底知れぬ闇の中にひそむ「愛」という名の人間模様を巧みに描く

 

作者が20代最後の頃の2005(平成17)年の作品で、直木賞受賞の直前に書かれ、山本周五郎賞候補になりました。まさに若い頃の才気煥発の小説と言えます。長編ですが、6つの連作短編と見ることもできます。それらの短編はいずれも一人の主人公を中心にストーリーがつながりながら環のように展開し、最後はまた最初に戻ってくるというロンド形式の作品となっています。巻末の解説で金原瑞人がこの小説を「複数の女性と関係をもってきた大学教授、村川融というピンボール・マシンの中ではじき飛ばされる人々の織りなす物語」と評しているように、村川融は主人公でありながらあまり表立っては登場せず、タイトルにあるように彼と関わる人間(私)がそれを語りはじめることで小説が進行します。

 

このようなスタイルの小説として思い浮かぶのは、川上弘美の『ニシノユキヒコの恋と冒険』です。この二作を比べると、いずれも主人公が多数の女と関わって行くという点ではよく似ています。川上弘美はこの小説を書いたきっかけとして「源氏物語や伊勢物語のように、一人の男がたくさんの女の人とかかわる話を読むたびに、どうして女の人たちはこんなに女好きの男と喜んでつき合うんだろうという不思議さがありました」と記しています。そこは二人の作家に共通しているのではないかと思われますが、ユキヒコは最後は女の方からみな離れて行き、そこに彼の悲しみが生まれます。ところが村川融にはそれがほとんどありません。そこが二作品の大きな違いとなっています。

この文庫の表紙は、どこか闇を感じさせる林に囲まれた薄暗い沼の写真となっています。また小説の冒頭は、古代中国の朝廷で臣下と通じた寵姫を残虐な方法で殺害する皇帝の描写から始まります。そういった点にもこの小説にこめた作者の深い思いが感じられる気がしますが、以下ごく簡単にあらすじを記します。

 

 結晶

二千年以上前、寵姫の臣下との密通を知った皇帝は彼女を残虐な方法で殺し、二十年後に臣下も処刑した。

私は数年ぶりに、密集する建売住宅の一角に先生の妻である五十前の彼女を訪ねた。このままでは先生が大学を去らねばならず、自分も講師になれないと訴える。彼女には二人の子がいた。どうして色男ではない先生が女に人気があるのかわからないと話すと、彼女はある種の女にはたまらない魅力だと言う。先生はあなたの貞節を疑っているし日記も見ていると話すと、それはお互い様で村川の専門の古代朝廷で権力者が女たちを囲うのはそれが刺激的だからと言う。私は大学に届いた修士課程の倉橋香織と関係を持つ先生を告発する手紙を見せ、先生に頼まれて誰が書いたのか探していると話す。すると先生がカルチャースクールで担当する講座の生徒太田春美の名を挙げ、二年前から彼女が離婚して村川と結婚したがっていると言う。半年前に女の電話でご主人の相手が知りたければホテルのロビーに来いと言われ、娘のほたるに写真を撮りに行かせると先生と親しげに寄り添う太田春美がいた。村川に問いただすと、彼女は三崎と名乗る男に電話で資料を届けてくれと頼まれたのだとのこと。私は香織に利用されたのだと言い訳する。香織は太田春美と先生の妻が罵りあうのを願っていたのだ。先生の妻は太田春美から送られてきたらしい男女の声が入ったテープなども、離婚調停で証拠にするため保管していた。先生は愛の言葉を麻酔にして捕食されることを是とする人だと言う。そして彼女は生臭い男女の世界の敗残者となり、この世で一番醜く美しい結晶を抱えたまま暗い森から静かに去ろうとしているのだ。私は手紙を書いた太田春美を訪ねるだろう。

 

 残骸

真沙子が父親の所に顔を出してほしいと言うので、大磯に行くことにする。娘の千沙が通う小学校は大学までの一貫教育をうたい、大学の教授が主催する公開講座がはやりらしい。家の界隈に高速道路建設計画があり、庭の半分に土地買収の話が出ている。引っ越すことも考えられるが妻は反対だった。引退した義父は公職追放された後も隠然たる影響力を維持した男で、大磯の広大な日本家屋に住んでいる。私の今の立場も財産も義父から受けたものだ。行くと道路予定建設地の件は、義父が上の方にかけあってやると言う。

家に帰ると、真沙子が見知らぬ女性と玄関先で言い争っている。妻は先生は私のことが好きなんですと言うと、女はもう会わないでと語気を強めた。私は庭の方に戻り、ダイニングへ入る。娘に昼のパーティに誰が来てたかと聞くと、女の人三人と同じクラスのほたるちゃんのパパ村川先生だと言う。妻が来て、村川先生は熱心で真面目な研究者だと話す。私は信じたくなかったし、真沙子が理解できなかった。盗聴器をしかけようと思ったり、村川夫妻について調べるため調査会社に電話をかけようとしたが、男としての物足りなさを露呈するだけの妻に裏切られた間抜けな男で、結局は残骸を拾い集めて一人で修復していくしかない。役人から道路計画の見直しを告げる電話があったが、少し待ってほしいと答えた。その後、義父が会社まで来て馬鹿げている、ちょっと遊べば気分も変わるんじゃないかと言われる。

引っ越しの話をすると娘は喜んだが、妻は顔を歪めた。言いたいことがあるなら言えばというので、男とこそこそ逢い引きするのは陰険だと言うと、私は先生と真実愛し合っています。先生はモーツァルトに聴き入るさびしく繊細な人だと言うので、私が奥さんに同情すると言うと寝取られ者同士、傷をなめあえばいいと言うので、私は初めて妻を殴りとばした。夜半、妻は娘を連れて出ていった。

義父からの連絡もなく、私は初めて平日定時に退社した。帰ると外灯が点いていた。娘がいてママと仲直りしてと言い、今日学校でほたるちゃんにあんたのママは自分に魅力がないくせに私のママのせいにしてと、怒鳴ったと話す。私はママと父さんが喧嘩したのは誰のせいでもないから、ほたるちゃんに謝らないといけないとなだめた。私がベッドで爪を切っていると妻が腰を下ろした。引っ越し先でも桜を植えればいいと言うと、彼女は笑みを浮かべた。私は、村川という男は不変のものがあると信じたくて子どものように恋を仕掛ける哀れで愚かな男で、変わることの中にさびしさや繊細な美しさがあることを知らないのだと思った。

 予言

一九九九年に恐怖の大魔王が降ってきて人類は滅亡するようだが、父が急に出て行って俺の世界は壊れてしまった。父の書斎は本がぎっしり詰まった仕事場で、呼人(よひと)も歴史を研究するかと言われたが、いらないと答えた。母によれば父は運動ができないし、クリスマスも嫌いだった。一冊の貯金通帳を俺に渡し、母と離婚して出て行った。何人もの女と十数年にわたり浮気していたのだ。母と姉はむしろ清々していた。俺は父の勤め先の大学の付属中学に通っていたから、噂は筒抜けだった。渡された金で中古バイクを買う。女ともけっこう遊んでいたが、頑張っても射精できなかった。父は住所のメモ用紙を置いていった。五月に体はでかいが成績がよい隣りの篠原椿が、俺のバイクのことで声をかけてきて知り合いになった。父を訪ねると、単身者用ではなく大きなマンションに住んでいた。ドア横に太田のプレートがあった。母より十歳ほど若そうで華やかだが少し品の悪そうな女と、小学校低学年と六年生くらいの女の子がいた。帰ってきた父は自分の子ではないがもう娘だ、秋から九州の大学に移ると言う。俺は悔しくてもう二度と来るかと思う。家の路地の入口で椿が待っていたらしく、乗せて彼の家まで送る。彼とはだんだん仲良くなった。彼は父のように勉強が好きだった。父も俺がガキの頃はよく遊んでくれた。

梅雨の頃、高校の教室に小学校の制服を着たあの上の女の子が来て、ドアに腐った豚肉をなすりつけるのはやめて、家族中が迷惑してると言って走り去った。俺は帰って母に八つ当たりした。バイクで家を出ると椿に会ったので、二人で雨の中を山に向かって走り出す。あの子は勘違いしてるんじゃないか、村川くんは優しいと彼は言う。山のてっぺんまで行くことにする。しかし途中で対向車線から来た軽自動車に気づくのが遅れ、濡れた路面に後輪がすべって道の外にすっ飛んだ。車から降りてきたおばちゃんに早く救急車をと頼む。椿は生きていてうめき声がする。痛くて泣きそうだから何かしゃべってくれと言われ、俺は猛然と幸せな生活や予言で滅亡する世界のことなどを、サイレンの音がするまでしゃべった。

俺は高校を卒業してすぐに家を出た。母は少しさびしそうにしていたが、たまに夕飯を食べに行く。運送屋でばりばり働き、二年前に独立した。だが心のどこかに滅んでしまった世界はいつもある。幸せだった頃の家族の記憶や思い出は、眠りについてしまったのだ。

 


 水葬

村川綾子は週に一度は父親宛に手紙を書く、小柄で色白な大学一年生である。手紙を書く彼女の姿を、俺は暗い部屋から眺めている。彼女の机には、父親と母親と妹らしき家族の写真が飾ってある。杉並のアパートの一号棟二○一号に住み、俺は向かいに並ぶ二号棟二○一号に住んでいる。同じ仏像同好会に所属しているが、俺は彼女を大学キャンパスで佐原直絵と共に勧誘した後、その住所を確かめ彼女をのぞける部屋に引っ越した。四月から三ヵ月経つが、彼女は判で押したような生活で、部屋ではいつも黒い服を着ている。あと数日で九州の家に帰省するようだ。五反田がやってきて、もたついてるから上を納得させるためにもノートに記録だけはきちんとつけろと言う。俺は佐原とつきあうことにした。彼女はアルバイトに精を出し遊んでいるが、二人とも人のいいお嬢様のにおいがする。俺はかわいいと彼女をほめ、部屋に出入りする。村川綾子のことを聞くと、小学校で同じクラスだったが彼女は六年の途中から九州に引っ越したと言う。ファザコンかと聞くと、お父さんは再婚した義理の父で、前は村川じゃなかったと言う。二人で村川綾子の部屋を訪ねると、白いブラウスを着ていた。男好きのする女だが、隙を見せない。俺は彼女に好みのタイプだと話す。仏像同好会で九月に鎌倉に行く予定だ。帰り際に佐原がトイレに立った時、村川綾子は女におべっかを使うようになったらおじさんだと言い笑った。俺はぬか漬けを持って、また部屋を訪ねた。彼女は渋谷先輩は殺し屋でしょうと言う。俺は動揺しながら部屋に戻り、五反田にばれてるぞ、今回の依頼人は誰だと問うが上に確かめるから焦るなと言われる。
村川綾子が出かけたので後をつけた。彼女は新宿のホテルで、両親らしき中年男女と話して別れた後、俺に近づいてきた。俺に殺しを依頼したのはママで、東京で学会があるたび母は父についてくる。俺の今回の仕事は楽に終わると言う。俺と五反田は依頼人の期待する弱味がない場合は事実の捏造も請け負うが、今回は事務所も依頼人を明かさない。彼女の母親がなぜ依頼するのかよくわからないが、おかしな家族である。俺は佐原に小学生の頃の写真を見せてもらう。引っ越し直前の六年生の頃で、義父が写っている。村川綾子だけが新しい家族に馴染めず、笑っていない。

村川綾子に呼ばれて部屋を訪ねると、私は死にます。合宿の夜にでも鎌倉の海に入いろうと思っています。先輩に見ていてほしいと言われる。理由を聞くと、私の家にはいつも暗い影が差し、母はそれに脅えて父を束縛し監視する。母は私の実の父と別れ、今の父と結婚した。今度夫を奪われるのは自分だと思っている。母は私と父の仲を疑って、あなたに依頼したのだと言う。そのきっかけは、私が父の弟子にあたる人とつきあっていたから。それを知った母が三十も過ぎた男なんてとんでもないと怒って父に告げ口したとのこと。母は私が夫をうばってもおかしくないと妄想したと言うが、母親はその男と娘の交際がまだ続いているかもしれないと考えて依頼したのかもしれない。ありもしない影に脅えているのは村川綾子なのだ。俺は合宿の夜、海に行き彼女に行動確認の記録ノートを渡すだろう。夜、村川綾子は海に足を踏み入れる。水葬を見届けた後、俺は戻るだろう。

 冷血

夢の中の女の背にそっと触れてしまう。女は、あなたは何度も何度も思い出すと言う。

赴任した年に市川先生のことが好きといった生徒がいたが、五年目の今では僕を珍獣のように遠巻きにするだけだ。ほたると約束のバーで会うと、彼女はこのままじゃ律と結婚できないと言う。式は二ヵ月後だが、父の再婚相手の連れ子の義妹が、昨年夏に鎌倉で水難事故で死んだらしいので調べてほしい、父が結婚式に行く気になれないと言うのでそれがわかったとのこと。両親が離婚した二十歳まで一緒に暮らした娘なのにである。眠りながら腰に触れるほたるの指の隙間から、黒い蜥蜴が顔をのぞかせている。彼女は明日からアメリカへ出張だ。僕が図書室で新聞の縮刷版をめくると、大学一年の村川綾子さんが鎌倉の海で水難事故で死亡し、警察が死因を調べているとの記事があった。ほたると僕は学生時代に同じサークルにいて、僕に何かつてがあると思って僕に頼んだのだ。僕は、おまえが女と別れるなら一回だけ何でも頼みをきいてやると言っていた江畑という男に調査を頼んで、中華料理店で会った。僕はかつてあの女と爬虫類のように結合しつづけていた。江畑は水死に関する資料を僕に手渡した。大学ノートに書きこまれた殺し屋日記というのもあったが、彼はノートは彼女の創作で事故か自殺に近いと話す。アメリカにいるほたるから電話があり、そう伝えると、父は単なる事故じゃないとの噂で神経質になっていると話す。なぜ義理の妹の死にこだわるのか聞くと、父の新しい家族の暮らしを想像するたびに、父とその家族にものすごい不幸が起こればいいのにと思ったからと言う。

学生の頃、僕がデパートでアルバイトをしていた時、客のあの女と出会い、マンションに通うようになった。彼女はある社長の愛人で、江畑は彼女の管理を任されていた。僕は彼女に愛を誓うため、彼女の太ももにあった蜥蜴の刺青の彫り師を訪ね、左腰に同じものを刺青した。僕は一緒に出て生活しようと言ったが、彼女は頷かなかった。江畑は潮時だ、別れるなら僕が必要とした時一度だけ力になると言う。週末、村川綾子が住んでいたアパートに行く。江畑は殺し屋の話は荒唐無稽と言ったが、二号棟二○一号には渋谷という学生が以前住んでいた。佐原直絵に電話して喫茶店で会う。彼女は渋谷先輩はノートに見覚えがないと言うし、あれは村川綾子の創作で、自殺かどうかはわからないと言う。学校で授業を終えた後、電車で家に帰るとほたるがいた。僕はきみの妹はやっぱり自殺と思うと話すと、彼女は目を伏せた。あなたは冷たいところが父と似ている。でもロマンティストではないでしょう? だからあなたがいいと言う。彼女との淡々とする生活を僕は望んでいる。

 

 家路

先生の死を新聞の訃報欄で知った。先生と決裂して二十年が経つ。私も小さな女子大に勤めている。告別式に参列するため福岡への航空券を手配した。妻の伊都との間に子供はなかった。その哀しみを埋めるため、より気分が沈んでいる方が相手を支配する「ごっこ遊び」に没頭し、その屈辱感や万能感を味わった。結婚して十五年以上になり、おしなべて幸福だったが今はわからない。私は毎日迷わず家までの道順を帰る。家に来ていた奥村君が、迷子のお年寄り情報を書いた生徒手帳を出す。たまに子どもの情報もある。団地の四階建ての居間で伊都と奥村君は食事していた。奥村君が帰ると急に熱気が失われるが、赤の他人の高校生が毎晩のようにいる家は私にとってよそよそしい場所になっている。

福岡に着きビジネスホテルに一泊し、朝タクシーで寺に向かう。門の塀沿いに花輪がずらりと並ぶ。受付で香典を渡し、境内の隅で焼香の順番を待つ。太田春美が本堂の敷居際に出て、先生と関係のあった女を炙りだし、自分との優劣を見極めようとしている。年はとったが用心深い視線を投げつづけている。本堂の奥に彼女の無表情の娘がいる他は、身内らしき姿は見られない。太田春美と目が合ったが、あの脅迫文を持って訪ねたのはもうずいぶん昔なので気づかない。出棺の前に、村川ほたるが彼女に紙切れを押しつけていた。ほたるが寺を出ようとしたので呼び止め、先生にお世話になった三崎ですと名乗った。彼女は太田春美にお墓を知らせてほしいと連絡先を渡したのだと言う。お母さまは元気か訊ねると、おかげさまでと答えた。ホテルで洗面台に映る自分が、太田春美とそっくりな愛の軽重を計る目をしていた。誰もが先生に一番愛されたいのは自分だと競いあった。そのむなしいあがきは、底知れぬ闇にひとを引きこむだけなのに。

家への道の途中、サッカー部の練習帰りの奥村君に声をかけられた。整形外科の受付のパートをしている伊都が、練習で足を痛めて医院に来た彼と知り合ったのだ。広報塔から家出人の情報が流れ、私は彼になぜ興味があるのか聞くと、四歳の頃スーパーで母とはぐれて迷子になり、母と似た女の人に連れられ二日間過ごした後、同じ場所で発見されたと言う。

私はなぜ私たちの前に現れたのか疑念が起こり、もう家に来ないでくれと告げた。奥村君をさらったのは伊都なのか? 家路を探して流浪を続ける奥村君。十二月に村川ほたるから北陸の菩提寺の連絡が入った。彼女は納骨式には行かず一人でお参りすると言う。朝早く北陸行きの電車に乗った。県庁所在地の駅からタクシーで三十分ほど走り、小さな町の高台の寺に到着した。私は納骨式に参列する気はなく、真っ暗な謎を抱えた先生が最後にたどりつく場所を見届けたかったのだ。墓地の斜面を下りていくと、骨壺を抱えた太田春美が砂浜にいるのが見えた。彼女はいまや足跡を残さぬ幻の葬列を率い、うつろな眼差しで歩いていた。

おおよそ以上のような内容となっています。初めにも述べたように主人公村川融はあまり表立って登場することはなく、彼と関わった多くの人間(私)が主人公(彼)を語りはじめたという設定の小説になっています。登場するのは彼の研究室の教え子や妻、浮気相手とその夫、息子、再婚相手とその連れ子、その行動監視のため雇われた調査員、娘とその婚約者、教え子の妻、等々実に多彩多様です。

通常、不倫や浮気をテーマとする小説は、当事者の関係を中心に話が展開されることが多いと思われますが、この作品ではそれよりもその影響を強く受ける(まさにピンボール・マシンの中の)彼らの家族やその周辺人物を広く取り上げています。そして主旋律を維持しながら多彩な変奏によって連鎖的に話を進行させ、最後に全体の環が閉じられるような作品に仕上げています。そこに推理小説的な要素を盛り込みながら小説としての緊迫感を作り上げ、読者を引き込んで離しません。

 

これだけ多様な人物を登場させてストーリーを展開させるには、一般的には並外れた知識や経験と筆力が必要でしょう。さらに恋人や夫婦、親子や師弟などの錯綜する人間模様を巧みに描写するためには、冷静な客観的視点も求められますが、作者はそれをまだ20代の若さで成し遂げました。そこに作者の非凡な力量を感じます。その勢いがそのまま直木賞受賞へと突き進んだものと思われます。

と書くと、まるで非の打ちどころのない傑作小説のようですが、しかし残念ながら山本周五郎賞候補に留まってしまいました。長所は往々にして短所にもなりがちで、筆が走り過ぎてストーリー中心になるとどうしても主題が疎かになってしまいます。

冒頭の皇帝の嫉妬や残酷さと、主人公や他の登場人物たちの抱えている闇の共通性が、どこまで深く掘り下げられているかを考えるとやはり不満が残ります。その文学的テーマが追及されないまま次々と話が進行し、結果として推理小説的な複雑さと難しさが目立ってしまった点は惜しまれるところです。とは言え、こうした試行錯誤がまた次の新たなステップに結び付いたようですから、それはそれで大いに意味があったと言えるのかもしれません。

 

(海馬文学会:永田 祐司)