今日、山口県母子殺害事件の最高裁の判決が出された。
結果的には「極刑以外に考えられないので、高等裁でもう一回審議して下さい」
と言う内容だと私は認識している。
昨日のニュースで本村さんが生出演している番組があったが、
彼の発する言葉の一つ一つがとても我々にとって重要なものであるように感じた。
彼がここまでの労力を使い、我々当事者ではない人間たちに訴えようとしている事は、
ただ単に「被害者」としの側面だけではなく、言葉は悪いかもしれないが、
今回の事件を追い続けているジャーナリストのようでもあると感じた。
それは、被害者と言う立場でありながら、ある種客観的に物事を判断している事や、
今回事件が、こういった犯罪に対してどのように寄与する事が出来るのか?
と言う事をとてもよく考えて行動を起こしていると思ったからだ。
犯罪と言うすでに起こってしまった事象に対して、どのように向き合い接していくのか、
彼の言葉の中でもあったように、最初の1年はただ怒りしかなかったものが、
時が無常にも冷静になるための時間と考える時間を与えたのだと思う。
偶然を必然にする努力、と言う言葉を言っていたが、
この事件がここまで大きく取り上げられている事は、彼の努力の賜物であろう。
今回の判決で、またこの先どれだけの時間が費やされて、
最終的な判決が下るかは解らないが、彼が起こしてきた一連の行動は、
今の社会に大きな一石を投じたと考えられるだろう。
彼の話の中で「反省すると言う事と罪を受けると言う事は次元が違う」と言う言葉があったが、
それはまさしくその通りで、反省する心があり、罪を受け入れるべきなのだと私も思う。
彼の話の後で、加害者の父親がインタビューに答えていたが、
本村さんの話のレベルとは大きく差があり、強く落胆した。
「息子は6年前とは比べ物にならないくらい反省している」
それは人として当たり前の事だし、それで罪が軽くなる必要はどこにも無い。
いま、この犯罪を犯した人間を極刑にする事で「おかしい」と異を唱える人は、
正常な神経の持ち主ならいないと断言できる。