(4-7)長江デルタ・珠江デルタ・閩南廈漳泉デルタ地区座談会 | 中国について調べたことを書いています

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1.中国広東省の深セン経済特区の成立過程
2.香港・六七暴動
3.農業生産責任制と一人っ子政策
4.浦東新区から雄安新区へ
5.尖閣問題の解決策を探る
6,台湾は国家か


前回書いた通り上海市が策定した経済発展戦略を中央が承認したのは1985年2月だが、この少し前に、中央は次の一手を打った。それは1985円1月に行われた「長江デルタ・珠江デルタ・閩南廈漳泉デルタ地区座談会」である。この内容は1985年1月31日に「長江デルタ・珠江デルタ・閩南廈漳泉デルタ地区座談会紀要」(长江、珠江三角洲和闽南厦漳泉三角地区座谈会纪要)という文件として出された。
この3つのデルタ地域にはかなりの共通点がある。
長江デルタは上海を中心とした沿海地域であり、その背後には蘇州や南通といった伝統的な経済地域が控えている。珠江デルタは香港、深圳、東莞、広州と都市が連なり、その対岸にはマカオと珠海がある。閩南デルタは、アモイを中心に、泉州、漳*がある。いずれも、沿海の主要都市を中心にして、いくつもの都市が連なっている。いうまでもなく、珠江デルタと閩南デルタには、経済特区が設置されている。

この紀要には、以下のように書かれている。

「まず長江デルタ、珠江デルタと閩南廈漳泉デルタ地区、引き続き遼東半島、胶東半島を沿海経済開放区として開拓することは、我が国が更に一歩改革と開放を実行するという新しい情勢の下で、沿海経済発展を加速し、内地経済の開発を促進するための重要な戦略的部署であり、重大な意義を持っているということが、全会一致の認識である」

 この3つのデルタ地帯を開拓し、そのあとには、ここに遼東半島、胶東半島全域を加えることにより、線というより「帯」にしてゆくわけである。なお、胶東半島というのは山東半島の東側の煙台、威海、青島を指す言葉である。

そのあとは、おおむね以下のようなことが書かれている。
「(要約)沿海の経済はこれまで大きな発展を遂げてきたが、あるべき成果は得られていない。沿海地域は内陸、そして全国の開発の拠点とならなければならない。沿海は、広東省、福建省の特殊政策柔軟措置、海南島の経済開発、沿海14都市の開放によって開発の成果が上がっている。これを基礎として、これを対外開放の経済地帯として開拓していかなければならない。経済特区―沿海開放都市―沿海経済開放区―内陸というふうに、沿海と内陸の経済開発を密接に結合してゆくことで、東部と西部の関係の問題を解決し、それを我が国経済の全面的な振興につなげ、人民の普遍的な豊かさにつなげてゆかなければならない。
長江デルタ、珠江デルタ、閩南廈漳泉デルタ地区は、沿海経済開放区として、経済特区、沿海開放都市と同様に、我が国の対外経済連携の橋梁であり、有用な輸出基地でもある。そこで海外の先進技術と設備を引き入れ、吸収し、消化し、創造革新し、内陸部に移転し、科学技術の進歩を推進する。
そこでフィルターにかけ、社会化の大規模生産という要求に適合する国外の経営管理方式を移植し、それを全国の経済体制改革の模索の経験とする。そこを沿海で生産する”洋貨”を内陸部に販売し、国内市場を繁栄させ、人民の需要を満足させる。そしてとりわけ重要なのは、世界に向けて、輸出を発展させ、国際市場を開拓し、我が国の外貨収入の増加に貢献することである」

これまで開放した沿海14都市を「拠点」とし、これを「経済地帯」としてゆくというのである。文字通り「点」を「線」に変えてゆこうというのである。

この紀要は2月18日に中央、国務院で承認された。(中共中央、国务院关于批转《长江、珠江三角洲和闽南厦漳泉三角地区座谈会纪要》的通知)承認時には以下の内容が付された。

「この3つの経済開放区は徐々に貿易‐工業‐農業型の生産構造を形成しなければならず、輸出貿易の需要に応じて加工工業を発展させ、加工の需要に応じて農業とその他原料の生産を発展させなければならない。この中心を囲む形で、合理的に農業構造を調整し、技術の引き入れと技術改造を真剣に行い、製品を不断に質を上げ新製品に切り替えてゆき、輸出の発展に力を入れ、外貨収入を増加させ、対外貿易の重要な基地にしなければならない。同時に、内地の経済との連携を強め、共同で資源を開発し、協力し合ってブランドの高品質製品を生産し、人材と技術の交流を行い、内地経済の発展を促し、対外経済連携を拡大する窓口にしなければならない」

中央としては、対外開放を行うことより、工業・農業・貿易を一体として発展させてゆこうという、かなり大きな目標を上げている。そして対外開放の成果を内陸部へと拡大してゆきたいというのである。
中央としては農業を無視するわけにはいかないと言ったところだろうか。しかし、上海市は農業についてはそれほど重視していないように見える。事実、浦東の開発では、農業の発展と言うのはほとんど考慮されず、貿易、経済、金融といったほうにもっぱら目を向けているように思える。

なお、上海市長は1985年7月に汪道涵から江沢民に代わる。これは汪の任期満了によるものだが、副総理の万里が汪に後継はだれがよいかと意見を求めたところ、汪は当時中央の電子工業部部長であった江を薦めたという。(他改変了中国)

また、1984年に経済技術開発区に指定された都市は14であったが、1985年にはここに遼寧省の営口市が追加された。(ちなみに1988年には山東省の威海市も追加され、全部で16都市になった)