いない。


 それならば、自分が逆に与えることが出来るのではないかと思い

 登録をすることにした。

 登録は本当にわずかな血液で行うことが出来た。

 (記憶が合っていれば、本当に数滴だったと思う)

 こんな量で、血液の型がわかるのだなぁ、と感心すると共に、

 怪獣母に相談もしないで登録したことに若干の後ろめたさを感じていた。


 家に帰り、怪獣母に登録した事と、自分の思いを告げると、

 怪獣母はすんなり『判った』と言ってくれた。

 怪獣母の言葉は短かったけれど、とても力強く、そしてありがたくあった。

 本当に怪獣母と結婚して良かったと思った。


 登録した時のことを反芻しながら、封筒をイソイソと開ける。

 親展と至急開封というハンコがいかにもそれっぽい。

 登録して5年目にしてやってきた、適合者通知の案内、

 怪獣父が骨髄ドナーになる第一歩がやってきました。



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