ざっくり感想「怪奇大作戦」第1話~第13話 | 怪獣玩具に魅せられて

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『ゴジラ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』と続けてきた、ざっくり感想シリーズですが、今回からは『怪奇大作戦』にチャレンジしていきます。今では「ウルトラシリーズ」とは別の、円谷プロの傑作シリーズとして知られる『怪奇大作戦』。僕も本当に好きなシリーズなんです。永久欠番の24話も含めて、全26話のざっくり感想を綴っていきます。

 

 

この本、めちゃ面白いのでオススメです。


  『怪奇大作戦』第1話~第13話 ざっくり感想

 

 

【第1話】

「壁抜け男」

 記念すべき一作目は、怪盗キングアラジンとの追いかけっこを描く「壁抜け男」。この一作で、『怪奇大作戦』の全てを説明しているのだから凄い。序盤の事件、SRIの調査、警察との協働、真相解明、犯人の末路、オフィスでの振り返り……『怪奇大作戦』の物語展開が、最初からがっちり固められていて、この『壁抜け男』の物語の前から、SRIは同じように様々な怪奇事件に挑戦し続けてきたのだろうなあと、そんな時間的な「経過」が分かるような、流麗にして細部の描写の密度の凄い話運びだった。怪盗キングアラジンは、劇中でも指摘があったように怪人二十面相的な怪盗で、『ウルトラ』シリーズとはテイストの違う世界観でありながら、娯楽性の強い新シリーズのキャラクターとして、最初に持ってきたのは大正解。東宝の『変身人間』シリーズを思わせるような壁抜けの特撮が素晴らしく、特にコンクリートの床を沈んでいくところは、今見てもよくできていると感心させられる。ノムが中盤、手品師に意見を乞いにいくシーンとか、全体的には明るい、コミカルなタッチで進んでいく一方、悪党の末路は非常に物悲しく、息苦しい。当時の子供たちは戸惑ったろうが、大人になって思い返せば、その時には見えなかったキングアラジンの気持ちが見えてきて、また違った印象を持つようになるはず。これから26話の中で活躍を見ていくことになるSRIの面々や町田警部のキャラクターを、俳優同士の軽妙な掛け合いの中で如実に表して見せるなど、特撮表現と同じくらい、ドラマや人物の描写にも力を入れた意欲作。

 

 

【第2話】

「人喰い蛾」

 蛾の恐怖ーーというと『ウルトラQ』のモルフォ蝶が思い浮かぶが、こっちの方がよっぽどタチが悪い。チラス菌なるものが含まれた鱗粉を浴びると、それだけで肉体がドロドロに溶けてしまう。泡が吹き出して溶けていく人体のアップをバックにしたタイトルは、いつものようなテーマもなく、おどろおどろしい音楽と無機質なキャストテロップだけで、恐怖度は『怪奇大作戦』随一。本来はこの『人喰い蛾』が第1話に予定されていたらしいけど、もしこっちが先だったなら、方向性が全く変わったんじゃなかろうか。それくらいのインパクトを備えているし、結果的には第1話で娯楽性の強いものを最初にやって、第2話で本格ホラーという、この順番で良かった気がする。話の展開としては、私利私欲のために科学を悪用し、邪魔者を始末するというよくある展開。ただ、この殺し方の残酷さや、背後に海外資本の暗躍を仄めかすなど、「ウルトラシリーズ」ではなし得なかった、ダーティーな世界を構築することに成功している。また、びっくりの特撮表現で見せたキングアラジンとは異なり、こっちはスリリングな展開で勝負。人喰い蛾から、寝ている幼子を救出する牧のシーンの緊迫感は見事だった。ちなみに、この蛾たちをどうやって始末したかは描かれていないが、伝説のカルトアニメ『チャージマン研!』の第3話がちょうど、「人間の細胞を溶かす猛毒を持つ蝶」の大群が舞うというストーリーなので、その退治の仕方を参考にすると良いかも。すみません嘘です。

 

 

【第3話】

「白い顔」

 顔を真っ白に塗った怪人が異常に怖いけど、それ以外に特筆すべき所が思いつかない。個人的には印象の薄い凡作って感じ。娘に執着してレーザー光線で殺人を繰り返す親父。白い顔が、そこまで本筋にかかわってこない。バットマンのジョーカー的に、薬品事故か何かで顔が真っ白に変色していた、とかならまだ繋がりはあるけど、火傷を隠す包帯の上から、白い顔マスクって、ちょっと意味が分かりません。SRI側は、助さんと牧さんが活躍の回で、牧さんがモーターボートでのチェイスに挑戦するなど、中々にアクロバティック。犯人側も、ちょっかい出した会社の同僚を殺すために遠路はるばる出かけるなど、無駄にアクティブなんだよね。正直あんまり褒めるところはないんだけど、ラスト、オフィスに戻ってから、ライターに火をつけるのを躊躇う的矢所長や、ケーキまみれの次郎君の顔が白い顔に変わるところは、味が合って良かった。

 

 

【第4話】

「恐怖の電話」

 実相寺昭雄監督の、じとーっとした画作りが物を言う回。今回、フジアキコ隊員再登場(もちろん、役は違います)。父親を殺され、コンタクトを取った相手が目の前でどんどん死んでいくという、今までにないくらい悲惨な役回り。彼女を追いつめる片翼が、他ならぬ牧さんがであるというのも独特のタッチ。真相追求のためなら、非情な役回りにも徹する牧さんってのは、実は前作から若干の描写があったんだけれど、今回はそれが一気に極まっている感じ。拷問部屋のような防音室? で不快な音波を聞かせ続けるとか、岸田森さんの怪演もあってかなり怖い。真相や犯行の手口自体は、実は「人喰い蛾」と同じで、遠距離から邪魔者を殺す。それが電話か蛾かって違いだけ。それなのに全然違う話に見えるのは、やっぱり実相寺監督テイストのなせる技なんでしょうね。真相追求の鬼と思われた牧さんも、煙草の不始末でアッチッチになるなど細かいところで良いキャラしているし、最後の電話のシーンでもそれが活かされている。「ウルトラシリーズ」同様、実相寺監督が演出するラストの切れ味が最高で、前半のおどろおどろしさ、重苦しさを一気に解消してくれる、爽やかなエンディングでさえある。

 

 

【第5話】

「死神の子守唄」

 辛い……あまりにも辛い。しかし繰り返し観てしまう。体内被曝に遭ったヒロイン、放っておけば死んでしまう。唯一の手段には人体実験が必要。しかし、それは他の罪なき命を犠牲にすることを意味する。しかしそれなら、体内被曝した彼女に罪はあったのか。あれこれ考えているうちに死んでしまうかもしれない、この圧倒的に絶望的な状況の中では、他人を犠牲にする選択をしてしまったとしても、仕方がないようにさえ思えてしまう。『怪奇大作戦』の中で、初めて本気で「犯人」の側に寄り添った語り口となっていて、特に牧さんの表情や目線が凄まじく物悲しい。彼女が歌う「子守唄」の歌詞通りに殺人が起きるところは、『そして誰もいなくなった』的であり、それがラストの容赦ない幕切れに繋がるなど、全体を通して、静かなる苛烈に燃えている。犯人が警官隊に袋叩きにされるところなど、今回は善悪の逆転が起こりやすい構造になっているのも見事。追いつめられた人が見据える「現実」の厳しさをこれでもかと描き出していて、最終的に、誰一人として救われることがない。辛い。本当に辛いけれども、目を背けず、「だったら、どうすれば良かったのか」と考え続けざるを得ない。『怪奇大作戦』初期の中でも忘れがたい印象を残す傑作エピソードにして、シリーズそのものの代表作でもあると思う。

 

 

【第6話】

「吸血地獄」

 日本で吸血鬼物をやったらどうなるんだろう? ――ってのは後年、「死を吸うシリーズ」というものがありまして。我らが牧さんこと、岸田森さんが吸血鬼役を怪演されている。そういう「流れ」で見ると、何とも趣深いものがあるこの「吸血地獄」。単発のエピソードとしては、別府とのタイアップくらいしか印象に残らないんだけどね。科学知識による真相究明と解決を基本としているSRIだからこそ、科学の及ばない分野については、後手に回らざるを得ないということを、シリーズの中で早期に示しているところは良かった。ニーナが結局は吸血鬼のドラキュラの末裔だったのかも、よく分からないままで、一切が闇の中に葬られたままで終わる。SRIにとっては初の敗北? 的な印象があるが、こうした形でSRIには苦い結末になるのは、負けたら侵略その他ドエライことになる「ウルトラシリーズ」では絶対にできない話の持って行き方だから、これはこれで独自の魅力が引き出せているんだよね。

 

 

【第7話】

「青い血の女」

『怪奇大作戦』屈指のホラー回。『チャイルドプレイ』の先駆けみたいな殺人人形登場回で、やっぱりやってみたい素材の一つなのかも。端正な顔をした人形が、恐ろしい形相で殺人を繰り返す、って、やっぱり怖いよね。ただ、今回の殺人人形は、変貌した時の顔が完全にコレ→(`・ω・´) で、怖いよりは可愛い(笑)。バレないのを良いことに、現場にしれーっと立っていて、警察の話を盗み聞きしているとか、芸が細かい人形だった。殺人人形による凶行と、老人の孤独問題とを組み合わせた脚本で、この二つの要素が上手く絡み合っているかどうかは分からないけれど、最後の展開には、「老人の孤独」が上手く効いていたと思う。踏み込んだ先にいた「あれ」がヤバくて、今見ても嫌~な気持ち悪さがある。ドラマ的な見どころとしては、いつもは協力者である町田警部が、今回は助さんに嫌疑がかかっているということでギクシャクした関係になっている。作品世界のSRIの立ち位置がうかがえて面白い。事件解決後に、みんなで話しているところ、最後まで不穏さが残るのも良いし、ノムの、「世の中が狂ってくると……」というセリフにはゾッとする。老人のみならず、若年層まで孤独の影が忍び寄る現代社会に、「あれ」はどれくらい生きているのだろう……。

 

 

 

【第8話】

「光る通り魔」

 燐光人間――とは言わず、「光る通り魔」なんて、オシャレなネーミングセンス。身体が液状化した人間というと、東宝の変身人間シリーズ恐怖度・好感度ナンバー1の『美女と液体人間』を思い出させるけど、それとはずいぶん違った、どちらかというとアメーバ状のぐにゃぐにゃした物体が、今回の「通り魔」。それに狙われる陽子さん役の女優さんが、まあ何とお美しいこと。現代にも通用すると言っては失礼だが、本当に奇麗。燐光人間こと山本が狙う理由も分かる気がする。本作は、燐光人間の正体と、彼がそうならざるを得なかった理由とを究明することが大筋で、汚職の詰め腹切らされて自殺しようとした――ってのが燐光人間に変じた理由で、彼の残した「メモ」により汚職が摘発されるという部分と、山本が陽子に執着する部分とが、絡むようで絡まない。このもどかしさが、今回は結構うまく働いていると思う。汚職事件の部分だけ見れば山本は可哀そうな被害者なんだけど、陽子への執着という点からすれば、一方的な思い入れの気持ち悪さがある。あるいは、「関係ない」なんて言ってたけど、実際に陽子には何らか山本に思うところがあったのか……。本作の見せ場の一つは、阿蘇で牧さんが山本の「執念」をイメージするシーン。SRIの頭脳でありながら、常に影を持ち、加害者に感情を寄せるシーンもある彼だからこその、リアルなキャラの彫りこみでした。

 

 

【第9話】

「散歩する首」

 これも後半になるにつれて、怖くなっていく話。正直、「散歩する首」のトリックは、『怪奇大作戦』史上、トップクラスのしょぼさで、もはや「科学」ですらなさそう。一方で、この第9話にはアクとクセが強すぎるキャラクターのオンパレードで、「見世物要素」的に考えると、非常に見ごたえがある。妻を殺そうとして結果的に「首」が殺してくれたからラッキーとなっている男とか、優しいかと思いきや鼠には容赦ない御婆さんとか。筆頭が今回の犯人である峰村で、ジキタリスの強心作用の人体実験材料を求めて、「首」による事故の誘発を繰り返していくうちに、実験の目的が「死人が生き返るため」にすり替わっていたり、平気で人殺しするくせに婆さんが鼠殺すときにはドン引きしていたりと、冷静? な中にも胡散臭さや、意思疎通できなさが垣間見える、絶妙な演技。そして最大のインパクトである、ラストの数秒間の「蘇生」――。あれは、ものすごい怖かった。その後にちょっとだけ付くナレーションとストップモーションも、妙に冷たい感じがして怖くて好きなんだよなあ。明らかな怪奇現象が起きて、それが闇に葬られそうだったもう一つの事件を明るみにさらすって展開も、科学に基づく究明を基本とする『怪奇大作戦』だからこそ意味を持つ変化球。ちなみにこの話を「見世物的」と考えているのは決して思い付きではなくて、ラストの事務所のシーンからの類推です。あのラストからエンディングまでの流れも好き。なんだかんだ、けっこう見返しているお気に入りの作品。

 

 

【第10話】

「死を呼ぶ電波」

「恐怖の電話」を、テレビに買えただけじゃない? って冒頭。実は「個人の復讐」が犯行の動機になるのは、この話が最初。殺人電波の説明もイマイチ不足しているので、最初の殺人とクライマックスの未遂のやり方が、だいぶ違っていてけっこう戸惑わせる。まあ今回は、理論理屈よりもアクション重視って感じなのかな? 調査から真相の究明、次の犯行の防止まで、SRIの抜群のチームワークが光る。このチームならではのプロ感が前面に押し出されていて、やっぱカッコいいなあと思わせてくれる、それだけでこの話の株がぐんと上がるところ。正直、今回は犯人側の描写にはそれほど目がいかず、SRIの活躍ばかりを楽しんで観た。ラストのコーヒーで乾杯! までキレの良いアクションの目白押し。ちなみに深読みすると、今回はSRIの面々が方々に散ってそれぞれの任務遂行にあたるため、基本的には電話等での遠距離連絡を行うシーンが多い。犯人が「死を呼ぶ電波」によって犯行を重ねる一方、SRIの面々は「命を繋ぎ止める」ために電波を使っていると、そういうことを示すのか? と、そんなことを思ったりしました。まあ、無理くりですかね。

 

 

【第11話】

「ジャガーの眼は赤い」

 いや、ジャガーの目なんかどうでも良くて、吃驚するのはウルトラセブンの再登場! ただし、サンドイッチマンとして。こんなところで何してんのお前!? と突っ込みたくなる第11話。『怪奇大作戦』の中では珍しい、子どもを中心に置いた話だけど、今回は子どもが被害者ってだけの話で、そこまで子どもを主軸に置くことの重要性はないかも。「世界を変える映像表現」の完成を目指すための強盗。この「立体映像」、原題では一般的になりましたが、当時は本当に夢のような空想の産物だったんだなあ。それを作るために子どもを誘拐する――って話なんだけど、犯人の描写が中途半端でしっくりこない。最後、立体映像で翻弄して子どもを崖から落そうとするとか、何がしたかったのだろう。もしこの動機で犯行を重ねるなら、それこそルイス・キャロルみたいな幻惑的な世界観にするとか、ハーメルンの笛吹き男に印象を近づけるとか、もっとアクの強い犯人像が必要だったのでは。弟君が嘘つき呼ばわりされていることに対する結末も、なあなあで終わってしまってる気がする。ちなみに、エンディングで登場する不気味な仮面は、ウルトラセブンのシャドー星人のマスク。何故だかセブンの影がちらつく話でもある。

 

 

【第12話】

「霧の童話」

 これも大傑作ですね。個人的に『怪奇大作戦』で好きな話のパターンで、「やらないとどうにもならんじゃないか」ってのがある。筆頭は第5話「死神の子守唄」ですね。今回も同じ。親と子が分断されてしまった村。死に体の村で、若者たちは外国資本の力を借りてここに高速道路を通そうとし、年老いた親たちはこの土地を売ること、離れることを拒んで今の生活に固執する。どちらの意見が通っても、どっちかが泣きを見る現状で、一線を越えてしまう老人たちの姿が悲しい。今回も子どもが出てくるけど、今回は前作と違って、犯人側(老人たち)、真相究明側(SRI)、それぞれに深く関わってくる。これは、子どもである必然性があり、また途中に登場する学校という舞台が終盤で、ものすごい大きな意味を持ってくる。人物とドラマとがこの上なく深く結びついている。今回の「怪奇」自体は、幻惑ガスと老人たちの変装で、実は円谷的な特撮技術は用いられていない。事件が解決し、健一少年に見送られて村を去る助さん――というところで終わらせられるはずが、最後に村が鉄砲水に襲われたという、衝撃的すぎる一幕を放り込んでくる。これ初見のインパクトには凄まじいものがあり、恐怖で鳥肌が立った。ここで鉄砲水の特撮を暴力的に入れてきて、のどかな生活だった頃の村の風景や学校風景が水に飲み込まれるイメージを入れてくる。この情け容赦ない締め括りに、もう唖然とするしかない。さらに追い打ちをかけるように、老人たちが一線を越えてまでも守ろうとした村がもはやなくなり、むしろ土地買収にはプラスに働くであろうこと。そこから工場が並ぶ遠景と都会の騒音、さらにそこからカメラがパンして村を偲ばせる地蔵と、今はなき学校で奏でられていた演奏の1フレーズで終幕――と、もう完璧すぎる。良い話なんかじゃ終わらせられない。こうした分断は、現実にも起こっていることなのだから――という、作り手たちの根性みたいなものが如実に感じられる。素晴らしき空想科学の中に、現代にも通じるメッセージを入れ込んできた「ウルトラシリーズ」とは違う、そもそも舞台世界がリアルに近く、ゆえにストレートに「現実」を突き付けることができる『怪奇大作戦』だからこその語り口。シリーズの中でも、他の追随を許さぬ特別な一作になっている。

 

 

【第13話】

「氷の死刑台」

 第8話が『美女と液体人間』なら、この第13話は『ガス人間第一号』に近いものがある。狂った科学者たちに、異常な身体にされた男――。たった一日だと思っていたのが、7年間。この7年間の空白への戸惑いと、失われていた「自分」の拠所を探し求める冷凍人間の姿が悲しい。物語は終盤、冷凍人間への対処にシフトしていくけど、この話における、最も唾棄すべき外道である二人の科学者への言及に乏しいのが勿体ないところで、名誉欲のために何のかかわりもない人間をだまし、7年間も冷凍付けにするって、このシリーズの中でも群を抜いて最低な二人。人間を冷凍にする理由に宇宙開発が関わっていたりするところも、『ガス人間』に通じるものがあるんだけど、ガス人間の水野さんが、身体がガス状になることを「ギフト」として捉えて悪事に手を染めるのと対照的に、今回の冷凍人間の岡崎さんは本当に、身体がめっちゃ冷たくて人を凍らせ殺すことしかできないってのが悲しすぎる。シリーズの中でも最も外道な二人と、最も可哀そうな「怪人」が登場する回で、だからこそラストの的矢所長の「科学者である前に、人間であれ」というセリフの重みが変わってくるのだと思う。ここまでの13話。色々な目的で「科学」を犯行の手口として使う人間たちの「哀れ」を見てきたからこそ心にグッとくる言葉であり、1クールの締め括りにおいて伝えることの意義は大きかった。