どこからか目覚めて第二の人生を歩み始めるのはとても楽しいことです。第三、第四・・とあってもいい。

路は誤ってもやり直せばいいんです。

山は足で登るんじゃないんです。

え?

そう。山は足ではなくて、丹田で登ります。

下るときも丹田で下ります。

体調が悪くて、だるいときをイメージしてみてください。

お腹に力が入らないと、階段を登るのがとてもきついです。

階段を下るときも、いつもより足や体が重たいですね。ドタンドタン音を立てながらな感じになるでしょう。

足や体が重たいのは丹田で引きあげる力がいつもより弱いからです。

いつもは丹田で足を引きあげているんですね。

そして、無意識でも使っている丹田ですが、意識するとより楽になります。

丹田は体のエネルギーの中心。

丹田がしっかりしていると心身ともに力強く、そしてしなやかに生きていくことができます。

湯布院の町は雲海に覆われていました。

正面登山口から登ります。

鹿が啼きます。

九十九折りをひたすら登って西峰と東峰の別れのマタエ到着。

まずは鎖場の多い西峰へ向かいます。

ここを登っていって山頂へ。

そこから火口を回るお鉢回りへ

キレットがなかなか怖いです

⇧なぜここは鎖がないのでしょうか。下りでしたので、足元が見えず苦労しました。

東峰へ周ってきました。あとは下って、飯盛ヶ城へ向かいます。

すてきな山です。今日一番の癒しでした。

この道を下って登山口に戻りました。

山登りをすると実感することですが、高いところから見ると全体が見えます。でも細部は見えません。

全体が見えるということは総じて良いことだと思いますが、細部が見えないということは、小さいことが気にならないと捉えれば良いこと、小さいことに気づかないと捉えれば悪いこと、と見方が分かれるところです

例として、官職が高くなればなるほど民衆のことがわからなくなる、という捉え方なら悪いこと。個人的なこころの問題として、どうでもいい小さいことに囚われないと思えば良いこと。

本当に素晴らしいことは、全体も細部も感じられていることです。

高い山からの景色を見て、日常の営みが細部にわたって感じられるか。なぜなら、小さいことすべてが全体に繋がっているのですから。

すばらしいひとはマクロもミクロも感じています。ズームがどこにでも合うのです。もっと言えば常に一度にすべてのものに焦点が合っているのです。

 

自分の中の宇宙と、宇宙全体がしっかりと繋がっていると、そういうことが可能となります。そうなるためには、まずは内観することです。

気持ちよく山頂に到達。ひとがいらっしゃったのでご挨拶しようと思ったら、思いきりタバコの煙がガーン

しばらく山頂入り口で立ち止まってしまいました。なんでこんな気持ちのいいだろう山頂で受動喫煙させられなきゃいけないんだろう・・・チーン

ショボンな感じです。

喫煙者はわからないのでしょうねぇ。

山での喫煙、ホントやめてほしいです。

毎日体幹トレしていますが、登山のためです。

柔軟性と体幹がとても大切です。

生きていくにも、ですね。

登山者あるあると思うんですけれど、山を見るとつい『あの山登れるのかな?』と思いながら、山頂や山の斜面や森の切れ目に道らしいものが見えないかなど探してしまいますね。

そこら辺の山でもです。もっと言えば、ちょっとした林でもそこかに出入り口がないか探してしまいます。

もう、高い山ではなくても、そこらへんの藪でもいいから日常的にその雰囲気を味わっていたい、そんな気持ちです(笑)

登山をしていると、日常生活の感覚ではとても危険だ、と思われる道はそこかしこにあります。そして事故が頻発している道は廃道や進入禁止になっています。

しかし、思われるほどの事故数はありません。

その理由は、登山者の皆さんが最大の注意を払ってその道を進まれているからです。そこが危険だと知っていて、注意して進めば、危険な目に合うことは少ないということです。

このことは日常生活でも安全に過ごすヒントになります。日常生活にも危険はあって、しかし危険ということを意識しないので、事故が起きている。

登山道を歩くのと同じように、日常生活でも危険を知って生活していれば、危ない目に合うことは少ないでしょう。

 

山頂にいくには一歩一歩の積み重ねです。

そしてその一歩一歩の時間における風景などを五感で楽しみます。あるいは自分の内面を見ながら。

それが楽しい。

山頂に到達すれば、達成感もあります。もし天候に恵まれなかったとしても、それはそれでそういう環境を楽しみます。

そして下山。上るよりも難しい場面もあり、ゴールするまで注意が必要です。

登山をしない人は山頂に行くことだけを考えます。天候が悪くてよい景色がなかったら残念と思います。あるいは絶好の眺望が望めない山には登りたいとも思いません。

登山が好きな人は過程を楽しめる人です。眺望がなくても、その山々の雰囲気を楽しめます。あらゆることを受け入れて、それを是として、自分を自然の中に当てはめる。自然の一部となることが嬉しいのです。

自分が世界の中心ではなく、自分は世界の一部。

その現象のひとつひとつ、自分の一歩も現象として、楽しむことができる。それができるひとが登山を好きなんだと思っています。

人生の並木道で有名な奥作礼周回ルート。

パノラマ展望台もすばらしいです。

ステキなトレッキングルートにはお花やキノコもたくさん

沢登りをしたら作礼山方面へ。

山頂近くに池が3つあります。そのうちのひとつはじゅんさい池。じゅんさいが自生しているのかぁ。じゅんさい好きです。

作礼山山頂

山頂のもっとも眺めのいいところを独占して寝ている人(-_-;)

少し行ったところにある東展望岩からも抜群の眺めでした。天山、雨山もよく見えました。