昨年33日に大江健三郎さんが88歳で亡くなり、早くも一年が過ぎようとしている。どうも作家がこの世にいなくなると、私は安心して(?)その著作が読みたくなるらしい。

が、大江さんの場合は、彼が日本人二人目のノーベル文学賞受賞者という輝かしい経歴の人であることや、昨年53日にNHKが放送した3時間ほどの長い追悼特集をたまたま観てしまったため、にわかに興味が湧いてきたというのが理由である。

この追悼特集は『一九九四年ノーベル賞の旅』という1995年の番組の再放送で、大江さんが妻と長男と連れ立って、授賞式前後の一週間スウェーデン・ストックホルムに滞在した時のドキュメンタリー番組である。観終わった後、フゥーと溜め息を吐きながらいろいろ考え込んでしまった。

 

川端康成氏が196812月に『美しい日本の私』という受賞講演をしているが、大江さんはそれに触発されたようで、『あいまいな日本の私』という題で英語でスピーチしている。彼の専門のフランス思想や、東大の渡辺一夫恩師から受け継いだ哲学、Yeats の詩や他の文学者たちのすぐれた識見、更に第二次世界大戦における日本のアジア侵略の実態や戦後の平和憲法の重要性などを交えながらの受賞講演である。

私はその幅広い内容に圧倒されると同時に、自分の無知に思い至る。その中でbird ()と長男の名前光のフレーズを繰り返し言及していたことに、ハッと気付かされた。その二つは、終生大江さんの執筆の原動力となる隠れたテーマではないかと思ったのである。

 

大江さんの作品を最初に読んだのは『死者の奢り』で、三、四十年前のことである。当時私はまだ日本語の理解力も浅く、その内容の不気味さから途中で投げ出してしまった。十数年前には『空の怪物アグイー』を読むチャンスがあったが、やはり不消化のまま終えた。長篇はとても読みこなせないが、短篇ならと思って『空の怪物アグイー』が入っている新潮社の文庫本に再度チャレンジした。この文庫本には、表題作の他に6つの中短篇がある。

読んでいくうちに、一つ興味深いことに気付いた。作中人物の名前やあだ名である。これらの作品の中で、主人公や登場人物は殆ど名前を与えられていない。若いカメラマンとか、大学の理科生、文科生、病院の看護婦、老人など一般名詞が多く、イメージはすぐ湧くが、親しみは感じられない。

一作目の『不満足』には、「鳥(ばーど)」という変わった主人公の名前が出てくる。不思議に思ったが、この感覚がそのまま次に読んだ長篇『個人的な体験』の冒頭まで移ってしまった。一行目からいきなり「鳥(ばーど)は、野生の鹿のようにも……」と、主人公鳥(ばーど)の長い物語が始まっているのだ。

この「ばーど」というフレーズについて、大江さんは受賞スピーチで頭部障害で生まれた長男光が最初に発した言葉が「ばーど」だと話している。光は4歳まで言葉が上手く出せなかった。一生彼を保護し、その音楽活動を応援している大江さんにとって、「ばーど」という語がどれほど意味深く重い言葉であるかは想像がつく。

 

次に『個人的な体験』の長篇の話をしたい。

なぜこれを読んだかというと、私はかねてからNHKラジオ深夜便の愛聴者である。ある木曜日、アンカーの渡辺さんがアフロヘアの元記者の稲垣さんに、大江さんの作品の中でどれがお薦めかと聞くと彼女は『個人的な体験』だと答えた。それを聞き、私は稲垣さんのファンなので長篇だが読んでみようと思ったのだ。

これは大江さんが19648月に発表した小説である。当時彼は29歳ですでに結婚しており、前年に長男が生まれている。名前は光とつけた。しかし生まれてすぐ頭部肉腫の手術を受け、障害を持つようになった。

小説は鳥(バード)というあだ名をもつ、アフリカへの冒険旅行を夢見る27歳の青年の物語で、彼の妻が出産のため入院したところから始まる。やがて頭部ヘルニアという異常を持つ赤ん坊が生まれると、その治療方針やら手術後の後遺症の心配、自分の夢を子供のために諦めざるを得ないという絶望、赤ん坊の死をつい願ってしまう心とその深い罪悪感など、もろもろの葛藤にもがき苦しむ。そして主人公鳥は自暴自棄になり、大学時代の友人である一人暮らしの火見子(ひみこ)の所に転がり込む。火見子は結婚しては夫に自殺され、赤いスポーツカーを乗り回している奔放な性生活を送る女性である。その二人の情事が延々と描写されている。

 

妻が異常児を出産する大変な時に、主人公鳥は一度たりとも見舞いに行かず、火見子と連日のように性の逸楽に溺れていく。そのくだりにはさすがに閉口した。しかし異常児を抱えての強烈な恐怖や絶望感、さらに魂の深淵にひそむ背徳や罪悪感などの無数の葛藤こそが大江さんが表現したかったはずのところであり、また複雑な時代背景も隋所に描かれている。だが正直なところ、私はどうもそういうのは苦手である。

そして最後は短いエピソードで結ばれている。ハッピーエンドへの急転換である。この結末は当時酷評されたらしい。三島由紀夫氏ら評論家たちに、削るべきだと散々批判された。だが大江さんは屈しなかった。それを16年後に出されたこの文庫本のあとがきで釈明している。この最後の部分は彼自身にとってどうしても必要であり、主人公の変化と成長に固執し、それを見守りたかったのだと付け加えている。そこには頑固さというよりも、誠実さと真面目さが垣間見える。

 


その次に読んだのが、エッセー集『言い難き嘆きもて』である。

私が東京で学んでいた頃、今は亡き指導教官A教授が一人の作者を知るには少なくとも三冊の著作を読むべきだと話していた。大江さんは著作も多く全体像を掴むことはとても無理だが、せめてもう少し読まなければと思っていた時、ちょうど先輩の友人から大江さんのエッセー集を頂いた。創作と違って作者の日常的な思考の側面も窺えるため、理解の一助になると思ってそれを繙いた。

この『言い難き嘆きもて』は2001年、作者が66歳の時に出したエッセー集で330頁の大作である。五章立てで、題はそれぞれ「プリンストン通信」「人生の細部」「沖縄の『魂』から」「言い難き嘆きもて」と最後の「自作をめぐって」である。その中で第二章の「人生の細部」について、気になった記述をいくつかピックアップしてみたい。

 

まずはサブタイトルが「約束について」という一文で、これは大江さんとイスラエル元首相ペレス氏との公開討論会の話である。聴衆の大学生たちから「今日の若い人たちに、どういうメッセージを発したいか?」という質問を受け、「まず、約束を守れ」と大江さんは答えた。更に「破るほかない時には、苦しみをもって破れ。しかし、苦しみとともに守るほうが、さらにいい」と付け加えた。

聴衆には詳しく説明しなかったが、この本で彼は述懐している。長男が障害児として生まれてくる時の彼がうけた衝撃、深い苦悩と葛藤、現実逃避したい心境などを、二、三の作品、特に『個人的な体験』においてフィクション化した。赤ちゃんを殺したり、捨てたりする設定にしたが、現実には子供を手術させ、障害を受け入れ、共生を始めた。

彼が当時の自分自身を見つめて到達した結論は、障害児を生き延びさせることは親や社会が「頭の上の方にあるものに、あらかじめしている約束」なのだ。この考えを固く守った彼は、35年後に図らずも報われているという。この「頭の上の方にあるもの」の言葉に私は考え込んでしまったが、それについてはまた最後にふれる。

 

次は「日本語の練習」という一文で、日本語学習に熱心な私はこういうタイトルにはすぐ飛び付いてしまう。大江さんは執筆で文章や文体の悩みにぶつかった時は、よく大野晋の『日本語練習帳』を繙くという。それを読むこと自体が愉快であるとも述べている。そういえば昔、大野氏の『日本語の年輪』を買っていた。日本語の歴史や成り立ちや語源がタミール語にある云々、というのが流行っていた時期である。早速、書店で『日本語練習帳』を買い求めた。まだ読みかけだが、例えば「『のである』『のだ』を消せ、『が』を使うな」(「Ⅲ 二つの心得」)あたりの説明には大いに頷いてしまう。

更に「ディケンズびいき」という一文にも目が行ってしまった。

19世紀イギリスの文豪ディケンズを贔屓している大江さんは、ご自分の長女や若い女性たちに是非読むように薦めていた。ディケンズより9歳下のドストエフスキーが、その作品は私の人生の最大の楽しみだと断言したことにも言及している。また庶民の味方ディケンズは、階級差の厳しいイギリス社会に生きる女性たちの自由な価値観や育ちの良さを「可愛らしいユーモア」で描写していたのだと絶賛している。それは外国文学を鑑賞する有力な指標の一つではないかと、私は秘かに嬉しくなった。

 

そして一番気になったのが、題名の「言い難き嘆きもて」である。何を意味しているのだろうか。この言葉はキリスト教新約聖書の「ローマの信徒への手紙」8章26節のものである。大江さんは親友の音楽家武満徹との交流を、この本で50頁にもおよぶ回想録として綴っている。二人はキリスト教信者ではないが、共に生真面目で一生をかけてそれぞれの専門分野を研鑽するタイプである。その回想録に出てくるフレーズなのである。

「頭の上の方にあるもの」と合わせてあらためて調べてみると、2004年新共同訳聖書ではこうなっている 。

「同様に、‘’霊‘’も弱い私たちを助けてくださいます。私たちはどう祈るべきかを知りませんが、‘’霊‘’自らが、言葉に表せないうめきを持って執り成してくださるからです」

やはり私にとって大江健三郎さんは難解である。

 

(海馬文学会同人:千佳)※千佳さんは台湾出身