(11-2)1980年の安徽省と「大寨」の否定 | 中国について調べたことを書いています

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1980年1月24日、万里が小崗村を訪問し、彼らを支持することを伝えた。(万里191)これまで万里は小崗村のやりかたを黙認していたのであるが、ここで正式に支持を表明したわけである。このすぐ後に万里は安徽省を離れ中央へ戻る。この時期に小崗村を訪問したのは、それなりの意図があったのだろう。

 

1980年2月に万里は安徽省を離れ中央へ戻り、農業の担当となる。

万里はもともと中央で国務院の鉄道部長をしていた。1977年6月に安徽省へ赴任したのだが、この時期に中央へ戻ってくる。中央から地方へ行き、地方で実績を積んで中央へ戻るというのは、いわば出世コースのようなものである。万里は安徽省で実績を上げ「食糧が欲しければ万里を訪ねろ」と言われるほどの実績を上げた。それを受けて、中央へ呼び戻されたことになる。ここには鄧小平の意向が大きく反映されていることは言うまでもない。同じく四川省で成果を上げた趙紫陽が中央に呼ばれたのも、同様の事情であろう。

 

1980年6月15日、人民日報に「二度とふたたび『西水東調』のような馬鹿げたことはするな」(再也不要干“西水东调”式的蠢事了)という記事が載った。

 

山西省昔陽県の『西水東調』工事は、4、5年やって、500万近い労働力(引用者注:人日のことか?)を投入し、数千万元を投資し、最近遂に中止になった。これは農田水利建設工事での極めて厳しい教訓であり、深く考えてみるに値することである」

 

「いわゆる『西水東調』は、昔陽県境の西部から黄河水系の瀟河に流れ込む水が、人工で掘られたトンネルを通って太行山を貫き、地下から東へ向かって流れ、昔陽の5つの公社を経て、再び海へ注ぐ水系へ流れ込むというものである。これはまさに『天を変え地を換える』(改天換地)ような大工事である。ここ2年、この工事に山西省の水利経費の10分の1が使われ、徴用労働力は昔陽県の各社隊の労働者を含む。機関、工場鉱山、企業、事業の幹部、労働者、教師、洛泉鉱務局の石炭労働者、解放軍工程兵の指揮官・戦闘員は製造コストを惜しまず、人民も労働力を惜しまなかったといえよう。概算によれば、全ての工事が完了すれば、全ての田に水を注ぐためのコストは、1ムー当たり1000元余りに達する」

 

「これは我々に問題を投げかけてくる。農業の発展はいったい何に頼るべきなのか?我々は、長い間農業を、1つには運動、2つめには『大幹』に頼ってやってきた。現在、きりのない政治運動が広大な農民と農村基層幹部の積極性を大きく傷つけ、結果として『あなたが私を痛めつけるなら、私はあなたを痛めつけ、お互いに痛めつけ合っているうちに、誰もが痛めつけられてしまった。あなたが昇進すれば、私は降格し、昇進したり降格したりしているうちに、誰もが降格してしまった』のである。このような愚かなことを、我々は二度とふたたびすべきではない

 

http://yuqing.people.com.cn/n/2014/0411/c357068-24880377.html

 

この記事は昔陽県(大寨のある県)の大水利工事が無駄であることを訴えている。いまさらという感じもあるが、これにより大寨は否定され、大寨を象徴するような集団による大規模な水利工事さえ、無闇な指揮によるものだとされたのである。また、この記事ではまた、山西省がかなりの金を出していることを述べている。これは大寨の自力更生さえも否定しているかのようである。