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- こんばんは、才谷梅太郎です

「坂の上の雲」(司馬遼太郎)
第2部がもうすぐ始まりますね!
http://www.nhk.or.jp/matsuyama/sakanoue/
- とっても楽しみです

海軍兵学校に五省というものがあります。
一、至誠(しせい)に悖(もと)る勿(な)かりしか
=真心に反する点はなかったか
一、言行に恥づる勿かりしか
=言行不一致な点はなかったか
一、気力に缺(か)くる勿かりしか
=精神力は十分であったか
一、努力に憾(うら)み勿かりしか
=十分に努力したか
一、不精に亘(わた)る勿かりしか
=最後まで十分に取り組んだか
考案者は松下元(まつしたはじめ)当時兵学校校長。
兵学校に掲げられたのは
1932年(五・一五事件と同年)。
日本が軍国主義色を強くしていた頃、
生徒が自らその日の反省をするために
用いていたのがこの五省。
海軍兵学校と聞いてまず思い出すのが、
秋山真之(あきやまさねゆき)
「坂の上の雲」の主人公の1人である。
なかなかの男前っしょ??
ドラマではもっくんがしちょります
愛媛県松山市の人で兄は
秋山 好古(あきやまよしふる)、
友人は正岡 子規。
太政大臣を志し上京。
東京の共立学校(現在の開成高校)で
受験英語を学び、
大学予備門(のちの一高、
現在の東京大学教養学部)に入学。
真之は兄の好古に学費を頼っていたため、
帝国大学を諦め、明治19年(1886年)に
海軍兵学校に17期生として進学。
海軍兵学校を首席で卒業、海軍軍人となる。
日清・日露戦争に従軍し、主に日露戦争では
東郷平八郎の下で作戦参謀となり、
第1艦隊『三笠』に乗艦。
ロシアのバルチック艦隊が回航すると
迎撃作戦(丁字戦法)を立案し、
日本海海戦の勝利に貢献した。
秋山 好古(真之の兄)
兄貴不細工?
ドイツ人のメッケル(あだ名:渋柿オヤジ)
から「キミはヨーロッパ人か?」
と尋ねられたらしい。。
ドラマでは阿部寛が演じちょるよ。
秋山家は足軽よりも一階級上の位で下級武士で、
好古が幼少時、維新を迎え、武家である
秋山家も生計が逼迫する。
藩校明教館へ入学し、家計を支えつつ学び、
天保銭一枚にて、銭湯の水汲み、
釜焚き、番台の管理をやっていた。
大阪師範学校卒業後、
大阪・名古屋で小学校勤務。
陸軍士官学校卒業後、
騎兵少尉に任ぜられ、
東京陳台に配属される。
弟・真之が生まれた際、
生活苦から寺へ出そうかと話がでたが、
「将来あし(自分)が豆腐(の固まり)ほど
ぶ厚い金を稼ぐからに、
弟を寺へやらないでくれぞなもし」と
両親へ懇願した。
真之は東京で兄と同居生活をしていた時期もあり、
兄には金銭面で世話になった。
一生兄には頭が上がらない。
好古は無類の酒好きで、
戦場でも水筒に酒を入れていた。
陸軍に進み、世界一ひ弱な日本騎兵を養成し、
当時世界最強の騎兵と謳われた
ロシア陸軍「コサック騎兵集団」
を破ったことで有名。
フランス軍人に
「秋山好古の生涯の意味は、
満州の野で世界最強の
騎兵集団を破るという
ただ一点に尽きている」
と賞されているとおり、
日本騎兵の父と言われた。
つまり、簡単にいうと、
日露戦争の勝利は秋山兄弟がもたらした。
っちゅうても過言ではないということです。
経歴だけを追うと「アラ!かしこいご兄弟ね」
という感じですが、
実はなかなか人間味があっておもしろい。
例えば、兄・好古はフランス留学中、
山縣有朋からお遣いを頼まれ、
電車に乗っていたが、
その際酒を飲み過ぎて置き引きにあった。
また、弟・真之は幼少期はガキ大将、
当時犯罪ものの花火を子供たちで打ち上げ、
母から「一緒に死にましょう。」と責められた。
人前でよく屁をこいたり、
試験のヤマを当てるのが上手で、
東京では子規ら悪友と一緒に江の島まで
無銭旅行に出かけたりした。
また、アメリカ帰りに詐欺に遭遇し、
イカサマをみやぶり退治した。
などなど武勇伝もあればバカ話もあり、
甚だおもしろい。
正岡 子規
少年時代は漢詩や戯作、軍談、書画などに親しみ、
友人と回覧雑誌を作り、試作会を開いた。
また自由民権運動の影響を受け、
演説にも熱中したという。
旧制愛媛一中(現・松山東高)に入学。
明治16年(1883年)、同校を中退して上京し、
受験勉強のために
共立学校(現・開成高)に入学。
翌年、旧藩主家の給費生となり、
東大予備門(のち一高、
現・東大教養学部)に入学し、
常盤会寄宿舎に入った。
明治23年(1890年)、
東京帝国大学哲学科に進学したものの、
後に文学に興味を持ち、
翌年には国文科に転科した。
この頃から「子規」と号して句作を行う。
くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の
針やはらかに 春雨のふる
中学生の教科書に出てくる短歌です。
柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺
この俳句も子規です。
死を迎えるまでの約7年間は結核を患い、
雅号の子規とはホトトギスの異称で、
結核を病み喀血した自分自身を、
血を吐くまで鳴くと言われる
ホトトギスに喩えたものである。
大の野球好きで、重病であっても友人が来ると
野球をしに出かけるほど、
自分の生死に楽観的であった。
正岡子規が「野球(のぼーる)」という
雅号を用いたのは中馬庚(ちゅうまんかのえ)が
「ベースボール」を「野球」と翻訳する
4年前の明治23年(1890年)である。
つまり、「ベースボール」を「野球」と最初に
翻訳したのは中馬庚であるが、
読み方は異なるが「野球」という表記を最初に行い、
さらに「バッター」「ランナー」「フォアボール」
「ストレート」「フライボール」
「ショートストップ」などの
外来語を「打者」「走者」「四球」「直球」
「飛球」「短遮(遊撃手のこと)」
と日本語に訳したのは正岡子規である。
ちなみに子規は英語が苦手で、
試験中、友人に単語の意味を聞いたが
聞き間違えをしたこともある。
子規はさみしがり屋さん。
仲間意識が強く、政治や哲学、
小説にも興味を示しながら
最終的に詩の世界に入ったのは、
仲間との交歓の中で生まれる詩に
一番ぬくもりを感じたのね。
幼少期から病弱で孤独だったんじゃろね。
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