貴女が忘れていった、腕時計。

なぜ貴女は、私の机に忘れていったのですか…


ただ単に忘れていったのだ。

そう思う一方、

貴女が何か意味をこめて、置いていった事を想像してしまう。


貴女の腕時計を掌にのせ、そっと包み込んでみる。

時を刻む振動が、貴女の胸の鼓動の様に

静かに私の掌に囁きかける。


その振動は心地よく、

貴女が寄り添っている様な錯覚を憶える。

時計を胸に抱き、遠い貴女との一夜を思い出す。

時が遡ることが無いのと同じ様に、

貴女との夜は戻ってくることは無い。


逢えない日にも、私のことを思い出してほしくて

急ぐ必要のない、指示を出す…。


そのことを思い出す時、

貴女は、私を一瞬でも思い出してくれる。


今はそれだけでも、満足です。

この一週間は、貴女と顔を合わすことはほとんど無く

メールでのやり取りも必要最低限のものだけ。


私は離れて行く貴女の心を追うことに必死になり

貴女はそれを感じ、心を沈める。

そんな事が二人の間に澱のように溜まっていた。

お互いに意識的に時間と距離を置いたのかもしれない。


週の終わり、貴女は帰宅を延ばして私を待ち、

私は貴女に逢うために時間を作り帰社する。

貴女も私もその事には触れずに穏やかに話をする。


別れ際に貴女を腕の中に抱く。

そのまま少し会話をした後、

 ~はい、もう帰りますよ。~

貴女は少し微笑み、私から離れる。


貴女と私の関係は、ある約束で結ばれていた。

お互いにその関係の不毛さに気付き、悩む日々。


最初に約束を破ったのは、貴女。

貴女は私の前から居なくなろうとしていた。


次に約束を破ったのは、私。

その貴女を、私は受け入れた。


その瞬間私は、貴女が特別な存在になっていることに気がついた。


貴女が少しずつ距離を置こうとしているのがわかる。

ほんとうに少しずつ、少しずつ。


それが貴女の優しさだと、私にはわかっている。

貴女には私の胸中の、この気持ちがわかっているのでしょう。


貴女は自分を守るために私と距離を置こうと思っているのですか?

それとも、私を守るために距離を置こうと思ってくれているのですか?

貴女はそれには答えてくれずに、私の許から居なくなるのでしょう。


貴女は少しずつ、私から遠ざかっている。