日々頭を使うのは、ボケ防止になると言われています。人に会った買い物に行ったりするのも十分頭を使うのでボケ防止にはなると思いますが、日記を付けるのもいいかもしれません。
日記をつけることで、過ごしてきた日々の振り返りにもなりますし、どんな行動をしたか思い出すこともボケ防止に繋がるはず。さらにITに慣れている世代が高齢になってくることを考えると、自分の日記をブログで書く人も増えてくるのではないでしょうか![]()
ふとそんなことを考えていたら、自分の戦争体験をブログで綴っている82歳のおばあちゃんがいました。以下カナロコからの引用です。
「80歳ブロガー」が戦争体験を発信、若者に平和呼び掛け/横浜
戦争体験を若者に伝えたいと、横浜市都筑区に住む荒武千恵子さん(82)が「80ばあちゃんの戯言(たわごと)~聞いてほしくて」と題したブログで発信している。67回目の「終戦の日」を迎え、女学校時代の学徒動員や横浜大空襲などの様子を詳しくつづり、若者に平和について考えるよう呼び掛けている。
荒武さんがブログを開設したのは2009年3月。数え年で80歳になった年だ。03年に夫を亡くし、「自分も元気なうちに戦争体験を若い人に伝えておきたい」と考えていたところ、テレビで若者の間でブログが流行していると知り、近所で開かれた講習会に参加した。
かつてタイプライターの学校に通ったことがあり、ブラインドタッチはお手のもの。すぐに夢中になり、1日2~3時間はパソコンに向かうようになったという。
1930年に横浜市南区に生まれた荒武さんは、小学1年生の夏に日中戦争が起きた。43年に県立横浜第一高等女学校(現・県立横浜平沼高校)に入学したが、戦局は悪化し、学生生活にも暗い影を落としていた。ブログでは戦時中の女学校の様子が詳細につづられている。
”女学校の家庭科で最初に習ったのは、どの雑草のどの部分が食べられるか。次の時間はさつまいもの茶巾絞りでしたが、その次から物資不足でそういう授業もできなくなりました“
2年生になると学徒動員に駆り出され、鶴見区の製菓工場で「元気食」「航空耐寒食」と呼ばれる戦地の兵士へ送る食糧の包装容器を作った。
3年生になってすぐに横浜大空襲に見舞われ、本牧(中区)にあった家は焼けた。空襲後はさらに食糧事情が悪くなった。
”毎日のように、焼けた後に芽を出していたみょうがの細い茎の下の方の白いところが唯一のお野菜という日も続いて(中略)栄養失調で、坂の上り下りにはひざががくがくしたのを覚えている“
そして終戦。古いラジオでは玉音放送の内容が聞き取れず、夕方になって日本が負けたことを知った。
”私たちは久しぶりに電灯にかぶせた黒い布を取り払った。何かむなしいような、それでいてもう空襲の心配はなくなったという安堵(あんど)感と(中略)今後、敗戦国の国民として、どんな恐ろしいことが待っているのだろうかという不安感がない交ぜになって、なんともいえない夜を過ごした“
ブログには若者から反響もあった。中学生から「実体験を読ませてもらえて勉強になった」などのコメントも寄せられ、「戦争の苦しみを忘れないでもらいたい」と荒武さんも期待する。
ブログでは若者にこう呼び掛けている。
”戦争になってしまったら、なかなかやめられません。ネットで世界の若者とつながって、平和を一緒に考えていってください“
単に日記を書くのではなく、平和のために自分の戦争体験を書いてしまうなんてすごいおばあちゃんですよね。しかもブラインドタッチが出来るなんてすご過ぎます![]()
戦争を知っている世代がデジタルを活用し、紙離れが起きている若者に戦争体験を伝えていく。今後荒武さんのような高齢者がどんどん増えてくるかもしれませんね。
ちなみに荒武さんのブログはコチラ
結構更新してるのも驚きです(=◇=;)