NHKも災害時を想定して、外国人向けのやさしい日本語を取り上げた番組を作っており、外国人のためにやさしい日本語で伝達すべきという意見は徐々に広がっている様に見受ける。そしてその広がりの過程で、漢字制限論がどれくらい支持者を増やすかという点が私には興味深い。

点字で書かれた日本語を読める人ならばおそらく全員が実感しているだろうが、漢字を廃止しても日本語は表記できる。問題なのは、「漢字をどんどん制限していくとどうしても避けられなくなる、分かち書きという表記法を、日本語話者の多くが受け入れられるのか?」という点である。この点は漢字制限論が社会に広く受け入れられるか否かの試金石になるだろう。
もちろん、私も「やさしい日本語が普及する事が、中でも特に災害時にやさしい日本語で情報を読める事こそが大問題であって、漢字制限論などは災害時における情報弱者救済という大問題にくらべれば小さな論点に過ぎない」という主張は否定しない。たとえば、漢字を使わず分かち書きして「シキューに ヒナンして ください」という掲示を出すよりも、漢字を使って「急いで逃げてください」という掲示を出した方が、情報弱者救済に役立つであろうとは私も思う。なので、たとえ日本語を学ぶ外国人にとって漢字が大きな障壁であるとしても、「簡易な語彙で分かりやすく伝える、特に災害時にこそそうした配慮が大事」という主張は「外国人向けに漢字という障壁を減らす」という行為よりも有意義だろう。
それゆえに、漢字制限論は情報弱者救済という大問題の中のマイナーなカテゴリーでしかない。しかし、それならば「分かち書きを受け入れられるのか否かなど取るに足りない論点だ」と言えるかというと、おそらく違うと思われる。
漢字検定2級レベルの語彙というのは、ラジオやテレビのニュースをしっかり聴いている人なら外国人であっても馴染みのある語彙だ。そうした語彙の読み書きが出来ない原因が漢字表記であり、常用漢字の数を制限する際の心理的障壁が「分かち書きを受け入れられないから」というものならば、私を含む「日本語の話者が分かち書きを受け入れられるのか否か」という点は、ラジオやテレビのニュース並みの情報を外国人に読みやすいかたちで拡散出来るか否かと同義であろう。つまり「分かち書きを受け入れられるのか否か」という問いかけは、ニュースレベルの日本語の読み書きを外国人のために簡略化出来るか否かという問題なのだ。この問題は、たとえ災害時におけるやさしい日本語の普及よりはマイナーとはいえ、決して無視して良い次元の問題ではあるまい。