神戸市立博物館
『遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア』(2017年)



こちらも母と一緒に観てきましたニコニコ
まず、日本史の教科書にも載っていた「天正遣欧少年使節」について、ちょいと説明を。。。

天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)は1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団。イエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案。1590年(天正18年)に帰国。

ヴァリニャーノは自身の手紙の中で、使節の目的をこう説明している。
・第一はローマ教皇とスペイン・ポルトガル両王に日本宣教の経済的・精神的援助を依頼すること。
・第二は日本人にヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを少年達自ら語らせることにより、布教に役立てたいということであった。

Wikipediaより)

今展は、天正遣欧少年使節の足跡をたどりつつ、一行が訪問したイタリア各都市のルネサンス芸術を紹介するものですキラキラ

まず、展示構成は、
・プロローグ
・第1章 トスカーナ大公国
・第2章 ローマへの旅
・第3章 ヨーロッパ都市の女王 : ローマ
・第4章 ペーザロとイモラ
・第5章 エステ家の都市 : フェッラーラ
・第6章 ヴェネツィア、「驚嘆の都市」
・第7章 パドヴァ、ヴィンチェンツァ、ヴェローナ
・第8章 ゴンザーガ家の宮廷
・第9章 ミラノ
(展示総数67点)


少年使節のメンバーは、伊東マンショ(主席正使)、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ。(+その他随行員)
派遣当時の年齢は13〜14歳だったそうな。

……といったところで、おもな展示作品をご紹介~音符


◆ プロローグ

・1582年2月20日、使節団は長崎から出航。
・1584年8月11日、ポルトガルのリスボンに到着。
・1584年10月20日、スペインのマドリードに到着。
・1584年11月14日、スペイン国王フェリペ2世に謁見。


アブラハム・オルテリウス[編]
ルイス・テイシェイラ[画]
《日本地図》
銅版画に手彩色
1602年(1595年初版) 42×54.5
東京富士美術館

ヨーロッパで刊行された地図の中で、最初に単独で日本を取り扱ったもの。
文字が小さくて見にくいけれど、四国は「TONSA(土佐)」、九州は大友宗麟ゆかりの「BVNGO(豊後)」と呼ばれていたようです。


◆ 第1章 トスカーナ大公国

・1585年3月1日、トスカーナ大公国のリヴォルノに到着。
・1585年3月7日、首都フィレンツェに到着。


アーニョロ・ブロンズィーノ
《ビア・デ・メディチの肖像》
板に油彩 1542年頃 64×48
ウフィツィ美術館

今回の目玉ですよ〜キラキラ

初代トスカーナ大公コジモ1世が妻を迎える以前に、別の女性との間に生まれた子どもなのだそう。
父のコジモ1世はビアを溺愛したそうですが、この作品が描かれた年の1月に、5歳か6歳で亡くなっているらしいタラー


アレッサンドロ・アッローリの工房
《ビアンカ・カペッロの肖像》
板に油彩 1578年以降 95×71
ウフィツィ美術館、パラティーナ美術館および王の部屋

第2代トスカーナ大公フランチェスコ1世の、二番目の妃。
使節団一行がピサに滞在中、舞踏会を主催して少年使節たちを招待したとのこと。
その際、ビアンカ自身が伊東マンショの手を取って踊った、というエピソードが残っているそうな。


そのエピソードのお相手が、こちら↓キラキラ

ドメニコ・ティントレット
《伊東マンショの肖像》
キャンバスに油彩 1585年 54×43
トリヴルツィオ財団

本当は「第6章 ヴェネツィア」で登場するんですが、
先に紹介しちゃいますタラー

使節団がヴェネツィアに滞在した折に、ドゥカーレ宮殿の大評議会広間で披露するという目的で、ヴェネツィア共和国がヤコポ・ティントレットに発注した作品。
(のちに息子のドメニコが完成させました)

長い間、実在するのか不明とされてきた絵ですが、
2014年に発見されたそう 目

シニョーリア広場(フィレンツェ)のライブカメラ →
(画面左にあるのは、初代大公コジモ1世の騎馬像です)


◆ 第2章 ローマへの旅

ジョヴァンニ・ストラダーノ[下絵と原画]
メディチ宮廷付き綴れ織り工房
《布幕を用いた狼の狩猟》
水平織機による綴れ織り
1574-75年 379×761
ウフィツィ美術館

メディチ家の別荘の部屋を飾るためコジモ1世からの注文で制作された、狩猟を主題とする36枚からなる綴れ織り作品のうちの一枚。

狩猟は君主や貴族たちの娯楽のひとつですね。
使節団が行く先々で歓待され、彼らのために狩猟が行われた、との記録が多数残っているそうです。


◆ 第3章 ヨーロッパ都市の女王 : ローマ

・1585年3月22日、ローマに到着。
・1585年3月23日、教皇グレゴリオ13世に謁見。
・1585年4月26日、新教皇シスト5世に謁見。


ヤコポ・ズッキ
《銀の時代》
板に油彩 1574-75年頃 50×38.5
ウフィツィ美術館

《黄金の時代》の対となる作品として制作されたもの。
主題はオウィディウスの『変身物語』で、
画面中央にはギリシャ神話の正義の女神アストライア。
彼女の右にある石板には「お前は顔に汗を流してパンを得る、土にかえるときまで」と書かれているそうな。
「人間の5つの時代」のうちの「銀の時代」を描いたものです。

★「5つの時代」(ギリシャ神話)の解説はこちら →


◆ 第5章 エステ家の都市 : フェッラーラ

パドヴァニーノ
(ティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品に基づく)
《バッコス祭(ナッソスのアリアドネ、もしくはアンドロスの人々)》
キャンバスに油彩 1616-23年 175×188
カッラーラ美術館

ティツィアーノの連作《バッコス祭》のうちの一枚の
忠実な模写らしい。


◆ 第6章 ヴェネツィア、「驚嘆の都市」

・1585年6月26日、ヴェネツィア共和国に到着。
・1585年6月28日、総督ニコロ・ダ・ポンテに謁見。


ティントレット
《レダと白鳥》
キャンバスに油彩 1550年頃 162×218
ウフィツィ美術館

白鳥に誘惑されるスパルタの王妃レダの物語。
オウィディウスの『変身物語』に収められている有名な神話のひとつで、たびたび絵画や彫刻の主題になってます。

★「レダと白鳥」(ギリシャ神話)の内容はこちら →


パオロ・ヴェロネーゼ
《息子アンテロスをユピテルに示すヴィーナスとメルクリウス》
キャンバスに油彩
1561-65年頃 150×243
ウフィツィ美術館

こちらも神話を題材にした作品です。
愛と美の女神ヴィーナスにはエロスという息子がいました。
が、いつまでたってもエロスが幼子の姿のままなので母ヴィーナスは心配していました。
ある日、掟の女神テミスから神託が下ります。その内容は、
「エロスに弟が生まれれば、エロスは無事に成長するだろう」というもの。
その後ヴィーナスは、アンテロスという息子を授かります。

で、この絵は、商業の神メルクリウスに付き添われたヴィーナスが、エロスと赤ん坊のアンテロスとともに、最高神ユピテルのもとへ神託が成就するようお願いに来た場面…??
ユピテルは、画面の右上に「すね」だけが描かれてます。
その足元には黒い鷲がいますね。鷲はユピテルの象徴なので、
そこにユピテルがいるということを暗示してるんですね。


チェザーレ・ヴェチェッリオ
《サン・マルコ広場での聖十字架の行列》
キャンバスに油彩 1586年頃 134×194
コッレール美術館

この行列は、宗教的な祝祭の日もしくは総督(ドージェ : ここではヴェネツィア共和国の元首)が選出されたときに行われていたらしい。
1585年6月26日に使節団がヴェネツィアに到着したとき、本来なら6月25日に開催される「聖マルコ出現の祝祭」の行列を、一行が観覧できるように特別に4日延期して挙行してくれたのだとか。
総督、グッジョブ!グッ

サン・マルコ広場(ヴェネツィア)のライブカメラ →


このあとも、パドヴァ→ヴィンチェンツァ→ヴェローナ→ミラノ→ジェノヴァ→スペイン→ポルトガルと、キリスト教国見聞の旅は続く。。。
そして1586年4月12日頃、ポルトガルから帰路につき、
長崎に戻ったのは、1590年7月21日だそう。
出発から帰着まで約8年半!ポーン
(よくぞ皆ご無事で〜!)


この旅で少年使節が受けたカルチャー・ショックは、どれほどのものか…
とにかく、とてつもない体験だったろうと思うのだけど、
「まことキリシタンの国は素晴らしい。さあ、われらも布教に励むぞ!」(←推測)と誇らかに帰国したはずの日本では、皮肉にも豊臣秀吉が伴天連追放令(1587年)を出していたんですよねタラー
そのため、その後、彼らの中には殉教や国外追放にあった者もいるというのが、なんとも…涙目でした。


『遥かなるルネサンス 天正遣欧少年使節がたどったイタリア』
◆2017年4月22日(土)-7月17日(月・祝)
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