1997年4月14日。
陳進興・高天民・林春生の三人は、
台北市郊外にて、
通学途上の16歳の少女・白曉燕を拉致。
予め借りていた部屋へと彼女を連れて行き、
麻酔を注射。
裸の写真を三枚撮影、
さらに左手の小指を切り落とした上で。
そこから五十キロほど離れた場所にある、
ゴルフ場近くの霊園へ行くと、
人目ののつかない場所に、
白曉燕の写真と左手の小指、
そして五百万米ドル(約5億円)の身代金を要求する内容の文書を置き、
白曉燕の母親へ電話を入れ、
その霊園へ行くよう、指示します。
白曉燕は、現地にてそれらの品々を発見。
すぐさま警察に通報します。
警察に衝撃が走ります。
ただの誘拐事件ではありませんでした。
500万ドルという巨額の身代金で分かるように、
彼らが富豪であるだけでなく。
母親も、
そして離婚済みの父親も、
そして白曉燕本人もまた、
有名な人物だったのです。
母・白冰冰は、
台湾で知らない人のいない、
有名な歌手であり。
彼女が若い頃、
歌や芝居を学ぶべく日本に留学している際、
一人の男性と結婚しますが、
その相手が、
あしたのジョーの原作などで知られる、
梶原一騎。
その後彼女は梶原一騎と離婚、
生れたばかりの娘、
白曉燕を連れて台湾へ帰国。
その頃から、
歌手として人気が爆発。
やがて台湾で最も有名な歌手となり。
ドラマやバラエティ番組にも出演するようになり。
時には、
娘である白曉燕ともに、
テレビに出演こともあったのです。
その、白冰冰の娘が、誘拐された。
警察は即座に対策本部を設立。
白冰冰が500万ドルを準備出来たこともあり。
身代金の引き渡しのタイミングで、
犯人を逮捕するという方針を定めます。
陳進興達は、
盗んだ携帯電話を用いて、
白冰冰に電話を入れます。
彼らは、
身代金の引き渡し場所を指定しながら、
警察に通報されていることを警戒し、
その攪乱を狙って、
受け渡し場所を七回も変更。
どうにかして、
身代金を受け取ろうと試みます。
しかし。
引き渡し日の、4月18日。
白冰冰が指定の場所に行っても、
陳進興達がそこに現れることは、
ありませんでした。
陳進興達には知られてしまったのです。
その現場全てに、
警察が張り込んでいることが。
そう見抜けた理由は、ごくごく簡単。
引き渡しの場所に、
テレビカメラが来ていたから。
警察だけでなく、
情報を得ていたマスコミまでもが、
決定的瞬間を撮影しようと、
現場に張り込んでいたのです。
それでも、陳進興達は諦めることなく。
4月23日にも白冰冰に電話を入れ、
身代金引き渡しを要求しますが。
やはり、現場に姿を現さず。
さらに4月25日にも同様に、
白冰冰に連絡を入れながらも、
現場に警察の姿を見つけた陳進興達は、
空しく引き返すことになるのですが。
この時警察は、
受け渡し場所近くにいた陳進興の行動に不審を感じ、
その後をつけ、
ついに彼らのアジトを発見。
そのまま、急襲を行います。
しかし、それをいち早く察した彼らは。
陳進興の妻・張素真などの協力を得て、
間一髪、脱出に成功。
警察は、
犯人隠避・逃走援助の罪で、
張素真や、
彼らの子分であった二人の青年を逮捕しただけで、
空しく引き上げることになります。
それでも。
ようやくこの誘拐事件の犯人が、
陳進興・高天民・林春生の三人であると判明します。
そして警察は、
現場に白曉燕の死体などがなかったことから、
今でも白曉燕をは生きていると判断。
三人をすぐに逮捕しなければ白曉燕の命が危ない、
そう考えた警察は、即座に、
三人の名前・顔写真などの情報をマスコミに公開します。
白冰冰も記者会見を行い、
全国民に、捜査協力をお願いする。
さらに、陳進興達の家族も引っ張り出され、
テレビの前で、
陳進興達に向けて、白曉燕の解放を訴えかける。
かくして、台湾じゅうが、大騒ぎとなり。
この十六歳の少女の行方に、
全国民が注目します。
――しかし。
誘拐発生より二週間が経過した、
4月28日。
白曉燕の死体が、
無惨な姿で、発見されるのでした。
十六歳の少女の、
余りに悲劇的な最後に、
人々は、涙しますが。
しかし、それは。
この台湾じゅうを震撼させた、
一連の凶悪事件の。
幕開けに、過ぎなかったのです。