警察に連行された三人、

夫・兄・施は、

 

尋問に対し、黙秘を貫きました。

 

しかし。

夫婦には、三人の子供がいました。

その内一人が、こう証言したのです。

 

死の前日、彼女の母は。

「私がいなくなった後、お父さんのことをよろしくね」

 

そう、言い残していた、と。

 

 

三人が語らずとも。

最早、真相は誰の目にも明らかでした。

 

保険金を得るための、委託殺人です。

 

それだけなら、他にもある話ですが。

 

この事件が非常に特殊であるのは、

――依頼主が、殺された本人である、という点。

 

 

妻は。

 

借金苦の生活に精神を病み。

自殺を決意する。

 

残される夫や子供達のために、

生命保険に入ったが、

自殺では、保険金が下りない。

 

だから、その筋につてのある兄に頼み、

自分を殺してくれるヤクザ・施を紹介してもらう。

 

幾度か下見や議論を重ねた末に。

 

10月12日の夜、

彼女は一人、メモに記した、約束の場所に向かい。

 

夫に十分なアリバイが出来たところで、

やってきた施に、銃殺してもらった。

 

 

 

間違いなく、真相はこういうものでしょう。

 

 

 

三人は、最後まで黙秘を貫きましたが。

 

裁判でも、「加工自殺」(自殺幇助)と認定。

 

通常の保険金殺人であれば、

犯人は確実に死刑になるだろう事件であるのに、

 

この事件の三人の受けた罰は、

 

保険金支払いのキャンセルと、

「六年六か月の懲役」のみだったのです。

 

そして。

 

裁判の過程で、このような事実関係が明らかになるにつれて。

台湾の人々は、この事件に深い興味を抱くようになりました。

 

 

この事件は。

 

残酷な夫による保険金殺人、というストーリーなどではなく。

 

夫への愛のために自らを犠牲にした女性の、

哀切極まりない、愛の物語。

 

そんなストーリーとして捉えられるようになり。

 

 

さらに。

 

それまではただ、

10月12日の夜、

妻が家を出た時間を証明するものでしかなかった、

 

エレベーターの監視カメラの映像が。

 

夫と妻がキスをし、固く抱擁していた、最後の映像が。

 

夫婦の、最後の別れを。

 

覚悟の別れを、映し出したものだと分かり。

 

その数秒間の映像は、

何度も何度も再生される、

人々の心に強い印象を刻む、

 

夫婦の深い愛情を映し出したものである、と、

 

捉えられるようになったのでした。

 

 

 

 

――ただ。

 

それでも、一つだけ、疑問が残ります。

 

 

殺害当夜、九時四十分の、警察への通報。

 

妻の携帯電話からかけられたものであり、

車には内側からロックがかけられていたため、

 

 

妻がかけた電話であるのは、確実なのですが。

 

これから殺されることを知っており、

覚悟もしていた妻が、

 

何のために警察へ連絡を入れたのか?

 

 

三人が黙秘を貫いたため、真相は分かりません。

 

 

強盗に襲われたように見せかけるための、

偽装工作だろうか、とも考えられるのですが。

 

その場合、妻が電話口で沈黙していた理由が分かりません。

「強盗が来た!」などと叫べば良いのですから。

 

ですが、

その点を記者に尋ねられた警察は、

 

「打合せ通り警察に電話はしてみたののの、

目前に迫った死への恐怖から、

言葉を出すことが出来なかったのだろう」

 

という推論を述べていますし、

 

それが真相である可能性は、十分あるのでしょうが。

 

 

ただ。

 

――巷間で囁かれた噂。

 

 

派出所へ通報があったのは、午後九時四十分。

 

しかし、検視の結果。

 

殺害時刻は、午後九時半だと判明した、

 

との噂が、まことしやかに囁かれたのです。

 

 

 

無論。

 

警察発表では、殺害時刻は電話の後、

つまり十時前後と考えられる、となっているのですが。

 

それでは一つ、奇妙なことがある。

 

監視カメラの映像によると、

夫が家に帰って来たのは、午後九時ちょうど。

 

そして、それから四十分もあれば、

妻の殺害現場の大園へ、行けないこともないのです。

 

つまり。

夫のアリバイに、穴が出来てしまうことになる。

 

 

もし、九時半の殺害であれば。

夫のアリバイは、完璧になるというのに。

 

 

だから、

人々は、噂しました。

 

妻が殺されたのは、やはり午後九時半であり。

 

 

九時四十分の通報、

二十秒の沈黙のみのその電話は、

 

 

 

死んだ妻によって、

かけられたものなのではないか、と。