LGBTの人たちに対して「あの人たちは子どもを作らない。つまり生産性がない」と雑誌に書いたり、伊藤詩織さんに関して「彼女の場合は明らかに女性として落ち度があります」と言ったのみならず伊藤詩織さんを中傷するツイートに「いいね」ボタンを押したり、保育園に関しては「コミンテルンが云々」と評したりした杉田水脈議員の一連の言説を批判する行為は妥当だが、その妥当な言動に対する反動として「杉田水脈議員に対するイジメをやめろ」という差別擁護言説が出てきた❗

これは実に恐ろしい事である。LGBTの人たちが子どもを作れないからと言って「生産性がない」と書いたり性被害者の伊藤詩織さんに関して「女性としての落ち度がある」と言った上に伊藤詩織さんを中傷するツイートに「いいね」ボタンを押したり保育園に関して「コミンテルン云々」と暴言を吐いたりしてきた杉田水脈議員を批判するのが「イジメ」と言うなら、LGBTの人たちや性被害者や保育園を必要とする保護者および児童たちは杉田水脈議員の暴言を唯々諾々と聞かねばならなくなる❗差別擁護をしている差別主義者に言論の自由を認めるなら、差別主義者が自らの差別思想に反論されたら「私はイジメられている」と主張して被害者のふりをする事がまかり通る恐ろしい社会になる❗それゆえ、杉田水脈議員の暴言を擁護している差別主義者は「イジメられている議員の味方」などではない❗単なる差別主義者でさえなく、加害者を被害者と言いくるめる欺瞞を垂れ流す、稀代の偽善者でもある差別主義者なのである❗

(ちなみに、この拙文に対する批判を私はすべて「イジメ」と認識するので、杉田水脈議員に対する批判を「イジメ」と認識する輩は「イジメが好きだからkaieda-2021をイジメるのだ」と明言しないで私を批判するのは欺瞞である)