こなもんや三度笠 -2ページ目

こなもんや三度笠

そば、うどん、パスタなどの粉モノが大好き‼

 川越に「寿庵」という創業明治38年の蕎麦屋があります。市内に3店舗。但し、新富町本店は現在休業中なので喜多院と蔵のまち店の2店舗。今回は、喜多院店を訪問しました。

喜多院の参道のすぐ脇。川越のシンボル「時の鐘」を模した塔が正面玄関に立ちはだかります。

今日は1月8日。まだまだ川越大師の参拝客が大勢やって来ます。開店直後の11時30分で満席。

先ずは、川越の地ビール「COEDO(小江戸ビール)」。世界に類を見ない薩摩芋で造ったBENIAKA(紅赤)。

ツマミは当然「薩摩芋の天ぷら」でしょ(笑)

川越の名物・薩摩芋。よく知られていますが、その歴史は1700年末頃まで遡ります。江戸時代、今のように砂糖が一般的ではなかった時代に薩摩芋の甘味は大人気。でも重たい芋の輸送に内陸は不向き。ところが江戸と新河岸川で結ばれている川越はたくさんの芋を船で運搬出来たのです。

甘くて美味しい薩摩芋の天ぷらを「抹茶塩」で頂きました。

こちらは「舞茸の天ぷら」。新潟産です。

今回の寿庵の訪問目的は「茶そば」。

この鮮やかな緑色の蕎麦。美しいだけでなく、とても美味しい。

抹茶の香りが鼻を抜けます。

川越とお茶も薩摩芋以上に、長くて深い関係があります。

日本に茶が伝来したのは平安時代。天台宗の開祖の最澄(伝教大師)が遣唐使として中国から茶の種を持ち帰り比叡山の坂本に植えたのが最初と言われています。しかし、当時の茶は天台密教の秘儀として用いられ一般的には知られていませんでした。

茶の普及に努めたのは臨済宗の開祖・栄西。宋で修業した栄西は留学中に茶の効用と作法も勉強し、1191年に帰国すると佐賀県脊振(せふり)村の山麓に茶の種を蒔いたのが始まりとされています。栄西は、臨済宗と茶の全国普及に努めました。河越(川越)は南北朝時代に天下の茶どころとして知られます。

お茶の三大産地は静岡県、鹿児島県、三重県ですが、三大銘茶は静岡の静岡茶、京都の宇治茶、埼玉県の狭山茶と言われます。

色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす

古くから茶摘みの唄として歌い続けられました。

この狭山茶のルーツが河越茶です。

 

喜多院に隣接する「天台宗別格本山 中院」。

ここは河越茶所縁(ゆかり)の地です。

中には、島崎藤村が義母のために建てた茶室もあり、日本茶愛好家にとっては興味津々のお寺です。

「狭山茶発祥の地」の碑があると聞いて探したのですがなかなか見つかりません。

困り果てて、図々しくも本堂に上がり込むと奥の大広間でイベント。地元の人を対象に寺子屋という勉強会を開催中。

住職に訳を話すと、わざわざ釈迦堂の前にある場所まで案内してくれました。

碑には、伝教大師が茶を伝えたという天台宗の功績が書かれています。

我が家は臨済宗だけど天台宗の親切なご住職のお陰での石碑を拝むことができたのでそうゆうことにしときましょう(笑)

住職、ほんとにありがとうございました。