『月は白く恋は蒼い』

(戸田なお 400字詰換算33枚)

 

恋に恋する女子大生の心情を雅やかな文体で描く

 

以下に、作品のごく簡単なあらすじと感想を記します。

 

〈こぐま座のしっぽのようなこぐま新聞の文化部に勤める兄から、コラムを書くためプッチーニのオペラを一緒に観てくれと電話で誘われ、武蔵野にある女子大の数学科で学ぶわたしはその翌日群論のテストがあったが夕方に待ち合わせた。抽象代数学で先生の話がさっぱりわからない群論の後のゼミは、立体三目並べのようなプログラム演習でこれも難しい。いつも助けてもらう水色さんから、夏休みに中国旅行に誘われる。彼女と別れてコンピュータールームに行く。先日は先輩の女優さんが講演会に来られたが、汚れ役もしないと、と命令調で話す東京人の学生に驚く。コンピューターで演習をしていると、初めて父にパソコンを買ってもらった時のことを思い出す。オペラは画家の悲恋の話らしいが、近くに美大がある。大学を出て駅に着くと、ホームで美大の学生が絵のテーマを観音にするか鬼にするかで話している。

国分寺駅でJRに乗り換え東京駅に着くと兄がいた。社長から女子大生の感性でオペラを観てほしいと言われたらしい。社長は激情型だが優雅な人で、こぐま新聞社とテレビを合体させ、新しい社屋にいつでも夜空が見えるようにプラネタリウムを考えている。帝国劇場に入ると、兄の知り合いの男性が不倫相手と来ていて幻滅する。わたしは今短歌の会で目方さんという人に心を寄せている。オペラの主役の美しいケリーが登場し、クライマックスで恋人が死に崖から身を投げてしまう。わたしの感想が必要らしいのでイタリアンに食事に行き、そこで原稿用紙2枚に愛をまっすぐに突き通す美しさと崇高さがメインと書く。それを兄の名前で出すのだ。駅から電車に乗り、兄と別れる。明日の群論のテストは落とすだろうが、おとなの恋はビターな味と知れてよかった。恋に恋するわたしは、武蔵野のちっぽけなアパートでシロクマを抱いて眠る〉

 

ストーリー自体はこぐま新聞社に勤める兄からのオペラ観劇の電話に始まり、翌日大学で難しい講義を受けた後、夕方から兄とオペラを観て、レストランでコラム用の感想を書いて渡し、アパートへ帰って眠りに就くまでのわずか一日余りの出来事を描いた小説です。ただし女子大学で数学を学ぶ主人公を初め、登場したり語られたりする人物はきわめて個性的で多彩な輝きを放っています。

美人だが英語が流ちょうで高飛車な群論の先生は、ご主人を「家畜を一頭かってます」と話します。水色さんは難しい群論の講義を、いつも完璧なレポートで助けてくれます。かつて美術教室で学んだ先生は「画家になるにはね、向かいのビルで落下する人をみてデッサンできるような人しかなれない」と言います。また兄の勤めるこぐま新聞社の「激情型」の社長は「最初の奥さんを車でひき殺そうとした過去」がある「恋の上級者」ですが、結婚相手にさまざまな「トラップ」をかける一方で、新しい社屋にプラネタリウムを作るような人物です。そしてオペラを観にマスコミ関係の席に不倫相手と現われた政治部記者もいます。このような個性あふれる人物たちと交流しながら、最後に主人公のわたしは武蔵野のちっぽけなアパートで「蒼く透明で、みずうみのような」恋こころを胸に眠ります。

もはや現代では失われてしまった恋に恋する女子大生の瑞々しい心情が、それにふさわしい場面や人物描写とあいまって、やさしく雅やかな文体で描かれた佳品と言えます。


 

『Victims』

(吉岡辰児 400字詰換算108枚)

 

謎解きエンタテイメント小説とも言えるSFファンタジーの力作

 

プロローグからエピローグまでの7篇について、それぞれごく簡単にあらすじを記します。


〈プロローグ 子犬のオップが棲む逆立ちの世界 Nothing compares of you

以前は「青い星」と呼ばれたこの星は、地上の役目を果たし終えた生命が天の漁師へと生まれ変わって大空を埋め尽くし、今や厚い雲に覆われて雪と氷の世界となっています。そこにいるのはオップという子犬だけです。人々が残留思念として置き忘れた電波が交流し、捨て去られた声が聞こえます。オップは御影石の雪の上で動かない小猫のペシに、街であったいろいろなことを何度も話しますがペシは何も答えません。かつてここにあった家に年老いた夫婦やその息子、ペシ、オップらがいたことを知るインコのミストが舞い降り、オップにもう天へ昇ったらと話すが独り残ると言います。

〈千里眼の狐が化けた旅人 Book of Days

オップにいろいろな話をしてくれる壁のヒミコさんが、小狐のパセティークの話を始めましたがオップは駆けて行きました。今日は空が金色に輝き、氷に閉じ込められる前の世界が見渡せる日です。この星にいたものはすべてその足跡を氷の底に残しているのです。オップが川沿いに歩くと底に鷺やオオハクチョウなどの姿が見え、小狐のパセティークもいました。クレパスの裂け目を降りてゆくと、誰にも会いたくないから近づかないでと言われます。川岸に出ると光に包まれたソリがあり、粒子の塊のような誰かが大切な子供のパセティークに会いにきたが帰ると言って舞い上がってゆきました。黄金の光が消え、壁のヒミコさんがこの星で生まれた時は名前はなかったなどと喋り続けています。オップはペシに、千里眼の狐が化けた「旅人」が宇宙からソリでやってくる話をしています。

〈涙もろいおばあさんが作ったホットケーキ その1 Fade Into You 1

半島の集落のはずれに板壁に赤のペンキが残る家があり、そこから涙もろいおばあさんの声が聞こえます。板の間のせんべい布団で寝るおじいさんの枕元にホットケーキを置くと、おじいさんはもう冷たくなっていました。おばあさんは若い頃、息子だけを残しおじいさんと娘を連れてこの村にやってきましたが、娘はすぐ死んでしまいました。おじいさんは地面を掘り続け、蓋をして中に籠りました。娘の四十九日の命日に、東から吹いた一陣の風で誰も彼もが一瞬で溶けてしまいました。蓋を開けると宇宙船のような中に白衣のおじいさんがいて、これが本当の姿だと言われました。真夜中に外が明るくなると星の子がいて、ホットケーキをもらえれば一晩部屋を明るくすると言います。さらに娘がいた保育園の園児や先生にそっくりな星や月が、大晦日で天の食堂が休みだからとやってきました。そしておじいさんを天まで連れて行ってくれました。しかしどこまで真実かはわかりません。

〈涙もろいおばあさんが作ったホットケーキ その2 Fade Into You 2

オップの耳の奥底に残っている「いぬ」という言葉はいったいなんなのだろう? オップに語りかけてくる「かぜ」の言葉は、ヒミコさんのしわざと思いました。遠く高いところにある「丸く黄色いもの」が「おばあさんが焼いたホットケーキだよ」と教えてくれました。それが消えると東に「炎の塊」が見えました。「ホットケーキ」に向って吠えると「お前はいぬという生き物」だと教えてくれました。子犬のオップと呼ばれていた記憶が顔を出しその記憶のかなたに凄まじい地響きと人々の叫びが聞こえ、悲しみが押し寄せました。しかしオップという名前だけでいいのだと自分にいい聞かせ、この白い世界にはオップと「ヒミコさん」と呼ぶものだけが漂っていればそれで十分なのでした。

〈おじいさんの風に揺れるすばしっこいしっぽ Nocturne

小学校に入学したばかりの姉イヨがいるズンタは、保育園に出かけます。赤い屋根の上にペシがいます。門には青白い兵隊さんが立っています。保育園二年目の冬、母はおばあさんにズンタだけは置いていけと言われ、父とイヨと出て行きました。ズンタは秋に、近くの神社の山で「ツタン」の実や「イタドリ」を採りました。狸の親子もいました。保育園の先生が怖いお化けに見え、家に走って帰るとしっぽのある生き物が居間でテレビを見ています。窓から見下ろすと、菅笠をかぶった白装束の男と女が念仏を唱えています。おじいさんも見ていました。保育園で地震の訓練がありました。ズンタが靴を履き替えて外に出たのでもう一度やり直そうとした時「どーん」と激しい音がし、ズンタだけ庭に飛び出しました。夜になると園児たちは親が迎えにきて、小さな翼をつけ空に昇っていきました。まわりのすべての人も空へ駆け上がり、ズンタもおじいさんが迎えにきました。地震よりもっと怖ろしいものだと言われました。その影にはしっぽが揺れていました。

〈何もかも忘れてしまった幽霊船 the Last Goddess

僕が海上に顔を出すと、黒い漆塗りの木箱を掲げた彼女も浮び上がった。目の前の船に登ると黒いつなぎの服を着たツルツル坊主の男女が甲板を埋め尽くし、中央にチョビ髭の男がいた。一緒に壁の開いたドアから入ると、ベッドとテーブルがあった。しかし何を話しても反応がない。白い女の手が彼らを海の底に引きずりこんでいる。チョビ髭に自分たちはサムの船に乗っていた海賊だと言っても、顔色一つ変えず今日はメンテの日で、あなたたちのような旧式がいたとは驚きだと言う。かつて現実世界と仮想世界が存在したが、現実世界が滅びかけた時有能なハカセが自らの脳を仮想空間へ移動させ、脳の進化樹を辿って仮想世界を誕生させた。しかし疑似世界のシナリオによる仮想世界乗っ取り工作の危険を察知したハカセは、ペットのペシに自らの脳をストックし、今はハカセの脳本体「ハンド」のプログラムで稼働している。最初の旧式仮想生命体はヒミコだったが暴走して消滅し、次にハカセの娘イヨのニューロンが移植された。私たちは「ハンド」で定期的にメンテを受けているが、それが不要なヒト型仮想生命体はこの船のイヨだけと言う。彼女が木箱を投げつけると辺りは白い煙に包まれ、白い手たちはしおれた。僕もその匂いを嗅いだ。ドアが開き人形みたいな服を着た女の子が現れ、ベッドで飛び跳ねる。僕の声は嗄れて指はしわくちゃ、彼女は老婆になって事切れていた。女の子はイヨと名乗り、ペシがこの部屋に入るのを見たと言う。僕もミイラになり彼女と石棺に入って海の中でパワーアップされ、再び船に戻る。女の子が木箱に呪文を唱えると中にペシがいた。イヨは「最後の女神」と呼ばれ、子犬探しの旅が始まった。チョビ髭にはミストという名があり、子犬を見つければ最後のピースがはまるのだという。

〈エピローグ オーケストラはどこへ? Victims

雪も氷も消え、博物館の住人たちの姿も見えない。「書くというのは実に難儀なもので、遺書のような気持ちで書き始めるのだが、辿り着いた先に見た正体がこれか。だからといってキーワードを放り込んで機械に書いてもらうよりはましじゃないか。己を奮い立たせて気が付くとまた書いている。……と書いてある」ここはまるで楽団が演奏を終えたステージのよう。

 

このように全体が7篇で構成されていて、プロローグ(第1篇)で子犬のオップが登場しますが、その世界は雪や氷に閉ざされ凍り付いて逆立ちしており、すでに失われた過去の世界であることがわかります。そのオップがかつて街にあった出来事を、以降の第2篇から第6篇の幽霊船の話まで含めて語るという流れになっています。オップはかつて庭のある家で老夫婦やその息子、屋根の上のペシ、ヒマラヤスギの先にとまるミストなどと共に暮していましたが、今はたった一匹だけ天に昇らず残っているのです。

そして第2篇から第6篇まで、オップを初めとしてペシ、ミスト、ヒミコ、小狐のパセティーク、千里眼の狐が化けた旅人、涙もろいおばあさん、白衣を着たおじいさん、星の子たち、ズンタ、イヨ、狸、白装束の男女、鬼、しっぽが揺れるおじいさん、海賊船から来た若い男女、チョビ髭、ツルツル軍団など、実に多彩でユニークな動物や人間、仮想生命体などがていねいに書き分けられて登場し、物語が進行します。そのストーリーはかなり複雑ですが、SFファンタジー作品として終盤まで巧みに構成されていると言えます。

特にファンタジー世界の描写が秀逸で、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を彷彿とさせる氷の世界や、ピーターパン等の西洋童話を思わせる海賊や幽霊船など、和洋を組み合わせた物語の背景と進行が読者を引き込んで離しません。その構成力と筆力は高く評価されてしかるべきと思われます。


ただその反面で少し気になるのは、現実世界と仮想世界の話がやや込み入り過ぎて内容が理解しにくい点です。第6篇になって話が大きく転換し、結局はほとんどが仮想世界の話ということが明らかにされ、それまでの物語の伏線が回収されて行きます。その意味では謎解きエンタテイメント小説としての面白さがあるのですが、さらにエピローグにおいて小説内小説であるかのように作者らしき語り手が登場して、小説を説明します。

このような錯綜する小説の構造は、読者の立場からすると視点が分散してわかりにくいものになりがちです。それはつまるところ被災者、犠牲者、あるいは生贄などの意味を持つ題名のVictimsが、最終的に何を指しているのかという小説の主題とも関連します。そのあたりがもう少しわかりやすく読者に伝わるようにシンプルに構成されていれば、なお良かったように思われます。

 



 

『エイリアン』

(山下定雄 400字詰換算54枚)

 

ある日、青空から弾丸のように打ちこまれたもう一人の私。

 

前々作『合歓の花』から前作『不能者』へと続いてきた、一連の作品の続きです。同居人カンナに『合歓の花』で出会った少女のことで精神的なダメージを与え抜き差しならぬ状況に追い込まれた老男の私は、その窮地を脱するため一人心療内科のサナトリウムに入院します。そこで人との触れ合いを求めて女性看護師に恋文を書き接近を図ります。そして離れた建屋の陰で情交しようとするがまさに『不能者』のように果たせません。

それに続くのが本作ですが、以下簡単にあらすじと感想を記します。

 

〈私は初めて、ほぼ同年輩の私の資料を手にした主治医と面談する。そして資料は氷山の一角にすぎず底にはずかしいものが潜んでいて、治療よりも奇妙な人達が集まるここに人間との接触を求めてきたと話す。先生は手元に多くのものが届くと言い、あの女に渡した手紙のことを暗に匂わせ、人目をさけて逢っては規律がたもてないと言う。女とは夢想がふくらんだのは事実だが、すでに熱はさめている。私には子供はおらず、中学校を出て印刷工となり職人の腕を磨いた。先生が私になぜ衝動的に物を書くかと問うので、時時刻刻の心のありようを写したいからで、書いたものはもう骸でしかない。それは排泄行為のようでもあるがそれが生きている実感だ、私は特異ではなく卑小な事例だから、あえて狂疾を作るのに浮身をやつしていると答える。先生はそれでは本当の自分は見えてこないと言うので、私は四六時中自分を観察している、何でもないようなことの中にある真実が知りたいのだと言うと、先生はその心の領域で起きているあれこれから抽出してその深層を探り当てようとしていると話すが、私はそこからヌルリと逃げ出し体をかわす。先生は私を灯台もと暗しに喩えるが、私はその闇の相貌を捉えようと妄想をたくましくしているのだ。先生は私たちの内実が刻刻変化するのが生体だと言う。私はその小宇宙を何もかも白紙に写しとろうとして躍起になるのだが、先生は或る程度は類型化することが必要と言う。

しかし私は自分のことをまるで他人事のように観てしまうことがある。自分を冷静に見詰めている一方で熱狂している自分がいる、その両者を俯瞰する第三者、さらにまた別の他者を呼びだしてくる、となるともう肝腎の自分がわからなくなる。先生はそれは越境で度が過ぎると狂れるのだと言う。私がまるで分身のように出て来ると言うと、適宜なコントロールが必要と言う。私がさらに突拍子もないことを叫ぶやつがいると話すと、それはいつからだと問われ、ある日、どことも知れない青空から飛来して一発の弾丸のように私に打ちこまれたと説明する。それは宿主である私を脅して放蕩息子のように喚めきちらすが、灯りが点った気分にもなっている、そして時としては頼もしい。先生がそれは援軍だと言い、その出所や帰属するところを訊ねたのかと問うので、私はあいつはそんなふるさとはないと言いながら天空の一角を突き指した、孝行息子になることもあるのだと話す。そして堅塁を守りぬくためボロ同然の私を輝やかせ、私に真っ当な生の感情を喚起させてくれるあいつが、例えグロテスクなエイリアンであっても愛しいと話す。先生はやや仰天して、自分の殻の中だけでは疑似空間に過ぎないので、外界の人や物と出会わないと本当の自分は開示されないと言う。私は日常風景と液晶画面の見境がつかなくなってしまって起きる最近の身勝手な犯罪を嘆き、死者の人権こそ大事と思う〉

 

主治医との面談によって、ようやくこのサナトリウムに入院して初めての治療のような対話が開始されます。一時はあらぬことを夢想したものの、女性看護師との関係はほぼ終わったことが語られます。次になぜものを書くかと問われた私は「時時刻刻の心のありようを写したいから」で「それが生きている実感」であり、自分の心の小宇宙で起きている「何でもないようなことの中にある真実が知りたい」、そのために「あえて狂疾を作るのに浮身をやつしている」と答えます。

そこからさらに対話が進み、実は私の中に「まるで分身のように」次々出て来るものがあって「自分がわからなくなってしまう」。それは「ある日、どことも知れない青空から飛来して一発の弾丸のように私に打ちこまれた」が、それは「放蕩息子」のようでもあり、時としては頼もしい「孝行息子」でもある。ボロ同然の私を輝かせてくれるので、たとえグロテスクなエイリアンであっても愛しいと話します。先生はその強い結び付きに驚くものの、自分の殻の中だけでなく外界の人や物と出会うことが大切だと諭します。

 

このように精神科医との対話を通じて、ある日突然私の中に天空から別の人格が入り込んできたことが明らかにされます。これは一般的な言い方をすれば多重人格(解離性同一性障害)ということになるのでしょうが、ここではそれが私にとって力強い味方でもある点が特徴と言えます。先日たまたま読書会で大江健三郎『空の怪物アグイー』を取り上げましたが、アグイーは多重人格ではなく自分が地上で喪失したものが空に浮び上がって降りてくるのに対し、こちらは逆に宇宙からエイリアンが心の中に青天の霹靂のように打ち込まれ私を助けます。こちらの怪物は、いろいろなことを契機として私たちの心に突然入り込んだり、あるいは異常な体験を通じ幻想として私たち自身が心に育んだりするものでしょう。

それらはいわば自我(自己意識)の問題と言えるものですが、人間にとってこの自我(自己意識)とはまことに厄介な対象物です。特に他者との関係を含めてそれをあれこれ考察して行くと、不分明の泥沼に陥ることになりかねません。山下さんの近年の小説は、ある意味でそれを辛抱強く追及し続けてきたものと言えます。

本作はサナトリウムという特殊な環境の中で、精神科医との対話という難しい手法を駆使しながら、いつものように独特の粘り強い文体によってそうした主人公の精神の奥底に潜む自我(自己意識)の闇や不可思議さをじりじりと照らし出すことに成功しています。そうした飽くなき探求を今後ともぜひ続けて頂きたいものです。

 

なお俳句『月の突堤』については、省略させて頂きます。

 


『陰と陽の肉体(後半)』

(永田祐司 400字詰換算129枚)


自作につき感想は省略し、前半を含めてあらすじのみ簡単に記しておきます。

 

(前半)

二〇二一年の年末、能上俊也(37)は建築事務所の仕事帰りに居酒屋で伊原芳樹(32)と春山浩太(26)と出会い意気投合してマンションに泊めた。ところが数日後に全員熱を出し、新型コロナの疑いで都内の感染症指定病院に入院するが重症化して生死の境を彷徨う。ようやく回復したが、女性看護師児島由希(25)も感染し危険な状態に陥る。退院後、芳樹は健康器具会社、浩太は印刷会社の仕事に就く。俊也は由希と会い、体が目覚めたように感じて超能力の話をする。皆で彼女の親戚の木下気功道場に行き、その不思議なパワーに圧倒される。木下先生は人間の体は自然や宇宙とつながっていて、そのエネルギーが超能力の源だという。彼らは道場で修行を始める。俊也が公園で呼吸法を実践中、大きな樟の幹から微かな音が聴こえた。芳樹と浩太は由希としだいに親しくなる。彼女が二人のアパートに来た時、浩太が草食系の悩みを話すと、芳樹は肉食系と草食系を併せた雑食派を目指せと言う。この夜由希は二人と結ばれる。この頃、俊也も過去一度だけ関係を持った未亡人西小路晃子と十五年ぶりに銀座で再開。気功の修行中だと話す。彼らの身体能力はさらに向上し、方位磁石からのヒントで樟の幹を取り囲むと地磁気エネルギーを感じた。地殻変動などで電磁波が発生すると変化するらしく、地震や噴火予知に結び付く可能性がある。気分が高揚して居酒屋に入ると、俊也が気功の力を社会に役立てたいと話し始める。


(後半)

俊也は気功で身体の骨格や筋肉、神経系の歪みを直すことで健康増進や認知症予防、若返りなどを目指すNPO法人を立ち上げたい、一千万円ほど出資金が必要だが任せてほしい、渋谷の雑居ビルを借り会員制としてSNSなどで集客し、名称は気活塾にしたいとの構想を話して芳樹に修行カリキュラム作成を指示した。後日彼は銀座でプロテスタントの洗礼を受けた晃子さんと会い、気活塾のための出資金を依頼する。彼女は必ず成功させることを条件に承諾した。明けて二〇二三年を迎え一月末に俊也たちが公園で樟の幹を取り囲むと、西の方角の遠い距離に地磁気エネルギーの乱れを感じた。俊也は地震の場合は、福井県から朝鮮半島を抜けてユーラシア大陸の方向と予想する。それから九日目、トルコ南部シリア国境近くで東日本大震災を上回る直下型大地震が発生し、彼らは地震を予知していたことがわかる。四月、気活塾オープンの日を迎え木下先生や晃子さんもお祝いのため顔を見せた。初日だけでOLや中年男性など十数名の入会者があり、その後も増えて一ケ月後には三十名を超えた。そのため芳樹と浩太が職場を辞め、塾の専任講師となる。会員の入会動機はしだいに多様化し、引きこもりやうつに悩む若い人たちも目についた。

夏の七月のある日、グラビア雑誌『週刊ナビ』の女性記者吉村恵梨香が取材で訪ねてきた。俊也が応対すると、彼女はツイッターで塾のことを知り自分もヨガをしていて興味があると言い、さらに横浜出身なら二歳上の姉真悠美と同級ではなかったかと訊ねる。俊也はそうだと答え、今どうしているかと聞くと十年ほど前交通事故で亡くなったと言う。彼は同じ美術部でお互い好意を抱いていたものの、いつしか疎遠になった真悠美を思い浮かべて儚んだ。おっとりした姉に比べフリーランス恵梨香は利発な感じで、塾を取材して帰った。後日持参したゲラ刷りには地震予知の話も載っていて、芳樹や浩太、由希も大いに喜ぶ。俊也はお礼に彼女をビヤレストランに誘いまだ独身であることがわかり、子供の頃の思い出など五時間近くも話が弾む。帰り際に真悠美の墓参りの約束をして別れた。そして日曜、二人は金沢区の霊園で真悠美の墓に線香を上げる。そこで姉が過食症で悩み、ヒンドゥー教の教祖の怪しい施設に通っていたと聞かされる。俊也は一瞬、墓石の前に髪を乱した彼女の姿を見る。二人は「みなとみらい」から中華街へ向かい食事をした後、「港の見える丘公園」を散策し、ヨーロッパの古城を思わせるラブホテルでめくるめく陶酔の夜を過す。季節は秋へ移り、塾の会員には中国、韓国、ベトナム、ブラジルなど外国人が増える。中には自分たちの能力で金を稼ごうとする者が現れ、以前に技能実習生として貧しい村から入国した中国人たちが老婆を騙したと訴えられそうになる。俊也が事情を聞くと、老婆の息子と名乗る男にはめられたらしい。すぐ建築事務所の共同経営者高野に手配してもらった弁護士に相手との交渉を依頼し、事なきを得る。こうしたこともあり塾はしだいにメディアに注目され、その特殊な身体能力から何やら怪しげな活動をしているとSNSなどで不安を煽り立てられ、誹謗や中傷が多くなる。そんな中で気骨の豪胆な『週刊ナビ』笹本編集長だけは、塾の強い味方であった。会員はさらに増え続け、俊也たちは地震予知への意欲をますます高める。十二月になり、恵梨香は横浜の実家を出て田町のマンションで俊也と同棲を始める。多忙な二人は、ある夜遅くワインを飲みながら今後のことを語り合う。俊也が塾の豊かな可能性を話すと、恵梨香は人の幸せや結婚について俊也の考えを問う。彼は今の日本では夫婦や家庭のあり方は戸籍制度のこともあり大変難しいので、結婚についてはよくわからないが子供ができたらはっきりさせたいと答える。その夜のセックスはきわめて官能的であったが、頂きに上り詰めようとした時恵梨香の顔に真悠美が二重写しとなり「私とも交わるのよ」との凄まじい怨念を感じさせる真悠美の声が聞こえた。こうして二〇二三年は暮れていった……

それからしばし月日が流れ、運命の二〇二X年を迎える。彼らは懸命に予知活動を続けていたが、メディアやSNSは相変わらず否定的なコメントや中傷を繰り返していた。二月初め、東京のほぼ南と西南西の二つの方角の近い距離に、強い地磁気エネルギーの乱れを感じた。南の相模トラフや駿河トラフと強い関連性があるのが関東大地震であり、また西南西は宝永以来三百年余り不気味に沈黙している富士山大噴火の兆しかもしれない。笹本編集長はこの話を聞き、恵梨香に原稿を依頼し『週刊ナビ』に掲載する。メディアやSNSで再び誹謗中傷が飛び交い、塾のサイトはサイバー攻撃で炎上し、周辺には大音声の街宣車が押しかける。二月半ば、俊也は心配して訪ねてきた晃子さんと近くの喫茶店に行く。俊也はキリスト教の博愛精神は素晴らしいが、現実の社会は生きる者の権利は擁護されておらず、特に日本の弱者には心の支えがない。しかし天から授かった肉体を人間が自爆テロなどで奪うのは断じて許されないと話すと、晃子さんはあまり性急に先へ進もうとすると社会の底辺に蓄積された人間の深い闇が牙をむくので注意してと忠告する。それを聞き俊也は、神が最後にすべての宇宙を微小粒子に破壊してしまう新しい「ビッグリップ」理論に衝撃を受けたことを話す。二人は外に出て、これが最後のように別れた。

事務所に戻った俊也は、芳樹、浩太、由希と共に予知フォーメーションを組むため公園に向かう。やじ馬も付いて来た。樟を取り囲むと地磁気エネルギーははるかに強まってカウントダウンを始めていた。そこへ恵梨香がやってきて、実は赤ちゃんができたと話す。緊迫した雰囲気の中で、皆口々に祝福して喜ぶ。彼女は原稿を書きにタクシーで帰り、俊也たちは渋谷の雑居ビルへ引き返す。と、駐車場で車を降りた俊也目がけて近くに潜んでいた男が突然飛び出し、拳銃らしきものを発砲する。俊也は血しぶきを上げて倒れ動かない。由希はすぐ救急車を呼び、彼を病院に運んだがほぼ即死であった。すぐに知らせるべきか悩んでいた由希のスマホに、恵梨香から「俊也の声で僕は死ぬけど赤ちゃんを頼むと聞いた」と着信があった。彼女はすぐ病院に駆け付け、俊也の遺体にとりすがって泣く。離婚した俊也の両親と初めて対面し、赤ちゃんができたことを知らせた。塾に祭壇が設けられて翌日通夜が行なわれ、泣きはらした晃子さんや、木下先生、高野らが参列した。事件についてメディアやSNSではさまざまな説や論評が飛び交ったが、真相は不明だった。その翌日告別式が行われ、芳樹が弔辞を読み上げる。遺体は火葬場で荼毘に付され、恵梨香は遺骨を拾い集め、遺灰を白い紙に包んだ。その晩マンションに泊ってくれた由希と、夜遅くまでしみじみ俊也のことを語り合った。明日はあることをしてから、原稿を書き編集長に届けなければならない。翌朝由希が帰った後、恵梨香は意を決したように遺灰の紙包みを持ち、防災グッズ装備のスポーツタイプの自転車に乗って出発した。行き先は思い出の「港の見える丘公園」である。桜田通りから五反田駅を抜け走り続け、ようやく目的地に着く。展望台からベイブリッジや海が見える。人影はなく静かである。恵梨香は目を閉じ、風が吹いた瞬間をとらえ紙包みから遺灰を放り上げた。その時激しい地鳴りが聞こえ、白い巨大な閃光が走り、足元が大きく揺れた。見上げると空に浮ぶ遺灰に俊也と真悠美の姿が写っている。ついに怖れていた事が起こったのか? お腹に手を当てると指先に微かな命の鼓動が伝わってきた。

 

 

〈シリーズエッセイ〉

『神戸生活雑感』

―日本と台湾の文化比較―

(千佳 400字詰換算33枚)

 

(23)から(26)までの四つのエッセイについて、簡単に内容を紹介し、感想を記します。

 

(23)「意識の流れ」とピカソの絵


〈二十歳の時、大学の授業でジョイスの文学作品における「意識の流れ」の話を聴いたことがある。その言葉が最近またNHKラジオの番組から聴こえ、アナウンサーがピカソの絵のようなものかと訊ねたら解説者がそうだと答えていた。この言葉は十九世紀から使われ出し、日本では川端康成や横光利一が取り入れていたらしい。どうりで昔、横光の『機械』を読むのに苦労した覚えがある。先日『神様』を読んだ川上弘美も、哲学者木田元氏によれば「事実と幻想、生物と無生物、人間と動物、時間と空間などがすべて自由自在」でこれはカフカやジョイスに繋がっているとのことである〉

 

近代文学と言えば、まず事実をできるだけありのままに描くリアリズム小説が代表として思い浮かびます。写実主義や自然主義といったものも同じ流れで、これは絵画にもあてはまります。しかし二十世紀に入ってから、文学や絵画は人間の姿をより深く捉えるためにさまざまな手法やスタイルを生み出してきました。その意味で難しい小説が増えてきたという実感は確かにあります。

 

(24)子供が暗誦しやすい中国詩歌の『三字経』


〈詩歌は簡潔な言語表現のジャンルだが、中国では殷周時代の「詩経」から唐詩、楚辞や宗詞など、字数、句数、押韻などによって様々な形式がある。字数は三字や五、七言の絶句、律詩の他、四字の成句もある。その中で『三字経』は宋朝の頃に伝わった、児童の啓蒙のため暗誦しやすいように三字ずつ区切った長い詩である。百五歳まで長生きした父方の祖母は、かつて養老施設にいた頃、寝ぼけながらもすらすらと「人之初、性本善、性相近、習相遠。苟不教、性之遷、教之道、貴以専。昔孟母、択隣処……」と台湾語で詠い出し驚いたことがある。これは孟母三遷の教えと呼ばれるものである〉

 

日本の詩歌と違って、主に漢字だけから成る中国詩歌は字句が簡潔でかつ暗誦時の押韻の響きの良さが特長と言えます。やはり子供の頃から口に出して覚えることで、いつまでも記憶に残るのだと考えられます。わが国でも以前は学校で漢文にふれる時間がかなりあったような気がするのですが、最近は減っているように思われるのが残念です。

 

(25)曹操の噂をすると曹操が来てしまう


〈前回に続き中国詩歌の話で、まず五言絶句です。後漢時代の宰相曹操の子曹丕が文才のある弟曹植を排除しようと、裁判で七歩の間に作詩したら罪を免除するとした。曹植は「煮豆燃豆箕 豆在釜中泣 本是同根生 相煎何太急」(豆を煮る時豆がらを燃やす、豆は釜の中で泣いている、元は同じ根から生れたのに、相克するのをなぜ急ぐ)と詠み、災難を逃れた。日本語の「噂をすれば影」の諺に近いのが「説曹操、曹操到」(曹操の噂をすると曹操が来た)で、曹操の一般の受けはあまり芳しくない。七言律詩の一つが七言対聯(ついれん)で、春節の「歓々喜々辞旧歳 高々興々過新年」(歓喜に満ちて去年を送り 楽しく新年を迎えよう)や、結婚式での白居易『長恨歌』の中の一節「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」(天では翼を並べる鳥に、地上では連なる枝になりたい)などがあります〉

 

三字に比べ五言や七言では、さらに漢字の豊かな広がりを感じることができます。日本語の俳句や短歌はひらがなが混じるため柔らかい印象ですが、意味的には似たような部分も多いようです。しかし力強い韻の踏み方などはやはり漢字独特のもので、朗朗と吟じたり詠ったりすることでさらに磨きをかけられてきたものと言えます。

 

(26)断腸の思いを抱き天涯へ向かうひとりの旅人


〈宋の時代には「宋詞」が隆盛となりましたが、その前に日本でも有名な孟浩然と李白の五言絶句「春眠不覚暁 處々聞啼鳥 夜来風雨音 花落知多少」と「床前明月光 疑是地上霜 挙頭望明月 低頭思故郷」、杜牧の七言律詩「清明時節雨紛々 路上行人欲断魂 借問酒家何處有 牧童遥指杏花村」を紹介しておきます。季節が秋になると小学校で習った西風が子どもたちに語りかける七、五調の唱歌「西風の話」(黄自作)や、さらに秋が深まると「宋詞」の「天浄沙 秋思」を思い出します。それは「枯藤 老樹 昏鴉 / 小橋 流水 人家 / 古道 西風 痩馬 / 夕陽西下 断腸人在天涯」で、老樹に枯れた藤蔓が巻き付き夕暮れ鴉が巣に帰る、小橋が流水に掛かり人家がポツンと佇む、旅人が行き来する古い道を西風が吹き、沈む夕陽を背に断腸の思いを抱くひとりの旅人が天涯へ向かう。脳裡に一幅の水墨画が出来上がりました〉

 

孟浩然や李白、杜牧などの詩は日本でも知られていて、多くの人は口ずさんだ記憶があるかもしれません。ただ千佳さんも書いていますが、その意味が必ずしも正確に理解されているとは言えないようです。「宋詞」の「天浄沙 秋思」は広大な中国の景色と文化の中で詠まれたもので、日本では望めない山水水墨画の雄大なスケールを感じました。

 

(海馬文学会:永田 祐司)