もうすぐ息子の学校で弁論大会があります。


担任の先生から、自分の言葉でスピーチを書いて、

練習してくるようにというお手紙をいただきました。


練習の期間は2週間です。


息子に”スピーチって何か知ってる?”

”誰かしているのをみたことある?”

と聞くと答えはNOでした。



なので、まず私がスピーチを書いて家族の前にたち、

スピーチをしてみました。



その後息子は私が選んだ題材と同じものを選び、

自分なりに書いていました。



カナダの学校では、”シェアリング”というのを

小さい時から経験します。


”シェアリング”とは自分の感動したことや、

思うことなどをみんなと分かち合うために発表することです。



幼稚園のころは、自分の好きなおもちゃを紹介したり、

本を見せたりするシェリングをします。



小学校2年生になった息子はこのシェアリングを学校で

あまりしようとしません。


シェアリングは強制ではなく、やりたくなければしない

という選択もできます。


”恥かしいからシェアリングはしない。”

といつも言っている息子が今日りっぱに、スピーチを

みんなの前で読み上げました。



私が息子に話したスピーチのしかたとは、


①原稿は自分の思ったことを自分の言葉で、

みんなにわかるように書くこと。


②スピーチをする時は、原稿で自分の顔と口をかくさないこと。


③原稿はゆっくり、はっきり読むこと。


以上です。



息子はこの3つを守ってしっかりスピーチができました。


このような貴重な機会を小さい時から与えてくださる

学校に感謝しています。


メモご意見、ご感想、アドバイスをコメントでいただければ幸いです。




今の私の目標は、


”子どもたちにこんな人になってほしいと思い描く人に、


自分自身が近づいていく”


です。


あなたは自分のお子さんにこんな人になって


ほしいという願いはありますか。


まわりの情報にまどわされて、子育てしていないでしょうか。


理想が大きくなりすぎて、現実からかけ離れていないでしょうか。




子どもたちは毎日精一杯生きています。


できていない事がたくさんあるように思えても


懸命に生きています。


そして少しづつ成長しています。


いろんなことを私たち親から吸収しています。



自分自身がちょっと難しい親になっていないでしょうか。


やさしく声をかけているでしょうか。


それとも怒った声になっている時の方が多いですか。



子供になってほしいと思い人に近づいていくのは、


楽しいことです。




あなたのお子さんはどんなお子さんですか。



日本でこのように聞かれたら、たいていの親御さんは、


お子さんの良い所もちょっと控えめに、そしてできていない


ところを割と多く話すかたが多いのではないでしょうか。


私のカナダの多くのお友達は、


”息子は水泳がとても得意で、すごい水泳選手であること”


”友達がたくさんいること”


”学校の成績が良いこと”


などを自由に話されます。



それと同時に良くない部分も話されます。


これは自慢でも、悪口でもないんですね。


事実を伝えているだけです。



自分の身内であってもそうでなくても、事実を事実として


伝える、煩わしい人間関係や陰口が少なくてすみます。



聞いている方もそれを事実として聞いています。


”この人自慢しているわ”とか嫉妬心などもなく


事実としてきいているのです。



日本人の習慣として、人をたてて自分を下げるという


ものがあります。


これをもっと効果的なところに使ったら生活がどんなに


和らぐだろうと思うことがよくあります。



1番逆効果だと思う場面は、親御さんが、お子さんのことを


他の人に話す時です。



これは、子どもにとってのメリットはひとつもなく、


自信を失わせたり、事実でないこと(事実よりも控えめに言う


ため)を人に話すのを聞くことになったり、



他の人に対して嫉妬心をもたらせたりと


デメリットばかりです。



自分の子どもの良い所も人に話せる関係ができたら


いいと思います。



今朝、息子が学校に遅れました。


今朝は父親が車で送っていくことになっていました。

(スクールバスで通う子供以外は、親が送り迎えします。)


父親が出かけようとした時に、準備ができていなかったので、



お父さんにおいていかれてしまったのです。


息子は、何度も準備をするように言われたのですが、


ずっと遊んでいて学校にいく準備ができていませんでした。



そのような経験をしたことがない息子は、とてもショック


だったようで、泣き叫んでいました。


その出来事が起こっている数分の間に、私は母親として


どう対処するかを決めなければなりませんでした。



息子が落ち着いて、抱きついてきたので私も息子を


抱きしめました。



こんな事があっても、


”お母さんは○○くんが好きよ”という


ことを感じてもらいたかったからです。



その後、数分(?!)で考えたことを話しました。



”お父さんが○○くんをおいて行ったのは、嫌いだから


じゃないよ。○○くんが大好きだから、わかってほしくて


わざとしたんだと思うよ。”




そのあとこう話しました。


”なにをわかってほしかったと思う?


それはね。


自分のする行動は自分で責任を持つということを


わかってほしかったからなのよ。”



どれだけわかってくれたか定かではありません。



でも息子には辛いけど、いい経験になったと思います。



父親が帰ってきた後、私が息子を学校に送って行きました。



車を降りた時、息子の顔は笑顔だったのでわたしも笑顔で


”いってらっしゃい。”と送りました。



今日も1日楽しく過ごしてくれますように・・・・・・

最近気づいたことがあります。


女性で友達になる人や、また会いたいなと思う人、


会ったら話がはずむ人には共通点があるということです。



その共通点は


”彼女たちは、みんなパートナーを大切にしている”


ということです。



不満などもあると思うのですが、とても協力的です。


そして自分の時間もちゃんとパートナーから確保して


います。


こういう人たちは、きっと一緒にいて心地よい人


なんだと思います。


だから友達として会う時も、相手を尊重して大事に時間を


過ごす、私もとても心地よく感じているのだと思います。


そして自分を振り返って、私はどうだろうと考えました。


相手に媚びたり、威圧感を与えたり、していないだろうか。



私も相手が心地よいと思ってもらえる関係を作って


いきたいと思います。



あまりにも情報が多すぎる情報化社会。


この時代に生きている私たちが考えていかなければ


いけないことは何でしょうか。



カナダの田舎に住んでからそんなことを考える


ようになりました。


地元の新聞を読んでもローカルな話題が多く、


自分から情報探しに出かけなくてはあふれる情報は


あまり入ってきません。


それが幸いしているのかどうかは別としても、以下ような


事を感じます。



(1)子供たちが、都会に住む同年齢の子と比べて、


純粋な感じがある。


(2)食品、洋服、生活用品などは、選択の範囲が


せまいので、迷う時間は必要ない。


時間の流れがゆっくりしている。


(3)メディアで見かける有名人をまねたかっこうを


している人が少ないためか、その影響が子供たちに


少ないようにみうけられる。


(4)物に対する選択が少ないと、これでも十分と感じる。


多くの情報の渦の中で、溺れてしまわないために、


考えなくてはいけないことは、まだまだたくさん


ありそうです。