義両親、無事、施設入所。
いや、義母はよく分かっておらず抵抗を示したようだけど、まぁ、施設の人たちで何とかしてくれたそうな。
昨日、一日、準備を手伝った。
義父は本、書類関係仕分け。それ以外、衣類だなんだは私が梱包。梱包したものを車に積む夫。
その分業でちょうどなんとか夕方に目処がついた。
大量な書類、この家に残されたらどうする?
と思ってたけど、黙々と作業して、ペットボトルのお茶のダンボール2箱のみ残すことになった。で、それを、
「ここに置いといて」
と言われ、私は拒否できずにいたのだけど、夫が
「持ってって」
とバッサリ言い切ってくれた。
他にも、この家にいろいろ残していこうとしてたけど、
「持ってって」と車に積んだ。
実は、密かに、物がたくさん残ったら嫌だなぁと思ってたので、夫が思いのほか、躊躇なく運び出してくれて助かった。
そして、夕べは最後の食事に娘たちも一緒にスシローへ。
どこがいいか聞くと、ほぼほぼ寿司。
そして、〆にラーメン(スシローのね)。
まぁ、しばらく食べられないだろうから、どうぞどうぞ。
そして、今朝。
最後のおむつ回収。最後の朝食。
昼前、義兄が来て、最後の荷物を積み込む。
どんなお別れの挨拶になるかと思いきや‥
何も言わずに車に乗り込み、手だけ振って去って行った。
あれ?
「長い間、お世話に・・」とか「いろいろ迷惑を・・」とかそういうの、
ない?
ない?
はぁ、ないんだ。ないんだね。
さすが、「ありがとう」も「ごめんね」も「お世話になってます」も「よろしく」も言えない人の親だけある。
なんて言ったら、その息子の夫はどうなる?なんだけど💦
最後にそんな悶々を残されたけど、この悶々はそのうち消えるはず。だって、目の前にいなくなったのだから。これまでは、どんなに頭の中から消そうにも、一つ屋根の下にいて音が聞こえ世話をしてるのだから、消えやしなかった。
それに、やっぱり、何と言っても、施設入所をすんなり受けれいてくれたのは大きくて、ちゃんと荷物も片づけて出て行ってくれるわけだから、呑み込もう。
なんてことを考えながら、寝室、和室の現状復帰に勤しむ私。
お天道様が味方をしてくれて、何回も回した洗濯物をどんどん乾かしてくれる。
義両親の寝具から、私たちの寝具まですべてきれいにして、然るべき場所に配置。
今夜から、自分の寝室でひとりで眠れる。
「当たり前が当たり前じゃないことに気づく」なんてセリフ、たまに聞くけど、ほんと、それ。
介護問題自体が終わったわけではないけれど、在宅W介護は幕を閉じました。
ほっ。