日本統治下の1902年、

台中の牛埔仔に住む、

黄吉という名の農夫にとって、

 

家に火事が起こるのが、

日常になってしまっていました。

 

幸いなことに、

火事が発生するのは、

いつも、

暑い日の昼のこと。

 

避難するのは簡単でしたし。

 

そもそもが、

萱で作った粗末な小屋であったこともあり。

 

燃え尽きるのが簡単である一方で、

作り直すことも簡単で。

 

小屋が燃える度に、

諦めて小屋を建て直す。

 

黄吉は、

そうやってやり過ごしていました。

 

 

しかし、

それにしても、

火事がこうして頻発するのは、

本当に不思議です。

 

周囲の人々は、

ある噂をしていました。

 

黄吉は先日、

祖父の遺産について、

従兄の王陣と争っており。

 

役所の判定の結果、

その遺産は全て、

黄吉のものとなったのですが。

 

これを恨んだ王陣が、

黄吉の家が燃えるよう、

呪いをかけたのではないか、と。

 

 

黄吉も勿論、

このことを気に病んでおり。

 

神仏に祈ったり、

厄除けの呪文を唱えたりしたのですが。

 

一切役に立ちませんでした。

 

 

そしてついに黄吉は、

この家を捨て、

別の場所に引っ越して行ったのでした。

 

幸い、

黄吉が去った後は、

火事が起こることもなくなり。

 

日本統治政府は、

迷信の流布を禁じ、

ただただ、

人々の防火意識を高めることに努めたのでした。

 

 

そして、4年が過ぎ。

 

1906年、

その土地に赴任してきた日本人・矢吹巡査が、

 

呪いなんてあり得ない、

それは、誰かの放火に違いない、と。

 

その出来事の調査に乗り出します。

 

そして彼は、

陳という、霊媒師を見つけ出します。

 

その陳は、

呪いで火を放つことが出来る、

と噂される人物であり。

 

かつ、

その弟子に、

九年前に放火で逮捕された人物がいる。

 

 

呪いに見せかけて、

部下を使って放火させていたに違いない。

 

矢吹巡査はそう考えますが。

 

しかし、証拠は見つかりません。

 

 

そんな中、ある人が、

こんなことを言い出しました。

 

黄吉の向かいの家に置かれていた、

鏡が火事の原因なのではないか、と。

 

台湾の強い日光が、

その鏡によって反射し、

黄吉の家に当たり。

 

鏡面が凹面であったがために、

光が収斂、協力になり、

 

燃えやすい萱が、

容易に発火したのではないか、と。

 

 

その証拠に、

その家家が鏡の場所を変えてからは、

火事が起きなくなったじゃないか、と。

 

 

 

そんな噂も流れましたが、

矢吹巡査の耳に届くこともなく。

 

 

可哀想な霊媒師は、

むち打ちの刑に処されたのでした。