こんばんは
日ごとに秋が深まりますね。


先日少し書かせて頂いたのですが、
お世話になった恩師で、もっとも影響を受けた
先生の遺稿の中でも、私が一番好きなお話を
少しご紹介したいと思います。
少し省略してあるところもあります。
(「人間という自然」 高野亨 蓍
高野晶 編 「感応」より)
蜘蛛の糸が空中に飛んできて迎雲が輝くとき、
雪が間近いという言い伝えがある。
積乱雲の発達がままならず、縮んだ格好で
立っている。
藍に近い青空がどこまでも高い。
ときどき白い積乱雲が横切る。
そんな空を無意識に眺めている時間が私は
好きである。遠い過去が甦ってくるからであろうか。
私の生まれ育った家の裏山に、標高300メートル
に満たない山がある。山頂には小さな祠があり、
杉の大木が鬱蒼と繁っていた。山裾は雑木林や
灌木が生えているだけで、遠くまで見渡せる。
北に那須連邦の山々があり、四季それぞれに美しい
雄姿をみせる。
東は八溝山脈が横たわり、累々と限りなく連なる。
南だけが開けて、遠くの町並みが見えることもある。
一見平和に見えるが、内実は貧しい百姓たちの
集落でもある。自分の家も貧しかったが、隣の
家もどの家もそう大差がない。村のなかには豊かな
家が一軒か二軒あった。
物心がついた時から貧しさの風習に慣れていたので、
心の貧しさは子供達にはなかった。
遊ぶこともなく汚れて、子供は家事の手伝いをする
のが慣例でもあった。それだけに、年に何度かの
休日や祭日には、それまで溜まっていたエネルギーが
爆発したように、一生懸命に遊び楽しんだ。
短い時間に凝縮された自由と遊びの中に、喜びを
体一杯で味わうことを知った。
楽しさは、発見し工夫するものである。空想を際限なく
発展させ、更に新しい発見をする。
困窮すればする程、自分を集注させる。困難は自分を
開拓する大きな原動力となる。貧しさは忍耐と努力と
想像を養うことに役立ったと思われる。
4、5才の頃私は山で遊ぶ事が多かった。
木や草に語りかけたり、小さな虫と遊んだり、
自然にとけ込んだ日々であった。
草木の囁きを求め、太い樹木の幹に耳を当て
手掌でなで、その感触を知ろうとしていた。
太い樹幹に耳を当てるとゴーっと響いていて、
それはその日によって、響きが変化することを
察知していた。
或る日のことだった。いつもの様に山に登って、
自然の植物に話掛けていた。どこからともなく、
微かな叫びが聞こえて来た。「苦しい、苦しい」
と助けを呼んでいるようであった。
その方面に走って見ると、見上げた老木に蔦が
絡み付いて木に食い込んでいた。
私は鉈を持ってきて、時間を掛け、懸命に蔦を
切った。苦しみが和らいだのか、
気付いた時には叫びは消えていた。
その出来事があって以来、その老樹に対し注意を
よせ、話しかける事も多くなり、時には瓶に水を詰めて
持って行き、飲ませたりもした。
自分が嬉しいとき、淋しいとき、悲しいとき、いつも
より以上に話しかけているうちに、心が自然に
和んで来ることを覚え知った。
老樹は話しかけに応答しているようでもあり、頭が
痛いとき、幹に頭をつけて「頭が痛いよ」と訴えると
幹は急に冷たくなって頭が冷やされているようだった。
「寒い」と言うとぬくもりを与えてくれるようだった。
次第にそれが体感できるように敏感になって行った。
老樹はでこぼこがあり、醜い形をしてえぐれたへこみ
があって、座ってもたれると、程よく身体がすっぽり
入り、話疲れると、良い気分で眠ってしまう事が多
かった。老樹は囁く様に様々に話してくれた。
その行動は小学校に入っても中学校に入っても
変わらなかった。
お付き合いありがとうございますo(^-^)o
今日はここまで。。。
続きはまた。。。
