入職時の研修で、まず叩き込まれるのが施設の理念や理想だ。

その中で、耳を疑うような話が出てきた。


「いつか施設を無施錠にしたい。利用者が自由に生活できるように」


「ただ“出ないように”ではなく、“出てしまっても”地域や近所の人と関係を築いて安全を確保する。そのために近年は利用者と一緒にゴミ拾いなどを続けている」


・・・うん、言ってることはわかる。理念としては美しい。

でも正直、本気で言ってる?


ここは都内。

共働きが当たり前で、地域のつながりなんて絶滅危惧種。

各家庭は“もぬけの殻”状態。

そんな街で本当に成立すると思う?

いや、無理でしょ。


以前、サ高住で働いていたときのことを思い出す。

マネージャーに「来週、新しく担当してほしい人を紹介する」と言われた。

けれど、私はその人に会うことはなかった。


その人は認知症があり、雨の中ふらっと外へ。

長時間ずぶ濡れになり、風邪をこじらせて肺炎に。

あっという間に亡くなったからだ。

その施設も、やっぱり“無施錠”だった。


認知症の人たちの行動は、いつだって私たちの斜め上を行く。

想定外の動きをする彼らに、安全対策なんて本当に取れるのか?


理想を掲げるのは自由だ。

だが、その理想が誰かの命を奪ってまで追いかける価値があるのか。

現実を見据えたとき、“無施錠の夢”はただの無責任にしか聞こえない。


それでも今もなお、上層部はユートピア施設を夢見て、地域との繋がりとしてゴミ拾いを続けている。