イギリス社交界の花であり政治家としても活躍した美貌の才女、スペンサー伯爵夫人レイン
レインは3回結婚しましたかいずれも伯爵夫人となった野心家の女性でもあり、英国皇太子チャールズの妃だったダイアナの継母として有名になりました
レインは1922年9月9日、イギリスで有名なハーレクイン小説家としてバーバラ・カートランドの娘、レイン・マッコーコデールとして生まれました。
母バーバラはギネスで最も多くの小説を出版したとして記録されるほど多作の小説家でした。
父は資産家の相続人のアレクサンダー・マッコーコデールですが後に母バーバラは華やかな女性関係で知られるケント公爵ジョージが実の父親だと主張しています。
1933年に両親は離婚します。
さらにロマンス小説の女王としての地位を確立させ1920年から1930年代にかけて母バーバラはロンドン社交界でその美貌とファッションセンスで注目をあびています。
(レインの母で有名な作家バーバラ・カートランド1930年代、ファッションセンスは母譲り?)
母親バーバラ・カートランドは長年創作活動に打ち込み、エリザベス女王から大英帝国勲章まで授かっています。
そんな母バーバラの才能とバイタリティを受け継いで生まれたレインは10代のうちから野心的だったようです
レインはそのファッションセンス、上品なアクセントで周囲の人々を魅了する存在でした。
そして1947年、18歳で正式にイギリス社交界に華々しくデビューしました。
さらにレインは「その年1番のデビュタント」に選ばれたので社交界デビューとしては大大大成功!!
そしてレインは1948年7月21日ジェラルド・ハンフリー・レッグと結婚し以後、彼女は貴族の奥方としてダートマス伯爵夫人と呼ばれることになります。
レインは貴族ではなく中流階級出身なのでかなりいい結婚に恵まれました。
レインは4人の子供を出産順風満帆の人生を送っていましたがバイタリティのあるレインは次第に政治の世界に興味を持ち始めます。
23歳の時には保守党から出て最年少議員になりました
元々野心家な性格のレインは次々と要職に就き、1973年に建築遺産委員会の同僚だったエドワード・スペンサー伯爵(ダイアナ元妃の父)と知り合い関係が始まりました。
1976年レインは夫ダートマス伯爵と離婚し、ダイアナ元妃の父エドワード・スペンサーと再婚しスペンサー伯爵夫人となります。
ダイアナはレインの母バーバラの小説のファンだったので上手くいくかと思いきやあまり上手くいきませんでした。
ダイアナはその時まだ15歳で思春期真っ只中なので突然出てきた継母に戸惑っても不思議ではないですよね。
レインは豪華な旅行にいったりと贅沢な生活を送っていましたが金にがめついところがあったらしく住んでいたダイアナ達が住んでいたオルソープ邸(博物館と見紛うほど多くの美術品が飾られていた)からヴァンダイクやゲィンズバラなどの有名な肖像画や家具、金などを持ち出していたのではと言われています。
さらにレインはオルソープ邸を大改修し、代々スペンサー一族の肖像画が飾られている真ん中に自分の肖像画を置いてしまったみたいです。
自分の住んでいる屋敷を大改修されたら反発してしまいますよね。ダイアナはレインを〝酸性雨〟と呼んでいたみたいです。弟の結婚式にはレインを階段から突き落としたこともあるみたいです
スペンサー伯爵が亡くなったあと、1993年にレインはアメリカ合衆国のルーズベルト家に繋がる名家、シャンブラン伯爵と3度目の結婚をし、シャンブラン伯爵夫人となりました
しかし1995年に2人は離婚し、伯爵夫人のタイトルを失いますが慣例に逆らい、スペンサー伯爵夫人レインを名乗り、のちに老舗高級百貨店ハロッズの取締役に就任し2016年に87歳で亡くなりました。
しかし葬儀にはスペンサー家の人間は誰も出席しなかったといいます。