二人の幼児が、
「パパがママの頭を持って行った」と証言したのは、
10月上旬ですが。
その事件が起こったと考えられるのは、
7月中旬のこと。
その時期から、
母親である陳桂梅との連絡がなくなったことを考え合わせても、
失踪が7月半ばであったことは、
疑いようのないことでした。
なのに。
その性風俗店の従業員達は、
キャシーと名乗っていた、呉瑞雲であろうその女性に関して、
確かに7月中旬に出社しなくなったが、
9月末にまた姿を現した、と言うのです。
死んだ筈の人物が現れた。
亡霊か、と。
警察官は思わず怯んでしまうのですが。
彼女達の言葉は、明確で。
突然現れたキャシーは、
未払いの給与を受け取った上で。
一人の同僚と共に、
牛ステーキを食べに行った、と。
そう言うのです。
亡霊の行動であるとは、
とても思えません。
この時点になり、ようやく。
警察は、考え始めるのです。
――呉瑞雲は、実は生きているのではないか、と。
警察が、呉瑞雲が殺されたと考えるようになったのは、
二人の幼児の証言があったから、だけ。
けれども、その証言の場所に、
殺人の証拠はなかったのです。
その証言は、本当に信じられるのか?
その兄妹は常に、
冷静に、的確に、証言を続けていたのですが。
そもそも、それがおかしいのではないか?
普通、父親が母親を殺すなどと言う、
衝撃的な情景を目撃した子供は、
ショックの余り、錯乱したり、
眠れなくなったりするものではないか?
子供の証言は、怪しい。
取り調べを行っていた検察官は、
そう考えるようになり。
ある日、ついに行動に出ます。
いつものように現れた彼らに対し。
検察官は、突如、要求するのです。
祖母である陳桂梅に、席を外すように。
陳が部屋を出て行ったのを確認した上で、
検察官は、優しい口調で、
5歳の兄に尋ねます。
「君は幼稚園に通っているよね?」と。
兄が頷くと、検察官は続けて、
幼稚園の先生はこう言っていなかったか、と尋ねます。
「嘘を吐いてはいけない、と教えられたんじゃない?」
兄は頷きます。
じゃあ聞くけど、と検察官は言います。
「本当に、パパがママを殺したの?」
暫くの沈黙の後。
ついに、5歳の兄は口を開くと、言ったのです。
――おばあちゃんが僕に教えた、と。
やっぱりな、と検察官は頷きます。
子供達の、父が母を殺した、という証言は、
婿を激しく嫌う祖母によって、
捏造されたものだったのだ。
検察官は、急いで陳桂梅を招き入れ。
この子供の証言を、彼女に突きつけます。
陳桂梅は、慌てて。
私はそんなことをしていない。
あり得ない、そう繰り返しますが。
録音してた、証言の音声を突き付けられ、
ついに観念し。
証言の捏造を、認めたのでした。
――かくして。
5歳、4歳の兄妹による、
「パパがママの頭を持って行った」という、
恐ろしい証言から巻き起こった騒動は、
一件落着。
沈黙を続けていた、容疑者・姚正源も、
無事に釈放されます。
しかし、それでも。
陳桂梅は、喚き続けます。
でも、婿が娘を殺したのは、事実だ、と。
娘が夢でそう訴えた。
だから自分は霊廟を作ったのだ、と。
そして、続けます。
確かに9月末、
娘は同僚の前に姿を現したのかもしれない。
けれども、事件が判明した10月以降、
彼女の失踪に関して、
世間がこれだけ騒いでいるのに。
何故、娘は現れないんだ?
何故、娘は自分の子供の所に戻って来ないんだ?
何故、娘はテレビで訴える母親に連絡して来ないんだ?
と。
確かにそれは、奇妙なことでした。
警察も検察も、その訴えに明瞭な答えが出せません。
さらに、そんな中。
10月下旬、4歳の孫娘が、交通事故で重傷を負い、
病院に緊急搬送されます。
話題の人物に関することです。
マスコミはこぞってこれを報道。
その入院先まで、台湾じゅうに知れ渡ったのですが。
数か月後の退院の日に至るまで。
母である呉瑞雲が、その病院に現れることも、
家族や病院に連絡することも、一切ありませんでした。
その事実を盾に、陳桂梅は叫び続けます。
幼い子供の心配をしない母親など、いる筈がない。
間違いなく娘は婿によって殺されているのだ、と。
連日のようにマスコミにそう訴えかけると共に。
弁護士や国会議員をも動かし、
娘の死体を探すよう、婿を逮捕するよう、騒ぎ続ける。
そして。
その訴えを裏付けるかのように。
その頃より、陳桂梅の周囲で、
様々な怪奇現象が、
発生し始めるのです。