アフリカ奥地の闇に囚われた、一人の男の熱情と魂を照らし出す


ジョゼフ・コンラッドは1857年ポーランドに生まれ、家族と共にロシアで流刑生活を送るなど過酷な体験をします。しかし幼い頃から文学研究者であった父の影響でシェイクスピアやディケンズなどの古典に親しみ、その後イギリスでの船員生活を経て英語を学びます。そして小説を書き始め、1895年にマレーシアを舞台にした小説『オルメイヤーの阿房宮』を発表し注目されます。さらにイギリス人女性と結婚後、99年に自身のアフリカ・コンゴでの船員体験を元にこの代表作となる『闇の奥』(Heart Of Darkness)を発表します。

コンラッドはその後政治にも関心を深め、政治小説『ノストローモ』やテロリストを題材にした『密偵』なども執筆しています。

『闇の奥』はアフリカ奥地のコンゴにおける植民地主義の暗い側面を描写した作品とも言われますが、それだけでなく自身のさまざまな経験をもとに人間と自然や文明の奥底に潜む不条理な闇を照らし出した小説と評されます。語り手としてチャールズ・マーロウという船員を登場させ、聴き手にその体験を語らせるという枠物語的な手法をとっているのも大きな特長です。

人間(男)と自然の奥深い闇を描写するという作品の持つ普遍性から、この小説はその後TS・エリオット『荒地』、ユージン・オニール『皇帝ジョーンズ』、F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』、ジョージ・オーウェル『1984年』など多くの作家の作品に幅広い影響を与え、1979年にはフランシス・フォード・コッポラによって『地獄の黙示録』に翻案され映画化されています。

以下、文庫本の目次とごく簡単なあらすじを記します。

 

第一章 第二章 第三章

注解

〈闇〉の奥にひそむもの――解説に代えて 高見浩

年譜

 

第一章 ある日の夕暮、船乗りであったチャールズ・マーロウがテムズの河筋に浮かぶ船上でわれわれの仲間に若い頃の体験を語り始める。彼は6年ほどかけてインド洋、太平洋、東シナ海、南シナ海などを回った後ロンドンでぶらぶらしていたが、未だ訪れたことのない大河が大蛇のように流れる特別の空白の場所アフリカに行くことを思い立ち、叔母に依頼して彼女の知り合いのベルギーの貿易会社に採用される。船長の1人が現地人に殺され、欠員ができたためだった。すぐにマーロウは英仏海峡を渡ってそこの会長に会い、健康診断や契約を済ませ、叔母に別れを告げて出発する。大陸の沿岸部にいくつもの港や原住民の部落が隠れている入植地を眺めながら30日以上かけてコンゴ河の河口に着き、上流目指して小型の汽船に乗る。

会社の出張所に着くと鉄道の敷設工事が行われていて、黒人たちが首枷をかけられ鎖でつながれて働いていた。死に追いやられて引きこもる場所やむごい姿も見える。立派な身なりの主任会計士がいた。安物の綿製品や真鍮の針金を奥地に運び、引き換えに象牙が運び込まれる。10日ほど待つ間に、奥地にいる一級社員クルツの話を聞く。彼は大量の象牙を送ってくる優秀な人物で、将来は経営幹部になるとのこと。マーロウは最初の出張所を後にし、運送隊について陸路を踏破するため出発する。小道や石ころだらけの丘、放棄された村落や草原、岩山などを通って、15日目に中央出張所地に着く。だが乗船するはずの蒸気船が沈没したと聞かされる。引き上げて修理するには数ヵ月もかかってしまう。そこの支配人は平々凡々たる男で、病に倒れないだけで何の能力もなかった。彼は上流の出張所にいるクルツが病に倒れたと話す。翌日から蒸気船の修理で空しく日を送る。20人近い社員たちには、象牙が持ち込まる出張所に配転されて歩合を稼ぐために何でもするといった陰謀めいた空気が漂っている。ある若い社員の部屋にクルツの絵があり、クルツは出張所の所長として最高の業績を上げていて二年後には総支配人になれるという。だが彼の姿を見ていないので、そのイメージが浮ばない。修理に必要なリベットは3週間経っても届かず、代わりに来たのは〈黄金郷探検遠征隊〉という支配人の叔父が隊長の財宝目当ての白人たちだった。

 

第二章 ある夕暮れ蒸気船の甲板で寝ていると、支配人と叔父がクルツの陰口を叩いていた。クルツは大量の象牙をカヌーの船団で運んできたが、途中で出張所に引き返したという。重病を患い完治していないとの理由からだ。マーロウは本部の指示に背いて奥地へ向かう孤独な白人の姿が目に浮かび、興味を抱く。ようやく蒸気船が直りマーロウは船長として、支配人や数人の社員たちと水底の大石や沈み木に注意しながら河を遡って行く。途中20人ほどの人食い人種の男たちも乗員として雇う。樹木の背後からの太鼓の響きや突然の喚声などに戦慄を覚えながら、のろのろと進む。黒人にボイラーの焚き方を教えて働いてもらう。葦葺きの小屋が見えたので上陸すると、最近まで誰かいたらしくメモ書きが一杯のタウスンの「操船術要覧」の本があった。

二日目の夕方、船を中流に運び錨を下ろす。翌朝白く濃い霧が立ち込め密林の上に太陽が浮ぶ。また大きな叫び声が響く。それは荒々しい激情にふるえていたが、悲哀の自衛行動のようでもあった。霧が晴れて出発し水深がある岸辺近くを進むと、無数の弓矢が飛んで来た。操舵室から外を見ると、対岸の草むらは赤銅色の人間の手足であふれかえっている。社員たちがウインチェスター銃の弾丸を打ち込む。操舵室の黒人が長い槍で脇腹を深く刺され血まみれになる。警笛を鳴らすと喚声が止む。操舵手は死に、俺はあのクルツの声がもう聞けないのではと落胆する。だが実際には後で体験談を聞くことができた。彼は土地の悪魔どもの上に君臨し、将来の活動の手引きとなる報告書も書き上げていた。操舵手の死を悼み、蛮人に食われないよう河の流れに沈めた。社員たちがもう出張所のことを諦めていた矢先、丘の斜面に球のような飾りの付いた細い杭が数本立つ建物が見えた。出張所に着くと道化役のハーレクィンのようなロシア人青年がいて、途中の小屋の本のメモ書きは彼のもので、現地人はクルツがいなくなるのをおそれているのだと話す。


 

第三章 若者はクルツに傾倒していて、彼を二度にわたり看病した。クルツは単身で森の奥深くへ分け入るのが習慣で、原住民たちは彼を崇めたてまつっていた。クルツは部族の戦士を引き連れて河べりにやってきたが、病が重く深刻な状態になったという。双眼鏡でよく見ると杭の上の飾りは人間の首だったが、それは彼の欲望や内面の欠如を示しているのかもしれない。突然、建物の角を回って担架を支えた一群の男たちが現われた。そして槍を手にした裸の人間の群れが流れ込んできた。担架の上であばら骨が浮き出たクルツの骨と皮ばかりの腕が振られ、何かを叫んでばったり倒れる姿が双眼鏡から見えた。蛮人たちがいなくなり、クルツは船室に運び込まれた。彼は俺が持参した手紙を読み「よくきてくれたな」と言う。支配人が来て、俺は外へ出た。装身具や首飾りを付けた女が船の前に来て両腕を高くつきあげ、ゆっくり密林へ消えた。若者によれば女は家に入り込んで大騒ぎをしたこともあったと言う。クルツの「病気の心配はするな、俺は計画をやりとげてみせる」との声が聞こえた。外へ出た支配人が、クルツは「会社に利益以上の損害を与えた、不健全な手段が講じられたからだ」と話す。若者は後で、船を襲撃するよう命じたのはクルツだと打ち明ける。そしてすぐ出て行った。

真夜中すぎ船室からクルツの姿が消えていた。社員たちに気付かれないよう岸に移って追跡するとふらつく長身の男がいた。「あと一息で偉大な事業を成就できた」と、一つの魂がいかなる規制や信仰や恐怖にも縛られずに格闘していた。彼を背負って船内に戻る。翌日正午に出発した時、原住民や女が飛び出して来た。汽笛のひもを引き、ライフルの硝煙で何も見えなくなった。河を下ると支配人は落ち着きを取り戻した。前方を睨んで舵をとったが、船は故障し修理を余儀なくされた。ある朝、クルツは書類の束と一枚の写真を預かってくれと言う。晩、船室に入って行くと、クルツが激しい絶望の色を浮かべ、何かの幻影に向かって低く叫んだ。「地獄だ! 地獄だ!」。そして彼は死に、翌日社員たちは遺体を泥中に埋めた。俺はやつらに埋められることなく、都市に舞いもどった。

しばらくすると男が記録書類を求めて来たり、親類と称する人物が最後の瞬間の模様を聞きたいとか、新聞記者がクルツは政治活動をやりたかったはずと言う。俺は手元に残った一枚の女の写真と書類の束を手に、婚約者を訪ねた。高い重厚な門扉の建物を入り客間で待つと一年以上喪に服している黒ずくめの女性が現われた。婚約は身内の間で認められなかったが、とても幸せだったと言う。そしてクルツが最後に漏らした言葉を訊ねられた俺は、彼女の名前だったと嘘をつく。彼女はやっぱりそうだったのね、とむせび泣く。

 

この小説はここに記したストーリー(あらすじ)以外に、マーロウという語り手にさまざまなことがらや人物、情景などについて丁寧に語らせています。枠物語の手法をとったのは、それらの多くの語りの中に、イギリス人船乗りとして世界を駆け巡ってきた作者自身の体験とそこで培われた小説家としての人生観や世界観を投影させたいとの思いがあったものと推察されます。その饒舌とも言えるほどのあふれる思いを逐一じっくり味わいながら読むことによって、小説の深みはさらに増すことになります。

主人公クルツに関しても、本人が実際に登場するのは第三章に入ってからであり、それまではマーロウの語りの中で他の登場人物に語らせることによってその人間像を徐々に浮かび上がらせる手法をとっています。私たちはマーロウの語りを聴きながらその姿を想い描こうとしますが、結局クルツという人間の本当の姿はその目指した事業と共に最後までほとんど闇に包まれたままです。それを覆い隠しているのはアフリカ奥地の密林の闇であり、私たちはその二重の闇を手がかりに作品を読み進めていくことになります。

 

この作品の背景には、当時の西欧列強によるアフリカ原住民への過酷で残虐な植民地主義があります。ここでは象牙という金になる宝物を得ようとして、貿易商人たちが密林の奥地に押しかけ、蒙昧な現地人を脅したり殺害しながらそれを強奪します。そうした悪は前提としてあるわけですが、ではそこに同じように乗り込んで象牙を略奪するクルツという人物を、作者はなぜ描こうとしたのでしょうか。語り手であるマーロウは作者自身の体験がかなり反映されていて人物としては善良な船乗りですが、そこにあえてクルツという謎の主人公を創作して登場させた意図はどこにあるのでしょうか。

クルツは現地での行動から判断するかぎり、決して善良な人間とは言えません。己れの欲望の赴くままにかなり悪辣な手段で目的を達成しようとします。そして最後は「地獄だ!」と叫んで命を落とします。しかし私たちはどこかでその行動に共感したり、あるいは賛美する部分があることを否定できないように思います。(もちろんそう思わない人もたくさんいるでしょうが)少なくとも私は、クルツが重病にもかかわらず何かの事業を成し遂げようと再び密林の闇に戻ろうとする熱情に心を揺り動かされます。

この作品は、その後多くの作家(男性)たちに少なからぬ影響を与えました。それはすなわち、そこに善悪を超えた人間(特に男性)の普遍的な姿が垣間見えるからと思われます。最後に婚約者が登場しますが、そこにおいて男女の差がくっきりと象徴的に描かれています。その意味ではこの小説は、アフリカ奥地の闇に囚われた人間(男性)内部の魂や暗い衝動(Heart  Of Darkness)を照らし出そうとしたものと言えるのではないでしょうか。

 

(海馬文学会:永田 祐司)