さて、今週は

明日までオープンで

20、21の土日は『光展』準備のために

お休み致しますm(_ _)m


よろしくお願い致します


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“業を解く(ほどく)”

業(カルマ)とは、インド哲学や宗教において

個人の行為や意識が生み出す善悪の実態であり

それが次の生に影響を与えるとされる概念

簡単に言えば

自分が行った行動・態度は自分に返ってくるという

こと

実は善悪を問わないニュートラルな言葉

スピリチュアルな観点からは

前世や今世、来世にわたって影響を及ぼすとされ

自分自身のカルマを浄化することで

より良い人生や魂の成長が促されると考えられる

良い行いも悪い行いも、寸分の狂いなく

強烈な因果応報の報いを引き起こす

それらは現在進行形で

常にそれぞれの人生に積み上げられている

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うちは…というか母含む母方親戚は

昔ながら?の悪い癖があった

それは、毒舌で

人を貶して笑いを取る…みたいなこと

プラス、田舎の人特有?な

(今は違うと思うし、田舎が悪いわけではないです🙇‍♀️

が、昔の田舎によくいた)

見知らぬ人をじーっと見て

あーだこーだ批評する…

珍しく誰かを褒めたかと思えば

それに比べてうちの子は…とか

うちの旦那は…と続いていく

(ヤレヤレ)

子供の頃は、それが普通だと思っていた

毒舌で、笑いをとること

自分も染まっていたと思う

だけど

ずっとモヤモヤしていた

なんか変だなぁ、と

お正月などに母方の祖父母宅にいくと

親戚たちから、根掘り葉掘り聞かれ

それをネタに笑われ貶されるという

起きまりパターン

小さい時は、笑われてもかまってくれる

愛情表現として捉えていたけれど

思春期に入ると、いろんなことが見えてきて

「なぜこの人たちは、身内だからと言って

こんなにも傷つけるのだろう?」と疑問を持った

それなのに

しっかりと自分にも染み込んだその“業”は

無意識に自分の口からも発せられる事になる

そして

ワタシが放った言葉

(自分にとって軽口でも

誰かを傷つけるのに十分な言葉)によって

起きた問題は、たくさんあったように思う

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大人になったある日

ふと思った

きっと、親も親戚たちも

そのまた親や周囲からの影響で

何の疑問も持たずに、伝染しているのだ


無意識に根付いているこの“業”を

ワタシの代で、『断ち切ろう』と

家族の中で、意見や態度が強いものが

一番影響を与える

大人だって、強いモノには

巻き込まれ影響を受ける

子供はまっさらなので、尚更だ

そして、その子供が大人になり

また周囲に感化させていく…

どこかで断ち切らないと

脈々と受け継いでいく

…負の連鎖だ

幸いと言うか

ワタシは感化させる家族を持っていないけれど

気づいたことで、この悪癖を意図的に止めることが

ご先祖さまからのお達しのように思えた

そこからは意識して言葉を選ぶようになった

が、すぐには治らない

ぴょんと飛び出した発言で

相手も自分も悲しい思いをしたことも多々ある

けれど

少しづつ減っていった

比例して

対人トラブルも減っていった


家族の問題は、周囲との関わりにも

密接に関係しているのだと体感した

今はわかる

本当に相手を傷つけたくて

言っている訳ではないこと


相手を笑わせ和ませたい気遣いも

含まれていること

根本的に

自分を守っているためが多いということ

自信がないために、貶めれる誰かを

見つけているということ

自分が、言われたくなくて

一番弱いものを標的にしがちということ

親、親戚、祖母、祖父

ご先祖様方…

何をそんなに怖がってたのだろう

きっと

本当の自分の中から出てくる言葉を

発したかったはずだよね

捻くれずまっすぐに

相手と関わりたかったはずだよね

もうそんなに守らなくて大丈夫っすよー


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“業”が断ち切れるかはわからない

だけど

どこかで絡まりまくった感情は

気がついた時から、解けるきっかけになる

そして

強いものが影響を与えるのは

正の連鎖にも当てはまる

家族の問題や関係はずっと続いていく…


そういう自分もまだまだですが


あきらめず

まっすぐ尊重した言葉を

恥ずかしさを超えて

かけ続けたいとおもう

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