その後。
犯人である、劉学強は、裁判にかけられます。
地方裁判所では死刑判決は出たものの、
精神疾患の病歴が考慮され、
続く裁判の結果、無期懲役刑が確定。
台中刑務所に収容されました。
無期懲役囚であっても、
服役後十年経てば仮釈放が申請出来るため、
彼は今まで20度以上の申請を行っていますが、
2004年、刑務所内にて同室の囚人に重傷を負わせ、
2011年、実は他に真犯人がいると訴えるも却下される、など、
問題行動も多く。
さらに、親族全てのみならず、
キリスト教団体までが、
劉の身元引受を拒絶したという事情もあり、
全ての申請が却下され。
台湾史上、「最も長く服役している囚人」として。
事件から三十年以上が経過した今でも、
宜蘭刑務所にて、日々を送り続けているのです。
そして。
劉の家族は高雄を去り。
凶行のあった家は、今や倉庫になり。
彼女の遺体が発見された、
台南の空き地も、
一度は駐車場になり、
その数年後、マンションが建てられましたが。
その間も、
いわく、女性の泣き声が聞こえた。
いわく、首のない人影を見た。
いわく、電話代請求が高額だったため調べてみると、
日本へ国際電話をかけた記録があった。
等々、奇怪な現象が続き。
そして、
Mさん失踪事件から29年後の、2019年2月には。
まさしくそのマンションで、
呉青年による、バラバラ殺人事件が発生。
事件から三十年以上が経過した今でも、
「凶宅」として、人々の噂に上り続けているのです。