徳川家康の出自は世良田のエタヒニン | 海神くんの南関東鉄火場にて

徳川家康の出自は世良田のエタヒニン

1: そーきそばΦ ★ 2012/09/05(水) 00:10:59.54 ID:???0 AAS

県内の経済界代表らでつくる「徳川家康公顕彰四百年記念事業推進委員 会」の代表が31日、東京都渋谷区のNHK放送センターを訪れ、 「(没後400年にあたる)2015年の大河ドラマに家康公を取り上 げてほしい」と要望した。 一行は川勝平太知事、静岡市の田辺信宏、浜松市の鈴木康友両市長、 同じく家康ゆかりの愛知県岡崎市の柴田紘一市長ら35人。 静岡商工会議所の後藤康雄会頭が代表してNHKの松本正之会長に要望 書を渡した。 1963年に始まった大河ドラマに家康は何度か登場しているが、川 勝知事らは「時代を先取りしていた平和外交などの功績を改めて伝え、 世界へも発信できるようなドラマをお願いしたい」と希望。松本会長は 「家康の本は海外でもよく読まれている。(実現へ)検討したい」と応 じた。 要望後は都内で推進委の総会を開き、岡崎市の関係者が新たに役員に 加わることなどを承認した。

ソース 朝日新聞 http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php



そもそも徳川家康というのは、今の群馬県世良田の流浪サンカ、いわゆるエタヒニンで、本名を新田二郎三郎家康と言います。
つまり、徳川家でもなんでもないんですが、では何故世良田の流浪サンカの人間が今でいう将軍にまでなれたのかは、日本史最大のミステリーの一つだったりします。

これは僕個人の推測ですが、新田二郎三郎家康という人物は、朝廷から信長と秀吉を天皇の地位に尽かせないように命令された人物ではないかと推測しています。つまり、信長と秀吉は最終的には日本の王様、つまり、天皇の地位を狙っていた。しかし、皇室の血を引かない信長と秀吉が天皇の地位に就く事などあってはならない事と考えた朝廷が、工作組織の世良田の流浪サンカの長の新田二郎三郎家康に対し、信長と秀吉が天皇になる事を絶対阻止するように命令し、何とか信長と秀吉が天皇になる事を阻止したわけです。

その見返りに、将軍の地位を与えられた家康は世良田と利根川で繋がる江戸に経済の首都を築く事を認められたわけです。ただ、その際に自身の出自がバレるとまずいので、士農工商皮多非人という身分制度を設け、自身の本当の出自は最下層の身分というカモフラージュを敷いたわけです。

ただ実際は、皮多非人の身分の人々はかなり優遇されていました。皮多非人の人々には優先的に苗字が与えられ、優先的に利権も与えられました。この利権が同和利権として今も残っているのは言う間でもありません。

そもそも、屋号が与えられていた歌舞伎役者も皮多非人だし、服部半蔵を始めとする忍者も皮多非人ですが、今の皇居には、半蔵門という、皮多非人の名前から付けられた場所があるわけです。

ただし、関東には朝廷という王室が無かったので、朝廷のある関西ほど部落開放運動が広がらず、同和利権もそれほど大きくならなかったわけです。


というわけで、徳川家康と歴史上呼ばれている人物、新田二郎三郎家康が本当はどういう人物かを調べる事は、本当の日本史を知る上で一番重要な要素だったりします。