(11-3)1982年1月1日『全国農村工作会議紀要』(1号文件) | 中国について調べたことを書いています

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1.中国広東省の深セン経済特区の成立過程
2.香港・六七暴動
3.農業生産責任制と一人っ子政策
4.浦東新区から雄安新区へ
5.尖閣問題の解決策を探る
6,台湾は国家か

 

1980年11月~1981年1月に林彪と四人組の裁判が行われ、死刑、無期懲役などの判決が下された。文化大革命は内乱や人民の弾圧などとされ、彼らの罪とされた。後に死刑は無期懲役に減刑された。江青は自殺し、王洪文は獄中で病死した。

 

1981年6月の11期6中全会で華国鋒は党主席、党中央軍事委員会主席を解任される。既に事実上権力は奪われていたが、これで名実ともに権力を全て手放したことになる。華国鋒にかわって胡耀邦が党主席に、鄧小平が党中央軍事委員会主席に着任した。いずれも鄧小平が引き揚げたものである。ここに党=胡耀邦、国務院=趙紫陽、軍=鄧小平という鄧小平体制が完成することになる。

 

1981年6月の11期6中全会で「建国以来の歴史問題に関する決議」が採択された。文化大革命は「全局面における長期間の左傾の重大な誤りである」とされ、毛沢東が「主要な責任を負う」との判断がなされた。毛沢東は「偉大なるプロレタリアート革命家」であるとされつつも、文化大革命に関しては過ちだったとする。既に判決の下った四人組裁判と合わせて、これで文化大革命の評価が定まったことになる。

 

https://view.news.qq.com/a/20140811/014375.htm

 

 

1982年1月1日『全国農村工作会議紀要』《中共中央批转全国农村工作会议纪要》(1号文件)で包産到戸は正式に認められた。

 

「現在実行されている各種の責任制、つまり小規模な土地での労働請け負い定額報酬計算、生産量に連動した労働、包産到戸・到組、包幹到戸・到組等々は全て社会主義集団経済の生産責任制である。どんな形式を取ろうとも、民衆が改変を望まない限り、変えることはない」

 

この文書では、集団化、土地公有、計画経済といった社会主義の農業と、包産到戸がどのような関係にあるのかを詳しく説明しているが、繰り返しになるのでここでは説明は省略する。

ただ、この文書は、1950年代から何度も繰り返されてきた包産到戸の是非をめぐる議論の最終的な結論である。その意味で歴史的な文書である。

 

http://www.chinalawedu.com/falvfagui/fg22016/12337.shtml