補論 4.国益に「尊敬・好意」を加えると何が変わるのか | 中国について調べたことを書いています

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2.香港・六七暴動
3.農業生産責任制と一人っ子政策
4.浦東新区から雄安新区へ
5.尖閣問題の解決策を探る
6,台湾は国家か

 4.国益に「尊敬・好意」を加えると何が変わるのか

今回、国益定義に「尊敬・好意」が加えられたが、このことによって何が変わるかを検討してみたい。ただ、最初に述べておくが、これによって何か日本の外交が大きく変わることはないと思われる。

なぜなら、現実の問題としてこの定義を参考にして日本の国益を考え直そうという議論になるとは思えないからである。また、この定義があろうがなかろうが、ソフト・パワーを全く無視して外交を考えている人もいないと思われる。

この国益定義は閣議決定で決められた。国会の議論を通じて決まったものではない。当然この国益定義も国会の場で議論されて決まったものではない。

また、この「国家安全保障戦略」文書は他の2文書とともに防衛3文書として発表された。いわゆる反撃能力の保有と防衛費のGDP2パーセントまでの増額が話題になっており、これらについては国会で議論がなされている。日本の外交政策の大転換となるものであり、大きな話題になったのは当然ともいえる。しかしそれに対して、国益定義の変更はほぼ無視されていると言ってもいいような扱いである。

ただ、それもある意味では当然なのである。

今回の国益定義の変更について御厨貴は以下のように述べている。

「国益論を始めたら、それをどう守るかの手段になる。赤字国債か増税かの対立のほか、自衛隊の位置づけなど憲法改正の議論にも及ぶ」(日本経済新聞「国益とは何か 議論深まらなかった77年」20221223日)それゆえ、「自民党は国益論から逃げたと言われても仕方がない」というのである。国家安全保障に国益定義は必要だが、それについて議論はしたくないということだろうか。あるは、反撃能力や防衛費増額のようなわかりやすい話題ではないため、議論しにくいのだろうか。

 

ともあれ、本稿では「尊敬・好意」が加えられたことを重視している。そして、これにより何が変わるかということを検討しておこうと思う。

 

(1)領土など死活的国益に加えて、既存価値としての「尊敬・好意」も守らなければならないということ

これは、「尊敬・好意」が損なわれないように努力しなければならないということである。しかし、この「尊敬・好意」は計測できないものである。失ってみて初めてわかるというようなものである。それでも守らなければならない。では、何を目標として設定すればよいだろうか。

これは日本に関心を持つ人の数とか世論調査や各種ランキングに注目するしかないだろう。

比較的わかりやすいのは訪日観光客数や留学生数などである。また、文化関連で言えば、世界的な音楽賞、映画賞、文学賞などや、大学ランキング、オリンピックのメダル数、ノーベル賞やフィールズ賞などの学術的な賞などなどである。こうしたものに目を光らせ、これらで高い評価を受けていれば、それを継続させることが必要となろう。政治的、外交的な面でいえば、日本が常々発信している「民主主義」「法の支配」「非核三原則」「専守防衛」「戦争放棄」「自由で開かれたインド太平洋」などと言った言葉に反するようなことをしてはいけないということでもある。

 

(2)外交政策の選択時に、尊敬・好意を考慮に入れて判断しなければならないということ。

これは文字通りであり、外交政策の選択がいままでより難しくなるということである。複数の選択肢がある場合、政治的立場や、経済的な価値だけで決めるのではなく、関係国の日本観を考えなければならない。空気を読まなくてはならない。

これは尖閣問題を例にして考えておこう。

当ブログでは、以前尖閣問題の解決策を考えてみた。

 

  https://ameblo.jp/kaiganressha/entry-12670926002.html

 

その際、戦争、実効支配の強化、共同開発、交渉で解決、国際司法裁判所提訴、譲渡、新棚上げ、現状維持といった解決策を挙げ、どれが最も国益を最大化できるかを検討した。

もちろん、当時は「尊敬・好意」が含まれていない定義を使用して検討した。

今回、「尊敬・好意」が追加されたのだから、これも考慮して検討し直さなければならない。それをきちんとやることは、今はしない。そのかわり、だいたいどんなことになるのかをざっと考えておく。

ひとつだけはっきりしていることがある。それは戦争、実効支配の強化といった案は、前回と同様今回も否定的になるということである。前回否定的に評価したのは、リスクが大きすぎること、それに見合うパワー(これはもちろんハード・パワーを指す)が足りないという理由であった。

今回「尊敬・好意」を考え合わせると、もし戦争という方策を選択すれば、間違いなく中国の親日派、知日派、日本ファンを減らすことになるため、やはり戦争や武力行使につながるような解決案は低い点数を付けざるを得ない。また、専守防衛や戦争放棄などの政治的価値観に大きく反する政策をとることは、それは日本の政策に対する不信感につながる。つまり尊敬されなくなり、好意を持って受け取られなくなるということである。

今まで以上にそういう案は採用しにくくなるだろう。

 

(3)その他

上記以外に、尊敬・好意を守れるだけのパワー(ソフト・パワー、またはハード・パワー)が必要であることを指摘しておく。文化に関して言えば、それを守れるだけのソフト・パワーが必要となる。具体的に何をもって文化関係のソフト・パワーというかはここでは議論をしないが、領土を守るのにハード・パワーが必要であるのと同様に、尊敬・好意を守るためにはソフト・パワーが必要である。

さらにパブリック・ディプロマシーの重要性が高まることも意味する。パブリック・ディプロマシーとは広報外交とも訳される。2の(2)でナイの「3種の力」の表のソフト・パワーの「政府の政策」欄にあったことばである。「パブリック・ディプロマシー」とは、外務省ホームページの説明では「伝統的な政府対政府の外交とは異なり,広報や文化交流を通じて,民間とも連携しながら,外国の国民や世論に直接働きかける外交活動のこと」だという。(外務省:https://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/faq/culture/gaiko.html )

通常のディプロマシー、つまり外交においては、主要なアクターは政府の外交部門である。何か外国と話し合ったり決めたりする場合、政府対政府で行う。日本であれば政府と外務省である。ここに一般の国民が関与することはない。それに対してパブリック・ディプロマシーは、日本の政府や外務省が、他国の国民に直接話しかけたり、情報を提供したり、交流を測ったりする。そのことで、親日派、知日派、日本ファンをふやそうというのである。その源泉となるのがソフト・パワーであるのは言うまでもない。

 今回、国益に「尊敬・好意」を加えたことで、パブリック・ディプロマシーの重要性が高まるのではないか。