金門島で戦火に遭い、

身一つで台湾本島に向かう船に乗り込んだものの、

船は漂流の果てに自分以外全員死亡。

 

ようやく台湾本島に到着した自身も、

そこで漁師達に襲われ、殺害された。

 

 

 

台西に住む平凡な主婦であった林罔腰が、

 

自分はそんな経験をした人物、

「朱秀華」である、と。

 

突然告白。

 

その話が微に入り細を穿つものであったことと、

 

林罔腰自身の性格も一変してしまっていたことで。

 

話題をさらったその事件。

 

一人の新聞記者が、

彼女の告白の中に登場する人物、

「林清島」という男性を探し当てます。

 

しかし。

林清島は、証言を拒否。

 

それでも諦められない新聞記者は、

粘り強い説得の末に、

 

ようやく、

地元の郷長(自治会長のようなもの)が代理人として受け答えするという条件で、

間接的ではありますが、

林清島にインタビューをすることに成功します。

 

そこで、林清島は。

 

1958年に船が漂着したこと、

十数人がそこにいたこと、

彼らが黄金を見つけてそれを奪おうとしたこと、

林清島がそれを止めようとしたこと、

 

以上のことを認めます。

 

記者はさらに続けて、

朱秀華について質問をします。

 

船の上に女性はいなかったか、

女性は襲われなかったか。

 

それに対する林清島の答えは、

短い物でした。

 

何年も経っているから、

覚えていない、と。

 

林清島は、それ以上の証言を拒絶。

取材はそれで終わりでした。

 

それでも、その後の調査で。

新聞記者は、このような噂を耳にします。

 

 

林清島と共にその漂流船を見つけた漁師達は、

その殆どが、

大病を患っているか、

既に死亡してしまっているか、で。

 

ただ、林清島だけが、

何の問題もなく生存している、とのことでした。

 

 

 

さらに。

 

朱秀華が生まれ育ったという、

金門島の戸籍を調べたところ。

 

確かに、

朱秀華のみならず、

彼女が語った名前とぴったり一致する、

両親も存在することが判明。

 

さらに、

その一家の知人に会い。

朱一家は、

中国共産党により金門島が砲撃を受けた直後から、

行方不明になり、

その後誰も見かけたことがない、

 

という証言をも得られたのでした。

 

 

 

 

こんな内容が大々的に報道されたことにより。

 

「霊魂の憑依」は、

台湾じゅうに知られることになります。

 

そんな中。

1973年、林罔腰は夫の呉秋得と共に、

廟を設立。

 

朱秀華の魂を助けてくれた神を祀り。

 

多くの参拝客を受け入れてきました。

 

 

そもそも、関係が余りよくなかった夫との間も。

性格が一変したこともあってか、

仲睦まじいものになり。

 

子供との関係も、

お互いの努力があってか、

非常に良好なものであったそうです。

 

 

 

 

 

そんな。「朱秀華」としての暮らしは、

その後、60年も続き。

 

地元の人々のみならず、

台湾じゅうの人々に尊重されたまま。

 

2018年5月23日、

97歳の林罔腰は、


多くの人々に見守られる中、

静かに息を引き取ったのでした。