津村記久子

『この世にたやすい仕事はない』

(新潮文庫)

 

書店でタイトルを見た時は、てっきり今の時代における非正規労働者の仕事の厳しさに関するドキュメンタリーか何かと思ってしまいました。そう勘違いしたのは、一つにはタイトルがそのようなドキュメンタリー風だったこともありますが、私がこの作者のあまり熱心な読者ではないため、そうしたものも書く作家なのかと勝手に思ったからでした。でもその経歴を知ると、そんな誤解をするのはおかしいことがわかります。

作者は1978(昭和53)年大阪市生まれで、2005年に『マンイーター』(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で太宰治賞を受賞してデビュー。その後も08年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、09年『ポストスライムの舟』で芥川賞、11年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、13年『給水塔と亀』で川端康成文学賞、そして16年に本作『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、17年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞と、錚々たる受賞歴を有する作家です。

本作は主人公の若い女性が長年勤務していた仕事をストレスによって退職し、ハローワークに相談に行って「一日コラーゲンの抽出を見守るような仕事」がないかと探した結果、就業することになった5つの職業についての小説です。それらの職業はいずれも現代においてこんな仕事もあるのかと思わせるようなちょっと変わった性格のもので、最後まで読む者を引き付けて離しません。しかもそれぞれの仕事を行う過程でいろいろな予期せぬことが起こってしまい、結局主人公はそれらを短期間で辞めざるを得なくなり、また次の仕事を探してもらうということになってしまいます。

以下に目次と、それぞれの仕事の内容についてごく簡単にどのようなものであるかの概略だけを紹介してみます。

(各話の扉頁や巻末などに、挿し絵の漫画が入っていて楽しく読めるのもありがたい点です。)

 

目次

第一話 みはりのしごと

第二話 バスのアナウンスのしごと

第三話 おかきの袋のしごと

第四話 路地をたずねるしごと

第五話 大きな森の小屋での簡単なしごと

 漫画 龍神貴之

 

第一話 みはりのしごと

ある一室で左右二台のモニターを見ながら、監視対象の人物の行動をチェックする仕事です。その人物は在宅で仕事をしている一人暮らしの女性小説家で、明け方六時に寝て、昼の二時に起きる生活をしています。監視はリアルタイムではなく、時間差で録画した二台を比較しながら確認します。この人物はどうやら本人が知らないうちにある知人から何かの密輸品を預かっていて、その隠し場所はDVDケースの中のどこかにあるらしいことはわかっているので、それを見つけるためにモニターを見ているのです。監視カメラは小説家が知らないうちにセットされたものです。主人公にこの仕事を指示している人物はいるのですが、彼もその元々の依頼主はわからないようです。そして主人公はモニターを見続けるうちに、その監視対象の人物としだいに生活をともにしているような気分にさせられてきます。といった仕事です。

そしていろいろなことが起こり密輸品は見つかって無事仕事は一か月で終わりますが、主人公は頭痛がしてこの仕事の契約を更新しません。

 

第二話 バスのアナウンスのしごと

再び相談員のもとを訪れ、新しい仕事を紹介してもらいます。そして今度は急募されていた循環バスのアナウンスの編集の仕事をすることになります。主人公より十歳以上は年下の女性に教えられながら、勤務を始めます。循環バスは地元の大切な交通手段なのですが、赤字が続くため何とか存続させようと停留所ごとにアナウンス広告を募集して車内で流しています。広告の依頼が来るとそこへ電話取材して原稿を作り、それをチェックしてもらい、さらに社内で声の印象の良い人に読み上げてもらって編集し完成させるという仕事です。広告の得意先は地元の商店や企業、サービス事業者などさまざまです。時にはバスに乗って現地を見に行ったりもします。そんな仕事ですが、勤務先の上司からはその同じ職場の女性について何か気になる動きがあれば教えてほしいと言われます。その女性からはアナウンスの作業が一通り終わったら退職する予定だと告げられます。

そして女性が退職し、主人公も同じバス会社の他の職場で仕事を続けることを勧められますが、それを断ります。



第三話 おかきの袋のしごと

またハローワークで相談して、今度は創業四十年の米菓の製造企業で働くことになります。前のアナウンスの文言を作るのに似ていて、おかきの袋の話題を考えるという仕事です。社内的にはとても重要な仕事ですが、前任者はうつ病で休職中とのことです。社長に会って話を聞くと、食べておいしいだけじゃなくさらに何か得をしたなと思ってもらえるように、袋の裏にいろいろと役に立つ知識や情報を載せており、それを考えてほしいと言うことです。前任者の「国際ニュース豆ちしき」が終わったら、新しい案を考えなくてはいけません。これまでのシリーズに対するお客様の反応が、メールや郵便で届けられます。また候補案を考えたら社内の声を投票箱に投票してもらいます。社員食堂で会った女子社員たちから助言を受けながら、一階の「おかきミュージアム」展示室の奥の部屋でそれを考えます。そうして発売される商品に合わせて次々といろいろな案を掲載していきますが、お客様の中でそれに意見を寄せる人がいてメディアで取り上げられ、会社にもやってきて社長が気に入ります。また前任者の復職の話も出てきて、社長からは他の部署への異動も勧められますが、主人公は契約を更新しないことに決めます。

 

第四話 路地をたずねるしごと

今度はデスクワークでなくてもけっこうですと言うと、外回りの仕事を紹介されました。説明を聞きに行くと、住宅街の外れにある小さな事務所で半年ごとに出る新しいポスターを前のものと替えて住民さんの家に貼って行く仕事で、ポスターは交通安全、緑化、節水という3種類です。それと合わせて住民さんといろいろお話をしてほしいと言います。さらにそれをしている目的は営利ではなく町の平定化のためで、住民さんの簡単な調査も兼ねていると言います。主人公は早速町内を回り始めます。するとあちこちにもう一つ別のポスターが貼られていることに気付きます。それは「もう、さびしくはないんだよ」という標語のポスターでした。気になってそのフェイスブックのページを開いてみると、さかんに地域で交流会を開いているある団体のようでした。主人公はそれから町内を回り続けいろいろな話を聞いてその交流会にも潜入しその理由がわかってきますが、危険なトラブルに巻き込まれます。そして何とかその団体の活動を停止させることに成功しますが、それと共に事務所のシャッターも閉じられました。

 

第五話 大きな森の小屋での簡単なしごと

また相談に行くと、公園の管理事務所からの求人を紹介されました。やはり外でのごく簡単な仕事だと言います。大きな森林公園の事務所に行くと、さらに奥の方にある小さな建物へカートに乗って案内され、その小屋で何か変わったことがあればトランシーバーで連絡してほしいとのことです。そしてたまにそこから地図を持って出て、新しいものが見つかればそれに書き込むのが仕事だと言われます。あたりは静かで小鳥の鳴き声や、風に吹かれてこすれあう木々の葉の音が聞こえるだけです。あちこちに木の実もたくさん落ちています。小屋を出て地図を見ながら奥へ進んでみると、高い木の枝にこの地域のサッカーチームのユニフォームのウインドブレーカーがかかっていて、それが地図に書かれ目印になっていました。事務所に行くと前任者の女性が離職票をもらいに来ていて、小屋の中のでものが無くなったりなどおかしいことはありませんか、幽霊かもしれませんので気を付けてくださいと言われます。仕事を続けていくうちに主人公はどうやら森の奥に誰かが住んでいるらしい気配を感じます。そしてその人物をようやく探し出します。

 

このように5つの職業はいずれもきわめてユニークな仕事です。これらは小説の世界ではなくて、現実にもありそうだというギリギリのラインを見事に突いていると言えます。しかも現代の職業事情にふさわしく、時代の先端を行くような内容となっています。作者はいったいこれらの職業について、どのような経験や想像力によってその姿を生き生きと思い描くことができたのでしょうか。

作者自身も大学卒業後に10年余りの職業経験はあるようですが、それにしてもこれだけの異色の仕事をそれぞれの細部まで綿密に想像して描くのは並大抵のことではなく、そこに作者の類いまれな発想力と小説家としての力量を感ぜずにはおられません。各小説にはそれぞれ謎解きのような部分もありネタバレのおそれもあるので詳細のストーリーを記すことができないのは残念ですが、それぞれが読み物としても大変面白く仕上がっています。興味のある方はぜひ本書を直接手に取ってお読み頂きたいと思います。

 

かつて夏目漱石が「職業と道楽」という視点で人間にとって義務としての仕事と趣味としての道楽(芸術)について論じていましたが、それから一世紀余りが過ぎ人間の仕事=労働のありようは大きく変化しました。漱石が今この小説を読んだら、その変貌ぶりにきっと目を白黒させるのではないかと思われる程です。

仕事の区分として農林水産業の第1次産業、製造建設業の第2次産業、商業や金融、医療、情報サービスなどの第3次産業という分け方があり、現代は言うまでもなく第3次産業で働く人が多くなっています。そして本作の5つの職業も、多くは第3次産業に属していると言えます。この産業の職業はますます細分化され専門化が進んでいて、本作の主人公の職業も短期間の就業とは言え、ほぼそうした実態を反映していると言えます。しかも現代ではAIやロボットの登場により、人間の労働はかつてないほどに大きく様変わりしようとしています。

そうした現代においてジェンダー論だけは盛んですが、人はいったいなぜ何のために働くのかという根本の問題の問いかけに対する答えはいまだ明確ではありません。この小説はすべて女性が主人公ではありますが、そもそも男女を問わず職業とは何であるのかという人間にとっての労働の意味をあらためて考えさせてくれます。そうした労働の未来についての問題提起という点でも、大変有意義な一冊だったと言えます。

 

(海馬文学会:永田 祐司)