殺戮と災害が続くこの世界で、名もなき命に寄り添う心の葛藤と叫び。

 

作者は大阪出身のイメージが強かったのですが、1977年イランのテヘランに生まれ2歳の時一時帰国。そして小学1~4年はエジプトのカイロで、その後は大阪府和泉市で暮らし関大法学部を卒業しています。このような幼少時の海外生活が、この作品にも少なからぬ影響を与えているようです。2004年『あおい』で小説家としてデビューし、15年『サラバ!』で直木賞受賞、本作はその直後の16年、40歳頃に発表されたものです。

当時は、まず01年にアメリカ同時多発テロでワールドトレードセンターが炎上し、多くの犠牲者が出てアフガニスタン戦争が始まりました。1012年は中東でアラブの春と呼ばれる大規模反政府デモが起き、その後シリアで政権側と反政府勢力による激しい内戦が始まり400万人以上の難民が国外へ脱出しています。作者がこの小説を書いたきっかけの一つとして、シリアからトルコへ向かった難民の船が転覆し、3歳の赤いシャツを着た男児アイラン・クルディが浜辺に溺死体で横たわる写真を見たことをあげています。その後も世界から戦争と難民はなくならず、最近ではロシアによるウクライナ侵略やパレスチナのガザ地区におけるイスラエルとイスラム組織ハマスとの激しい戦闘によって、多くの子供たちが殺害されたり難民となっています。

 

この小説はシリアにおいてそのような難民であった一人の少女が、アメリカの恵まれた夫婦のもとに養子としてやって来たことから始まっていて、難民と養子の問題が大きなテーマであることは間違いありません。ただ養子については、単に血のつながらない父母との関係に悩むということだけではありません。作者は小学生としてエジプトで暮らしていた頃、かなり恵まれた環境にあり、周りの貧しい人たちに対して恥ずかしいという気持が強かったそうです。そのこともまた重要なテーマとして、掘り下げられています。

さらにLGBTへの関心と、自己のアイデンティティがどこにあるのかといった疑問なども執筆のモチーフとなっているようです。このように小説としてはかなり多岐にわたる重層性を持っているため、読み応えのある長編となっています。

以下、ごく簡単にあらすじを記します。

 

1 高校の授業初日、アメリカ人の父と日本人の母を持つワイルド曽田アイは数学Ⅰの教師の「この世界にアイは存在しません」との言葉に驚く。1988年シリアで生まれ、父ダニエルが日本語の「愛」、母綾子が英語の「I」という意味で名付けたアイは、彼らの養子となり小学校卒業までニューヨークの高級住宅街に住んだ。4歳の時、射的場にいた中東のムスリムらしき女に似ている自分を感じた。両親から不幸な子どもたちの写真や映像を見せられると自分は不当に幸せだと思った。家のシッターのアニータは独裁の貧しい国ハイチ出身で、カタリナなど痩せて小さい3人の女の子がいた。性に目覚めたカタリナはお医者さんごっこでアイの性器に冷たいスプーンを当てこれで子どもが産めますと言った。彼女にあなたはセックスで生まれたのではなくヨウシだと言われ、アイは両親の愛を信じられなかった。いつしかアニータが来なくなり、新しいシッターが雇われた。

アイが6年生になると航空部品メーカー勤務のダニエルの転勤で、日本に来た。その前に神戸出身の家庭教師から阪神淡路大震災のことを聞かされ、また宗教団体が地下鉄で「毒」をまいたことも知った。アイはアラビア語は不出来だったが、英語と日本語は熱中した。入学した私立中学はみな同じ制服でアイを安心させたが、白い皮膚と黒く豊かな髪は異質で、養子も珍しがられた。20019月ワールドトレードセンターに航空機が激突。みなに同情されたが、アイはなぜ私ではなかったのかと罪悪感を覚えた。勉強がよく出来たので進学校に合格し、みなと別れた。高校に入ると生徒たちは礼節をもって接してくれたが、行動を共にすることはなかった。生物の授業の教室移動で、権田美菜が話しかけてきた。彼女もグループに属しておらずミナと呼んでほしいと言い、友達になった。

夏休みになり母と軽井沢のホテルで過ごす。両親はボストンで出逢い半年で結婚、7年後にアイを養子にした。始業式の日、チェチェン共和国で武装勢力が学校を占拠し人質140人以上が死亡した。ミナはずっと老舗のこんぶ屋の家業を手伝っていて、親は後を継がせる気だと言う。来年は避暑についていきたいと言うので、アイは親友だと喜ぶ。二学期の中間試験でアイは学年トップになる。文化祭で両親はミナと会う。ダニエルの父は結婚後学習教材の販売会社を立ち上げ、母もタイプが得意で会社はみるみる大きくなりダニエルたちを育てた。実家はオレゴン州にあり、祖父母はアイを可愛がってくれたが、いとこたちとは瞳や髪の毛が違った。綾子の曽田家の祖父は、戦後輸入会社を興し成功した。父は三男だったがアメリカで経営学を学び、家業を継いで母と見合い結婚した。綾子はその三人目の娘で、アメリカに語学留学中にダニエルと出逢って結婚した。祖父母もアイを可愛がってくれたが、どこか戸惑っているように感じた。綾子とダニエルの実家には歴代の家族写真がファミリーツリーとして飾られ、そこには血の繋がりがあるがアイだけは土も根もない一本の草に過ぎなかった。仏教の国日本でクリスマスが来た。シリアではイスラム教徒が多数を占めるが、他にも様々な宗派がある。インドネシアのスマトラ島沖で大地震が起き、22万人以上が死ぬ。アイは大きな事件の死者数をノートに書き込むようになった。

2年生になり、ミナとクラスは別れたが親交は続いた。夏休みミナは約束通り軽井沢に来た。アイは17歳になり太り始めた。ミナはいつかニューヨークに住みたいと言う。二人は恋の話をしたことがなかった。同じ部屋で泊ってアイは高揚したがそれだけだった。翌朝ミナは母の連れ子の兄がいるが、両親は私に家を継がせたいので婿養子をとれと言われ、ばかみたいと言う。その言葉に少し傷つく。10月パキスタンで大地震が起り7万人以上が死ぬ。冬になりミナは付属の大学に行くが、アイは受験を考える。その後も世界各地で事件や災害で多くの人が死んだ。アイは数学の美しさに魅せられ理数系に進んでいた。同じクラスの内海義也が、プロのミュージシャンを目指すため進路希望を白紙で出した。アイはミナと店で彼の話をした。彼とは一度利き腕のことで言葉を交わしていて、彼のことを考えると体が熱くなった。ミナから自分は女の子が好きなセクシュアリティだと告げられた。でも私たちは親友だ。ミナは会ってはいないが年上のケイという好きな人がいて、ニューヨークに住んでいると言う。

 

2 アイは2007年、国立大学の理工学部数学科に合格。卒業式で内海義也の周りは人だかりしていた。大学は多数の学生でカラフルだった。女子3人だけの学科でアイは目立ちふくよかになり、黒い服を好んだ。死者のノートはボロボロになった。引き裂かれた思いを抱えながら、少女期が終わった。数学は楽しく、純粋に学ぶ皆が僧侶に見えた。再びiに出会った。何と不思議な数なのだろう。家族とミナの夏の軽井沢旅行は続いていた。ミナは歯の矯正やサーフィンをして劇的に変わっていた。兄が家を出て母親がたくさんの見合い写真を持ってきたが、彼女は前の恋人と別れ、トラック運転手が新しい恋人だと言う。アイは自分がLGBTには属していないことを知る。翌年ミナはロスアンゼルスに留学した。

2010年ハイチで大地震が起き、綾子にアニータのことを聞くと今は連絡が取れないと言う。映像で見るハイチは悲惨だった。アイは社会から遠ざかり、世界から隠れた。4年生になると、60歳目前のダニエルが退職し人道支援団体で活動を始めた。彼がハイチに飛んだ翌日、綾子がアニータはお金が消えたので解雇したのだと言う。ダニエルは許そうとしたが、真面目に生きている人に失礼だからとそうした。だが父は今それを悔いていると言う。支援活動に熱心なのは恵まれた環境への罪悪感からで、私を家族に迎えたのもそうかもしれない。9.11の後でアニータは無事だったが、連絡した時にあなたたちの人生から私たちはとっくにいないはずだと怒ったと言う。アイは罪に手を染めてはいないが、汚れていないわけではない自分の手をじっと見た。その後ダニエルは団体の本部があるニューヨークで暮らすことになり、綾子も後を追いアイは一人暮らしとなる。1年が過ぎた頃、北アフリカ・中東でアラブの春と呼ばれる革命が起り、それからシリア内戦の発端となる騒乱が始まった。

春休みの午後、ミナがトラック運転手と別れ新しいウクライナ系の恋人ミラを得たことをスカイプで知る。その時、激しく突き上げる揺れに衝撃を受けた。三陸沖が震源の大地震で、その後福島第一原発の建屋が崩壊しアイは両親から日本を離れろと怒られる。だが反抗期のなかったアイは、この時初めて本当の子どもらしく両親に逆らった。これは私のからだに起こった自分であることの証拠として、絶対に手放さないと決めた。そしてアイは痩せ始めた。4月、5月と日常が戻ってきて、また院に通う。ミナからなぜこっちに来なかったのかと問われ、死者の数をノートに書いてきたことや今この間にもたくさんの人が死んでいる、どうして私じゃなかったのだろうと話す。シリアではデモが拡大し、参加した少年が拷問死した。そんなシリアから来た私は、誰かの幸せを不当に奪ったのかもしれない。ミナは考えすぎるのだと言うが、ずっと免れてきた自分が今こそ渦中にいるべきだと話す。ミナは至るところで日本の国旗を見るし、みんなが日本のために祈っている。私はアイの気持を尊重すると言う。

ミナから健康に役立つ食べ物と、抑圧されたイスラムで命がけで読書する『テヘランでロリータを読む』が送られ夢中で読む。体重が減ってうっすら筋肉がつき、白い肌が輝く。夏のある日、渋谷で内海義也に似た男にデモ参加のビラを渡された。次に行った時、デモ撮影で世界を旅している42歳のカメラマン佐伯裕にアイを個人的に撮りたいと声をかけられ、思いを通じ肌を合わせた。そして恋をしてすべてがユウ一色となる。ミナも喜んでくれた。ユウは同じ女性と若い頃二度結婚し子どももいたが、アイの数学を熱心に知りたがり、二人はすぐに結婚した。完全に内戦状態となったシリアのことを考えるとからだが震えたが、ミナは自分の状況に感謝すべきと言う。ある日アイは教授からiは数学体系において存在すると聞き、ユウとの会話の中でそれを確信した。ダニエルも綾子もユウをとても気に入ってくれ、アイはユウの血を分けた子どもがほしいと思った。

2014年世界では次々と暴動や惨事が起きたが、子どもはできなかった。二人は不妊外来を訪ねた。原因はユウではなく、アイのPCOS(多嚢胞性卵巣症候群)と言われ排卵誘発剤で排卵を促すことになった。ミナにはまだ若いから急がなくてもと言われたが、アイはユウが44歳でもあり体外受精を決意した。ミナはシャイで美しい猫のようなミラと生活していて、誰かから精子をもらい妊娠するより養子がいいと言うが、私は血をわけた子どもがほしかった。ミラはロシアのクリミア併合に反対するデモに行ったと言う。シリア内戦の死者は76千人を超え、アイは自分のことばかり心配しているのを非難されている気がした。ミナは家業の昆布茶の販売で、来月ニューヨークへ行くと言う。痛みに耐えた採卵で4つの卵子が採れ、ユウの精子を受精させ一つを子宮に戻す。そしてアイは妊娠した。

 


3 アイは手術台で膣に器具を入れられ動物になった気がした。カタリナの呪いの目は憎しみに満ちている。妊娠は11周目で終った。死んだ胎児を腹の中から掻きだす。とめどなく涙が流れた。安定期に入るまでと、両親やミナに妊娠のことは告げなかった。流産の悲しみは一人で背負うと決意した。「この世界にアイは存在しません」の声が甦った。黒いノートを開き、ペンを猛然と走らせる。死者のひとりひとりに人生があり、死があったのだ。ユウが取材で長野に行った日、一人スーパーで買い物していると髪がぼさぼさの何かがにおう老婆とすれ違う。周囲の人間は避けるように歩いている。その左目が白く濁っていた。

ミナがミラが出て行ったと泣きながら連絡してきた。話し合った末だと言う。そして妊娠したと告げる。アイは取り乱す。相手はアイの初恋の人内海義也で、ニューヨークで出逢い懐かしさで肌を合せた。そして中絶しようと思っていると言う。アイは許せなかった。避妊もせず無責任に子どもを作って殺すなんて。流産したの、私、12週目で。1週多く伝えたことを恥じた。アイは画面の前で泣き崩れ、パソコンを閉じた。

暑い夏、家族やミナと行った軽井沢を思い出す。そのミナが内海義也と性交し、みごもったがその事実をなくそうとしている。ミナを求める気持と許せない気持ちがないまぜになり、おかしくなりそうだった。1週間経ち、おそるおそるメールボックスを開くととても長いメールが来ていた。「アイとのスカイプを終えて必死で考えた。ミラは高校卒業後に家族と縁を切って飛び出した。そんなミラを私は本当に傷つけた。でも内海君とは自然なことで説明が難しい。私は中学の時に自分のセクシュアリティを知ったが、なりたい自分になろうと思った。そして高校でアイに会い、ずっと気になった。私とは比べ物にならない孤独を抱えて生きてきた人だと思った。養子のことも勉強したけど、それは絶対にひとくくりにはできないし、アイはアイなんだと思った。すぐに友達になりたかったけど、じっと観察していた。そして話しかけて自分を全力で見せたの。友達になれた時は夢みたいだったよ。アイが佐伯さんと出逢った時も嬉しくて泣いた。アイの子どもを二人で育てられたら幸せだろうと思った。でもこんなことになってしまったが、アイには子どものことで謝ることはないと思っている。アイは私の大切な親友なの。いつか心を取り戻してくれることを祈ってる。ありったけの愛をこめて」喉が焼けるほど泣いた。あのミナがそんな勇気をもって自分に話しかけたなんて。私の大切な親友。しかし返信できなかった。自分の子を「掻爬」しようとするミナがどうしても許せなかった。

両親が帰国し、ユウを交えて4人で食事した。ダニエルとユウがシリアの話をしていた。数日後、綾子からランチに誘われシリアの両親のことを知りたいか聞かれた。自分たちも知らないしもう追跡困難かもしれないが、あなたが望むならと。アイはそう思わないと答えた。両親がニューヨークに戻り、久しぶりにユウと夕食を共にした時、テレビで小さなゴムポートに溢れるシリアの難民が放映された。ユウにシリアの写真を撮りたいと思わないか聞く。僕は報道写真家じゃないから、悲劇を世界に伝えたい明確な意思より自分の写真を撮りたい気持の方が強い。アイのルーツはシリアだから、君が撮りたいならその権利はあると言う。その時アイは地震で日本に残ろうと思ったのは、命の危機と恐怖を語る権利を得たかったのだと気づく。後にそれを恥じ軽蔑し、ミナに語った。苦しみを経験していない人も、それを想像して想いを寄せることはできる。血のつながりはなくても家族にはなれるのだ。かけがいのないミナに会いたいが、そのやろうとしていることが許せないとユウに話す。ユウは会いたい気持を優先させるべきと言う。アイがフライトの荷造りを始めた1週間後、難民の船が転覆し3歳の男児アイラン・クルディがトルコの海岸で溺死体で発見された。

ミナと二人で、機内でもらった赤いシャツでうつ伏せになった男児の写真の記事を読み、泣き続けた。ミナは子どもを産むことにした、アイのこともあったけど、自分でからだや心や命のことを考えて決めたと言う。二人は花束を持ってビーチに出かけた。アイは、もう死者の数をノートに書き込まなくても世界の悲劇を想像することができる。私たちはアイラン・クルディのことをこんなにも思っている。シリアの両親のことも知ろうと思うと話す。『テヘランでロリータを読む』によれば自分が生まれた1988年、テヘランに168発のミサイルが打ち込まれた。世界はずっとそうだ。ユウはあの晩考え続けて、報道写真は愛があるかどうかだと答えた。アイは黒いブラジャーとショーツで海に入った。冷たかったが先に進む。ミナが岸で手を振る。下着を取って放り投げた。海に潜る。ミナが母になるのだ。ゴゴゴ、どくんどくん。懐かしい音が聞こえた。血液の中に私はいる。子どもは出来ないかもしれない、でもすべての人に生まれてきてくれてありがとう。私はここだ、アイはここにある。

 

この小説は両親とは血縁関係のない養子であるアイが、高校でアイ(虚数i)は存在しないとの数学の授業を受けるところから始まります。アイはその言葉にずっと囚われて、成長しても自分は誰とも血のつながりがなく、いくら養父母の両親に愛されてもどこか満たされないものを感じ続けます。そして両親や友だちのミナは血のつながる家族がおり、代々の家系のファミリーツリーを持つのに対し、自分にはそうしたものが欠落していると思います。それは根なし草としての根源的な不安であり、孤独です。終盤に両親にシリアの実の親のことが知りたいか問われ、そう思わないと答えます。

しかしさまざまな人間と出会い、経験を積み重ねて成長することで、たとえ血のつながりがなくても人は家族や親友や名もなき人たちと想像力でつながっていることを理解します。そして最後にアイは自己の存在を確信し、実の両親のことを知りたいと思うようになります。この養子と血のつながりの問題が、小説の一つ大きなテーマとなっています。

 

次に大きなテーマとなっているのが、難民の問題です。それは貧しさや、名もなき命の問題でもあります。自分の出自がシリア難民であるにもかかわらず、恵まれた両親の元に養子となったことで、自らの内部に大きなコンプレックスを抱えます。本来自分はその人たちと同じ悲惨な境遇で苦しみを味わうはずだったのに、安全で平和で華やかな場所で暮らしていることへの深い罪悪感に悩み続けます。

それを対比させるため、小説はグローバルな視点から多様な人種を登場させ、テロや戦争、災害による殺戮や恐怖などをアイの平穏な生活と平行させながら進みます。世界はずっと惨事を免れることができず、アイはその死者の数をノートに書き続けます。アイの生活の裏側では一人一人の貴重な命が無残にも奪われ、それらは合わせ鏡のように日々進行して行きます。同じ命なのになぜそうなるのか、アイはひたすら問い続けます。

人は他者の苦しみと想像力でつながることしかできませんが、最後に救いとなるのがミナが妊娠して産むと決めたことです。すべての命は生きる権利があるのです。

 

さらに多様な性と生き方を尊重するというLGBTも、大きなテーマと言えます。この小説においてレズビアンのミナは、アイとの関係性において主人公と同じくらい重要な役割を果たしています。二人の出会いやその後の関係における女性同士の微妙な心理の推移が、実にきめ細かく描写されています。逆に言えばユウなどの男性は、それほど大きな役割を果たしていないように感じます。

また子どもを産むという視点からは、不妊治療や人工授精などの生殖医療の問題も取り上げられています。最後はアイの望まぬ流産とミナの予期せぬ妊娠を巧みに対比させ、生命の源である海のラストシーンへと導いていきます。結婚や生殖における私たちの近い将来の姿を提示しているとも言えます。

「読み終わった後も、ずっと感動に浸っていました」との中村文則の帯カバー広告文があながち誇張とは言えないほど、細部にわたって構成やストーリーがよく練り上げられた感動的な力作でした。

 

(海馬文学会:永田 祐司)