本当に脳が壊される「コンプライアンス」洗脳の怖さについて、よくわかるニュースをやっていた。

(「コンプライアンス」は法律用語では無い)
「コンプライアンス」という考え方は、そもそも、「企業が未来の未知のトラブルを事前に回避する目的」のものです。
ですから、
・「コンプライアンス」の中身には、「法令順守」部分と、「誰かが憶測で思いついた善悪論や倫理感」が混ざった概念です。
ここに、「コンプライアンスという言葉を巧みに利用したパワハラや詐欺被害の手口」があります。
「コンプライアンス」は、そもそも法律用語では無く、守る義務は存在しないもので、それを根拠にして、最近のパワハラやブラック企業の多くでは、頭が悪い上司などが、
・「お前は、コンプライアンス違反をしたから減給だ。とか、クビだ」とか、さらに悪い企業では、「お前は、コンプライアンス違反をしたから罰金だ。とか、会社に迷惑をかけたのだから、この高額な罰金を支払うまで会社を辞める事は許さない。だとか、さらに、罰金を支払えないのであればと、レイプされる」いう法律的な根拠の無いパワハラやブラック企業の詐欺や犯罪の手口として使われるように変わっています。
「コンプライアンス」は法律用語では無いので、「そこまで強力な命令を行使できる根拠とは成り得ない」にも関わらず、そういった「コンプライアンス」を根拠にした、パワハラ、セクハラ、レイプ被害や、「法律的に根拠の無い罰金を支払え」だとかいうブラック企業被害に遭った場合には、きちんと弁護士に相談したり、経営者を逮捕しましょう!

こういった勘違いが発生し、間違って社会に定着してしまった理由は、
・「コンプライアンス」=「法令順守」と間違って翻訳された。
事が大きな問題です。
・「コンプライアンス」の中身には、「誰かが憶測で思いついた善悪論や倫理感」が混ざった概念が含まれていて、「そもそも倫理学も善悪論も、そんなに単純に結論の出る問題では無い」のに、「ディベート(討論)の機会すら与えずに、あたかも、「コンプライアンス」が決定事項であるように振る舞う、頭の悪い馬鹿な経営者などの「命令」のいい面目として使われている事は、日本国憲法に違反する行為です」
それ以前に、
・「ディベート(討論)」の機会が存在していないわけですから、「人間がどんどん馬鹿になっていく」特徴があります。
まずは、
・「コンプライアンス」という言葉をまったく抜きにして、「実際に起きている"真実"の情報をきちんと見た上で、ディベート(討論)を自由にさせる」というプロセスを常に行って、常に、最新の情報に更新していかないと、「人間がどんどん馬鹿になっていく企業や国」の誕生です。

とてもわかりやすい例が、次の「自民党の性的パーティー」に関する「薄っぺらい内容のニュースとコメント」を見れば、とてもわかりやすいので、政治家よりも、100倍以上賢い自分が、「本当の真相」がとてもわかりやすいように説明を書いていきます。

(「自民党の性的パーティー」に関する加藤鮎子大臣が過激ショーを非難「自民党組織のダイバーシティ進んでいない」)
https://www.fnn.jp/articles/-/669742
『加藤大臣は、青年局の役員経験者の立場でコメントするとした上で「会の趣旨にそぐわない極めて不適切な内容の余興が企画・実施され、国民の不信を招いたことは誠に遺憾だ」と述べた。
さらに、懇親会を企画した和歌山県議がダンスショーは多様性の観点で発案したなどと説明したことについて「ダイバーシティや多様性という言葉が用いられたようだが、政府が目指すこれらを尊重する社会とは文脈も次元も異なるもので、仮に女性の参画がしっかりと確保されていたのであれば、あのような演出にはならなかったであろうということを考えると、自民党の組織のダイバーシティやインクルージョンが十分に進んでいないという問題が今回の事案の根底にあると認識をしている」と指摘した。』

まず、根本から、加藤大臣の方が、「ダイバーシティやインクルージョン」を理解しておらず、「誰かの主張以外の人の意見は排除する」という意味になっていて、逆の事を言っている。
「ダイバーシティやインクルージョン」というのは、「多様性を認めて、まず、相手の意見を聞く」という概念で、「キャバクラに勤める人の意見も尊重する」必要はある。
にも関わらず、加藤大臣の主張は、「ダイバーシティやインクルージョン」では全く無く「フェミニズム」の意味で言っている。

<本当の真相>
最近のマスコミは、昭和のジャーナリストに比べて、本当に薄っぺらくなってしまって、「真相」の100分の1にも到達していない。
今回の「自民党の性的パーティー」については、自分ならば、100倍位、もっと深い本当の真相にまで辿りつける。
まず、今回の「自民党の性的パーティー」の映像を見て、自分がすぐに気がついた事は、
(1) 「ああ、このキャバクラのやり方は、ヨーロッパとかのポールダンサーがいるバーとかの手法だな」とすぐに気がついた。
海外旅行へよく行く人ならば、すぐに気がつく真相で、本当に、この映像から読み取らなければいけない内容は、
この手法をしている、主に、「ヨーロッパとかのポールダンサーがいるキャバクラバー」は、「実は、マフィアが経営している店」で、いわゆる日本で言えば、「暴力団経営店舗」の事です。
さらに、この映像から読み取れる事は、
・「なぜ?口移しでチップを女性が渡し、体の隅々までいじくり回されなければいけないのか?」という真相は、「ヨーロッパのマフィア経営バーでは、まず、町中で適当な若い女性を探してきて、簡単で高額の給料のお仕事があるよ。などと誘い出して、若い女性が興味を持ったら、はじめは普通に働かせはじめて、少ししたら、高級ワインなどを割らせるように仕向ける。それで、その被害額を支払えないならなどと脅す。次に、給料を減額するなどで支払えみたいな口実に使われます。ですから、「なぜ?口移しでチップを女性が渡し、体の隅々までいじくり回されなければいけないのか?」という真相は、「チップを貰わなければ、生活していけない所にまで給料が極限にまで下げられている」のです。
加藤大臣の方が、「ダイバーシティやインクルージョン」を理解しておらず、「キャバクラに勤める人の意見も尊重する」という姿勢が欠如してしまった事で、「救えたはずの女性の権利が救えなかった」という事が理解できると思います。
ですから、この問題は、「日本の暴力団や海外マフィアと政治家や法律家、裁判官、警察官が本気で戦う意思があるのか?を問われる」という内容だった事が、本当の真相にはあるわけです。
また、この件について、岸田総理がすぐに大臣のコメントを受けて、「私も、これは、ダイバーシティとは言えない」という判断を言っているが、これは正しくて、この発言を内閣総理大臣がした事で、「日本は、ウクライナマフィアには従わない」という強いメッセージになっているからです。
「ヨーロッパのマフィア経営バー」は、当然、ウクライナマフィアにもある。
(2) この「自民党の性的パーティー」の真相は、
・最近、「オーバーツーリズム」が盛んに言われる日本ですが、最近は、外国人観光客から、「日本は、ナイトスポットが少ないから、芸者売春遊びなどができるように増やしてくれ」みたいな、馬鹿みたいな要望が増えてきている。
・安倍総理が行った「外国人技能実習生を増やす」政策の結果、「実際には、技能実習生を名目にして入国し、日本で仕事をして稼ぐ」人がほとんどだったが、「3Kと呼ばれるきつい仕事を、本来許可されていないで仕事をさせてもらうという立場なので、ブラック経営者側からは、法律以下の桁違いに安い給料で、極端にきつい仕事に従事させられ続けるので、逃亡する外国人技能実習生が多発した。そういった人達は、最終的に、新宿歌舞伎町で売春をして暮らすようになります」
ですから、「日本国内にも、ヨーロッパマフィアの拠点ができる所だった」わけです。
この「自民党の性的パーティー」の映像を見て、自分が読み取れる真相の内容としては、「なぜ?口移しでチップを女性が渡し、体の隅々までいじくり回されなければいけないのか?」という、あまり日本では見かける事が少ない「ヨーロッパマフィアのバーの手法が使われていた」という事を見抜いた所にある。
にも関わらず、この「自民党の性的パーティー」に関する、薄っぺらい最近のマスコミの主張は、「ただのセクハラだ」という、かなり薄っぺらい内容しか読み取れていない。
問題な事は、要するに、
・「自民党の性的パーティー」に参加した議員や役員達は、「マフィアや暴力団と知らない間に接点ができてしまっている危険性」について指摘しなければいけなかった事で、厳罰では済まされない「暴力団や海外マフィアに関係する拠点へ、政治家達や役員達は、頻繁に出入りしているクセがすでについてしまっているのではないか?」という刑事告発事件相当の案件だった事に問題がある。(暴力団と政治家、役員の癒着問題)

<「ダイバーシティ、インクルージョン」問題について>
本当に脳が壊される「コンプライアンス」洗脳の怖さについてですが、「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」問題について、それが不可能である事を知るべきです。
まずは、「現実を見ろ!」、「真実から目を背けるな!」という所から、きちんとスタートしないから、「頭が幼稚な結論」で終わってしまい、「ディベート(討論)ができないまま、薄っぺらい結論になってしまう」欠陥をさらす。
現在、政治家などが言っている、「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」という概念は、「幼稚園で教える」といった程度の低い所でしか機能できない、かなり浅はかで薄っぺらい考え方で、そもそも「不可能」です。
海外旅行へよく行く人ならば、次のような事を知っていて、「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」という概念は、幻想だ、実現は100%絶対に不可能だと断言できる「現地の本当の現実」について知っています。
わかりやすいように、「海外の本当の真相の現地にある因習」の話を書けば、すぐに、「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」という概念は、幻想だと、すぐに理解できる。
まず、「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」という概念で実現したい事として、理想論的に語られている内容は、「人種や国籍、性別、性格、学歴、宗教などで差別されず、個々の多様性を尊重できる社会を目指す」と書いてあるのですが、「海外の本当の真相の現地にある因習」を知っていれば、「それが、絶対に!100%不可能であると断言できる!」事だけは確実に理解できる。

(「人種や国籍、性別、性格、学歴、宗教などで差別されず、個々の多様性を尊重できる社会を目指す」事が絶対に不可能である、「海外の本当の真相の現地にある因習」の例)
自分は仏教の僧侶の家系なので、海外の仏教関係の宗教の因習に関する「海外の本当の現地の真相」について書くと、

(1) 「ジャイナ教徒」への差別
インドでは、「ヒンドゥー仏教」というインドの神々も含まれた仏教が主流ですが、「ジャイナ教徒」は珍しく日本と同様の仏陀の仏教をメインにしている宗教なのですが、仏陀の教えの「殺生をしてはいけない」を厳密に守る為に、「全裸で生活をしています(衣服を作ったり洗濯などをする時に、少なからず殺生をしてしまう恐れがある為)」
「ジャイナ教徒」の「全裸生活」を、「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」で学校や会社の社会の中で認める事はできますか?「不可能でしょう」という話です。
だから、「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」という概念は、幻想だと、「実際に、海外旅行へよく行く人達は現地の本当の因習の社会の真相を知っているので断言できる!」というわけです。

(2) 「タイ」の呪物信仰宗教
「タイ」も仏教国なのですが、仏教が伝わる前の「タイ」は、精霊信仰でした。
精霊信仰から、「魂の概念の仏教」が混ざってしまったので、「タイ」では独特の解釈をした因習が発生しました。
現在、「タイ」へ海外旅行へ行けばわかる通り、
・「タイ」の呪物信仰宗教は、とてもではないが、「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」で、「多様性を尊重する社会」の中に溶け込ます事は、100%不可能で、まず「刑事事件に発展する」事だけは確実です。
「タイ」へ海外旅行へ行けば、「お守り、チャーム」売り場というのがあるのですが、「実は、これが、恐ろしい呪物です」

(「タイ」の呪物の例)
・ナンマンプライ(nam man prai)
本物の遺灰や体液をペンダントなどに埋め込み呪物にした物。
本物の遺灰を土などを混ぜて固めて、仏像などの形状にしてある事も多いので、「タイで、お守りの仏像のお土産を買った!」と言って、友人や家族に渡したりすると、「本物の遺灰で作られた仏像である」事が多いので注意!
基本的には、現地では、降霊術のネクロマンサーによって、「きちんと、この遺灰で作られた呪物に魂を入れてある」手続きをしてあるので、こういった「タイ」の呪物が、「お守り」として機能するには、当然、日本のお盆やお墓参り同様にして、「きちんとした現地語のお経の文句が書かれた説明書と一緒に売られているので、きちんと霊魂供養を毎日欠かさず行わないと逆に祟られる」ので、呪物の分類になっている。
問題な事は、「タイ」の呪物の考え方の異常性で、
・できるだけ苦しい怨念を持って死亡した遺体から取れた遺灰や体液の方が効果が高いと信じられているので、「妊娠したまま出産できずに亡くなってしまった母親の遺体と、お腹にいるままの胎児の遺体」のような、かなり強力に強い「後悔の念や、未練の念が強く残っている遺体から取れた遺灰や体液の方が効果が絶大に高い」と信じられている。
タイ人の考え方としては、「強い怨念の入っている遺体から取れた遺灰や体液を原料にして作られる呪物は、その霊魂が守ってくれる」ような考え方で、そういう異様な呪物をたくさん作って、お守りにする「因習」があります。
さらに問題な事は、こういった「タイ」の呪物を作る為に、より悲惨に殺害する殺人事件が起きる事です。

(「タイ」の呪物売り場のホームページに書かれている内容)
https://www.thailandamulet.net/nam-man-prai-and-metta-oils/#!/Nam-Man-Prai-Metta-Oil-See-Pherng-Love-Potions/c/958766/offset=60
『(Nam Man Prai Phii Dtaay Hoeng)
ナムマンプライオイルは、不自然な状況で、恐怖やストレスで死ぬ前に「叫びながら死んだ」人の遺体の顎の下から抽出される。妊娠中に不自然な死を遂げた女性(ダーイ・ホン)の遺体を、その過程で母子ともに死亡し、一緒に生きたまま埋葬することを要求するバリエーションです。

(Nam Man Prai Kumarn Tong)
暴力的または突然の状況で死亡した赤ん坊から直接抽出された脂肪で、多くの場合クマーンを火で焼くことによって行われます。』
というような事が書かれているので、Qアノン陰謀論の人がよく言っている「アドレノクロム」陰謀論の出典の最初の根拠は、これかもしれないので、「現実の真実の方の海外の因習の情報」で、どちらかと言えば、「海外旅行情報」の「お土産、お守り」情報という辺りに入る、タイでは普通の現地情報です。

・シープーン
女性の体液で作られた呪物。

・プラクルアン(プラピム)
粘土などで作られた小さい仏像のお守りだが、「高尚な僧侶の遺髪」が混ぜられている事がある。

・クルアンラーン
「プラクルアン(プラピム)」が仏像以外の形に成形されているタイプの場合。

・クマントーン(Kumarn Tong)(Kuman Thong)
亡くなった赤ん坊や胎児の遺灰と、土やハーブなどを混ぜて作る呪物。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kuman_Thong

・クマンニー(Kuman Nee)
クマントーンの女児版

・ルーククローク(ルッククロック)
赤ん坊が産まれてこれずに、堕胎してしまった水子を、そのままミイラ化して呪物として利用するもの。
現代では、死体遺棄に当たるので所持していると逮捕されるが、「古いタイの民家の天井裏などに安置されていて、その家の守り神として置かれたままになっている」事も多い。

こういったように、「タイ」の呪物、お守り、チャームとして現地で売られている中で、特に、効果が強いとされるのが、
・お腹に赤ん坊がいるまま死亡した母親の遺体と、お腹の中の死体の赤ん坊
・産まれてこれなかった、死産や堕胎した赤ん坊
の霊魂は、「この世でやりたかった未練が強く残った霊魂」なので、「それを降霊し、魂を遺灰に入れた呪物」は、その未練を成そうとして、呪物に祈りを捧げる人を手助けしようとする。というような考え方をタイ人の精霊信仰ではする。
先程書いたように、
・こういった「タイ」の呪物は、現地では、降霊術のネクロマンサーによって、「きちんと、この遺灰で作られた呪物に魂を入れてある」手続きをしてあるので、こういった「タイ」の呪物が、「お守り」として機能するには、当然、日本のお盆やお墓参り同様にして、「きちんとした現地語のお経の文句が書かれた説明書と一緒に売られているので、きちんと霊魂供養を毎日欠かさず行わないと逆に祟られる」ので、呪物の分類になっている。
と書いたように、「遺灰や遺体からとった脂肪分」を粘土などに混ぜて作った呪物の人形は、毎日、お経をあげて供養をしてお世話しないといけないので、「それが、世界中で、女の子がお人形遊びをして、お人形にお世話をする遊び」のルーツになっている可能性がある。

ここまで書けば理解できる通り、
・「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」という概念は、幻想以外の何者でも無く、「人種や国籍、性別、性格、学歴、宗教などで差別されず、個々の多様性を尊重できる社会を目指す」事が絶対に不可能である事。
・本当に脳が壊される「コンプライアンス」洗脳の怖さ(幼稚園児程度の思考にまでしか進めない未熟な脳が形成されてしまう)
という、「真実を見せないで、現実に本当に起きている出来事すら見ていない」にも関わらず、本当に脳が壊される「コンプライアンス」洗脳を受けた人達が、「自分の脳では、すでに、何も考えられない馬鹿な脳になってしまっている」事に気付かされる事でしょう。

(脳が壊れた人の思考パターン)「コンプライアンス方針」が先にあって、「現実の真実」を全く見ずに、ディベート(討論)できるスタート地点にすら立てない。(「方針」を先に決めて、そこに近づけようとする思考手法は、「バイアス」が強く働くので、「邪道」で、いわゆる「正論おじさん」とか「自分だけの正義を主張する、ただのわがままな人」という幼稚脳を形成するだけで、要するに、「馬鹿になる」)

(本来の正常な人の脳の思考パターン)「現実に起きている出来事の真実をきちんと直視する」→「次に、起きている問題点を考え、全ての事象を思考のテーブルにきちんとのせた上で、ディベート(討論)する」
この手続きを踏んでいない場合には、「多くの問題点が残されたままの未熟な議論と結論が発生するので、将来的に、問題やトラブルが必ず発生します!」
大人のディベート(討論)であれば、自分が今回書いた程度の内容までは、「きちんと現実の真実を見て」把握していないとダメで、全然役に立たないでしょう。

同性愛者議論の時にも自分が書いたが、
・「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」で、「多様性を尊重する社会」
というものが実現できるキーワードに、「社会性の維持」というものがあると思います。
基本的に、「人間が形成する社会は、社会性の維持により成り立っている」ものであり、同性愛者が認められたからといって、「何でもやっていいわけではない」
「社会性の維持」とは、「ジャイナ教徒が航空機やバスの中で全裸で乗らない」とかのような基準の事です。
要するに、この議論は、「邪道な言い訳」に過ぎず、
・本当の「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」で、「多様性を尊重する社会」では、「ジャイナ教徒が差別されず、学校、仕事、公共交通機関、買い物など全裸で行っても差別されない社会」の実現というのが、本来の「宗教によって差別されない、多様性を尊重する社会」という意味のはずです。
日本の古い村落や部落風習では、「破瓜の権利」と言って、「村長がまず全ての若い女性の処女権を奪ってよい」という「因習」が残っている地域が多かったが、「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」で、「多様性を尊重する社会」で、できると思いますか?
「現実を直視」した場合、「ダイバーシティ、インクルージョン、SDGs」で、「多様性を尊重する社会」というものは、幻想というか、どちらかというと、「犯罪を正当化する目的で、ダイバーシティ、インクルージョン、SDGsを導入するように言っている」ようにも思えるが、本当に?正しい議論なのか?
「ご都合主義」で、「見たい物だけ見て、本当に起きている現実からは目を背けてしまう」という、本当に脳が壊される「コンプライアンス」洗脳を受けた頭が馬鹿になってしまった人の方が恐ろしいです。