恩師の事⑤ | レンタルスペースOWL  【JR線・東武線・京成線「船橋駅」より徒歩7分】  〔防音機能付き鏡張り〕 

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今日も秋晴れのいいお天気でしたね晴れ

今日はいつもやらない所までお掃除して、
気持ちもすっきりしました。

お世話になった恩師がよく、部屋の散らかり
具合と心の中は同じだとおっしゃっていました。

部屋が片付いている時は心も整理されていて、
部屋が散らかって居る時は心も乱れていると。

私も気持ちが乱れて来たらいつも部屋の整理を
して、気持ちをすっきりさせますクローバーニコニコ



さて恩師の事④の続きです。


初めての方は良かったら恩師のこと③
から始まるお話を読んでからご覧に
なってください。



(「人間という自然」  高野亨 蓍 
高野晶 編  「感応」より)


その頃私は、飛行機とともに海中に墜落して
意識を失っていた。
海の中は冷たい。
そんな時、ふと背中に温かいぬくもりを感じた。
この温もりは老樹だ、と浮かぶと同時に意識は
蘇ってきた。

老樹に時々現れる変化を親父は見ていた。
或る時は皮が剥げ、或る時は幹が傷ついて
いた。
親父の心にはたまらないものがあったという。

私の手紙で怪我を知ったときは、父に驚きは
なかった。日時も知っていた。生きていることも
知っていた。
老樹に配給の酒をかけ食物を供えて、幹に手を
当て合掌していた。老樹は痛々しい姿になって
いた。
父はこのままでは枯れると予感した。
そんなとき、雷が老樹を直撃した。
東京はその頃。真っ赤に燃えていた。
東京大空襲である。
父はそれで東京に私がいることを知っていた。

戦争が終わって平和が戻ってきた。
私も田舎に帰った。山の老樹に再会し、
「約束を守ってくれて有難う」とお礼を言って
報告した。
老樹は枯死していた。他の繁っていた大きな
杉は掘り出され、禿げ山になっていた。
週を待たずに老樹を焼いた。煙が昇り、
灰だけが残った。
そこに何も語らない親父と私がいた。

日頃多くを語らない親父であったが、この時、
重たい口を開いた。
「世の中には不思議なことがあることを知ったし、
見せてもらった」

親父と私の目が合い、互いににっこりと微笑んだ。
親と子の心に光がさした。
温かい親の心を私は感じ取っていた。父は話続
けた。
「この樹は大したもんだ。神が宿っていたのかな」

私も話した。
「この樹は、子供のときからの友達なんだ。
何でも話して来た。お父さんにも心配かけたね。
いろいろと有難う」

その後、灰を中央に盛り、土をかけて葬った。

あれから何年たったろうか。
私は今、大勢の前に立って、「感受性を磨き
高めることが、自然を本当に知ることである。
本当に生きることを知る基本である」と説いている。
「見えないものを見られるように、感受性を養うこと」
と。感受性は、小さいときからあるのだから、それを
邪魔して芽を潰さないように育ててほしいと思う。
そして、小さい時から自ら切り拓くものだと思う。
教えて出来るものではないことはたしかである。
何事も、或るところまで進むと、大きな壁がある
ようだ。
それを、自分の全力を尽くして乗り越えたとき、
いつの間にか感受性が自分のものになっている
ような気がする。感受性は自分の目に見えない
芸術品でもある。感受性は、長い月日を要して
熟成され、世の中に役立つようになるのでは
ないだろうか。(了)



途切れ途切れの更新で読みづらかった所も
あったかもしれませんが、長々と最後までお付き
合い頂いてありがとうございました音譜

この話は私の大好きな恩師のお話で、これを
読んだ時何とも言えない心の震えを感じました。

時代は戦争中であり、決して豊かな時代では
なかったかと思いますが、溢れるような心の
豊かさに温かいものを感じました。

恩師との長い関わりの歴史があるからこそ
感じた事かもしれませんが、みなさんにも是非
ご紹介したくて、書かせて頂きました。

ありがとうございました。ラブラブ