1995年2月15日、

台中駅前のレストラン・衛爾康で大火災があり、

64名が死亡。

 

台湾政府は大急ぎで、

消防法などの改革に乗り出したのですが。

 

第一広場の上に、「幽霊船」がいて、

108人の死者を集めようとしている。

 

法師のそんな言葉が、

人々の間で囁かれ続け。

 

第一広場で、また何か起こるのではないか。

そんな噂が立ちます。

 

そして。

 

衛爾康大火災の一年後。

1996年、2月17日。

 

第一広場のすぐ脇にあるサウナにて、

火災が発生するのです。

 

午前8時13分に通報を受けた消防局は、

30以上の消防車、

二百人以上の消防隊員を送り込むのですが。

 

そのサウナの窓の外には、

大きな看板があり。

 

これが、

はしご車のはしごが近づくことと、

火に包まれた人々が逃げ出すことを、

完全に妨げており。

 

さらには、

建物内部も、

非常口は一つも存在せず、

煙にまかれた人々は逃げ道を完全に失い。

 

いち早く気付いた店長だけが逃げ出せただけ。

 

従業員と客、

合わせて17名が死亡したのです。

 

64名を亡くした火災から

僅か一年後、

防火意識を高める運動をしてきた筈なのに。

 

ほど近い場所で、

17名もの死者が出る火災。

 

普通ではあり得ない。

まだ何かあるのではないか、

そんな予感に、人々は震えあがります。

 

そして、その通りに。

サウナ火災の、僅か十日後。

 

すぐ近くのビルにて。

 

地下に入るバーで喧嘩が発生、

殴られた男性が、腹いせに放火。

それが燃え広がり、

煙にまかれて逃げ遅れた、

13名が死亡します。

 

僅か1年間で、

台中市中心部において、

三度の大火事。

 

間違いなく、

幽霊船が引き起こした火事だ。

 

その噂を信じる人は日に日に多くなり。

 

また、火災が起こる。

人々が、そう怯えながら話す中。

 

1998年4月4日未明。

 

台中市内の3階建て民家にて、

突然の大爆発が発生。

 

木造家屋が一気に燃え広がります。

 

消防水がないことがあり、

中々消火は進まず。

 

ようやく火勢が弱まったところで、

消防隊は内部に突入、

 

しかし、そこに生存者は見つけられず。

 

2階と3階に、

一家全員の死体を発見します。

 

3世帯、総勢13名の死者。

 

その報に接した、

台中の人々は。

 

死者の合計、

つまり、64+17+13+13の結果が、

107名になることに気付き。

 

幽霊船の定員、108名にあと一人足りない。

 

あと1名を、

幽霊船は必ず迎えに来る。

 

そう、

震えあがったのでした。