事件から一年後、

劉学強の証言通りの場所から、

遺体、遺品、凶器などの証拠品が、

奇跡的に発見された。

 

最早劉の犯行は間違いないだろう、

そう皆思いました。

 

とはいえ。

 

問題は、その遺体です。

年齢身長血液型などの鑑定結果は、

確かにMさんのものと一致しましたが。

 

それが、偶然の一致であり、

実際は別の人物の遺骨であった、という可能性は、

決して否定しきれません。

 

そのため、最後の決定打として、

その遺骨が、本当にMさんの物であると証明すべく、

警察は、DNA鑑定を行おうとします。

 

通常であれば。

一年も前に失踪した人物です。

自宅も当然掃除されたり、風化したりしている。

 

確実に「Mさんの物である」と断言できるもの採取は、

非常に難しい筈だったのですが。

 

 

なんと、Mさんは出国直前、献血をしており、

失踪直後の的確な手配によって、

その血は、日本の病院にそのまま保管されていたのです。

 

確実にMさんのものであるその血と、

台南の空き地で発見された遺骨のDNAを照合すれば、

その遺骨がMさんのものである、と確定出来る。

 

そう、警察は考えます。

 

 

しかし、ここで、思わぬ障壁が現れます。

 

血液の提出が、拒否されたのです。

――Mさんの母親によって。

 

 

娘の失踪直後から、何度も何度も台湾に足を運び。

娘の情報を求めるビラを配りつつ、

不自由な中国語で各地を訪ね回った彼女は。

 

遺体に面会し、涙を流しはしたものの、

テレビカメラに向かい、しっかりした口調で、

 

「これが娘であるとは、私は納得は出来ません」

そう、強く言うのです。

 

彼女がそう主張する背景には。

 

ただただ、娘の生存を信じたいという、

盲目的な親心だけでなく。

 

決定的な証拠が一つ、まだ見つかっていない、

という根拠があったのです。

 

――Mさんの、頭部。

 

それさえ見つかれば、

歯の治療痕が確認できます。

 

それまで一致するならば、

流石に別人である可能性は、ほぼなくなるでしょう。

 

是非とも、その遺体の頭部を見つけて欲しい、

そうでなければ、

この遺体が娘であるとは納得できない。

 

そして、絶対だとは言えない遺体のために、

貴重な証拠であり遺品である、

娘の血液を提出する訳には行かない。

 

そう、主張するのです。

 

 

 

 

無論。

警察も、未発見である遺体の頭部の捜索には、

全力を尽くしていました。

 

その空き地では、遺体の頭部は発見されませんでしたが、

そもそも、劉学強の供述でも、

空き地に埋めたのは頭部以外のみ。

頭部は、道端に出されていたゴミ袋に押し込んだ、と。

そう言っているのです。

 

勿論。

警察は、そのゴミ袋の行方を追っていました。

 

劉学強の証言通りの場所に置かれたゴミ袋が、

どのゴミ収集車に回収され、

どの処理場に行くことになるか。

それを調べ上げたのですが。

 

しかし、そこで、

警察は、途方に暮れていたのでした。

 

 

そのゴミが運ばれたのは、

台南郊外の埋め立て地だったのですが。

 

実に半径50mもある、広大な土地であり、

 

そこに、台南じゅうのゴミが、

絶え間なく運び込まれてくるのです。

 

この土地から、

一年も前に放棄されたものを発見するには。

 

新たなゴミの運び込みを停めた上で。

その広大な土地全てを、

六メートルから十メートルは、

掘り返さねばならない。

 

とてつもない労力と、お金がかかる。

 

その上。

環境の意識がまだまだ希薄だった当時、

産業廃棄物など、有害なゴミも多く放棄されている。

 

そういった場所での作業では、

作業員の命すら、

危険にさらされる可能性があります。

 

 

既に多くの証拠品が発見されていることもあり、

警察は、その埋め立て地の掘り返しを、断念。

 

そして、

Mさんの母親を、そこに連れて行きます。

 

埋め立て地にやってきた、Mさんの母親は。

 

その土地の広さに、茫然。

 

それでも、

彼女は、

その場にひざまずき、

 

少しの間、

自らの手で、

ゴミの層を掘り返そうとした後。

 

手を止めて。

 

その場で、泣き崩れたのでした。

 

 

 

その後、

Mさんの母親は日本に戻り。

娘の血液を持って台湾に戻ってきます。

 

そして、1991年10月13日、

その血液と遺骨は、DNAが一致するとの鑑定結果が出され。

 

かくして、その遺骨がMさんのものであることに、

疑いの余地はなくなったのでした。