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江戸時代の匂いが、した、私のじいさん、
なぜなら、じいさんは、明治27年生まれ、つまり回りのおとなは、明治維新前の生まれが、沢山いたからです。酒好き、歌好き、何があっても、ポジティブ、そして、頑固者で、
物を大事にしました。

じいさんは、明治生まれの男と、しても
小さいほうだと、思われます。

ウチの母は、里が
大阪は、天満で、チャキチャキの、浪速娘でした、
姑のじいさんの
背が、低い事を、又田舎の生まれであることを、母方の親戚が、集まり酒などのんだとき、笑いの種に、することが、ありました。
私は、何故に田舎者が、笑われるのか、何故に、背が小さいことが、面白いのか、不思議でありました。
チビコの男は、威張りや、

こういってから、
ニタリと、私の方を向くのです。
私のじいさんは、98才まで生きて、母、弟、姉たち、父親、
そして、息子に、
孫娘を見送り、最後は、畳の上で、枯れるように、亡くなりました。
徳島の吉野川の扇状地の農家の、百姓の長男として
育ちます。12才の時の吉野川の氾濫で、家ごとながされ、
屋根につかまり、家族皆が、助かった話しを、
おとぎ話のように、


ナンビャカイと、聞いたでしょうか?
大阪市の西区堀江の下駄屋に
でっちに出され、
小さな体のじいさんは、働きに働いたと、
酒に酔っては話すのです、小説、泥の河の舞台になった、安治川河口は、大正から昭和にかけて、沖仲師の活躍した場所です。じいさんも、船からの、荷物を、小さな体に背負い、
働きに働いたと、よく話しました。
じいさんの小さなちゃぶ台の横に座り、
じいさんの自慢話を聞いた後には、
じいさんは、腹巻きから、布地の 財布をつかみだし、
母ちゃんのくれる2倍の
こずかいをくれました。
私と、じいさんは、同じ干支の、午年でした。
じいさんが、
60才の時、私が生まれました。
じいさんは、その頃、小さな風呂屋を営んでいました。じいさん子の私は、風呂屋のボイラー室のカマバが、好きでした。カマバの、焚き口から見る茜色の、炎を、見るのが、好きで、
又、半円形の、
幅広の焚き口に、木切れを、置いて、
木切れが、燃えるのが、面白かった思いでが、あります。

よちよちあるきの私の淡い火の記憶
風呂のボイラー室の、焚き口から洩れるオレンジ色の炎、
パチパチと、はぜる廃材の音、そして懐かしい材木からでる、煙の臭い、じいさんのキセルで煙草をふかす姿は、今でも、忘れられないいい姿でした、
カマバ、それは、夏場は、地獄の熱さです。
カマバの、木戸は、木製で、夏場は、蛇腹に、折り畳み、路地裏の前に、縁台をだし、じいさんは、風呂の湯を、タキアゲ、汗だくの体をふきながら、
一服つくため、縁台に、腰掛け、
ステテコに、半袖の、ちぢみのシャツ、草履のあしもとを組んで、
キセルで、
煙草をふかします。
私は、じっと、じいさんの、鼻から出た煙草の煙の行方を
目でおいます。煙は、空に、登らず、カマバを、横にながれます。そして、焚き口のパチパチと、はぜるオレンジのホノウのほうへ吸い寄せられると、炎と、一緒になります。そして、私は、顔を、上に上げ、煙突の煙を見るのです。
煙草の煙も、舞いようで、美しい煙です。
なぜか、秋風の宵に、じいさんを思い出しました。