1990年4月28日、

 

一人の小柄な日本人中年女性が

台南の駅にて、

懸命にビラを配っていました。

 

そのビラは。

彼女の娘、Mさんについて。

 

見かけた人はいないか、行方を知らないか、

情報を求める、というもの。

 

中国文化を学ぶ、

23歳のお茶の水女子大学生、Mさんは。

4月2日、

一人きりの自由旅行をしに、台北に降り立ちます。

 

 

しかし。

4月4日に投函された、

台南からの手紙を最後に、

消息を絶ったのです。

 

過去にも、中国雲南地方を一人旅するなど、

旅慣れていた彼女は、

新しい街に着くたびに、家族に手紙を送る習慣がありました。

 

その手紙が途絶えたのですから。

 

大いに心配した、Mさんの母親や妹が、台湾に駆け付け。

警察に通報。

 

同時に、自らもビラを配り。

不自由な中国語で、人々に話しかけ。

 

何とか、娘を探し出そうと。

探し出す手がかりを少しでも見つけようと、

 

必死に動いていたのでした。

 

 

 

勿論台南の警察も、早速調査を始めます。

 

そして、すぐに。

 

台南にて、Mさんと出会ったという、

30歳の李という男性が見つかります。

 

この、李の証言によると。

 

4月4日、台南の街を歩いていると。

日本人女性が、

迷ったので道を教えて欲しい、と声を掛けて来た。

 

話している内に、どんどん仲良くなり、

ついには、李のバイクに二人乗りをして、

台南の観光案内をした。

 

さらに、Mさんが、宿を探していると言い出したので、

 

李は、自分の家には部屋が余っているので、

是非泊まるよう勧めた。

 

Mさんはそれに応じ、彼の家に宿泊。

 

その後彼とMさんは、

さらに二日間、共に台南観光を楽しみ、

 

4月7日、

李は彼女を駅まで送り届け、

11:30発の、高雄行きの特急列車に乗るのを見送った、

 

と証言します。

 

 

警察は当初、この李を大いに怪しんだのですが。

 

李の家族や、他の目撃者の証言から。

彼の言葉が真実であることが、証明されます。

 

しかも。

 

Mさんが、高雄行きの列車に乗り込む際。

 

李は、わざわざ列車の車掌を呼び止め、

 

「この日本人女性は高雄まで行くので、

降り間違えたりしないよう、しっかり見てあげて下さい」

 

とお願いした、と証言。

 

 

その特急列車の車掌もまた、

その言葉を完全に覚えていたため、

 

李の疑いは、完全に晴れ。

 

 

 

 

 

Mさん捜索の舞台は、

高雄へと移ったのでした。