イギリスでは最低の貧民街から国王の恋人となったネルは英国のシンデレラとして有名です
さらにネルはチャールズ2世の数多い愛妾の中で唯一国民から愛された女性でした
ネルが死んで300年以上たってもイギリスではネルを看板にしたパブがいくつもあり、ネルの人生を描いた伝記の出版が絶えないことからネルの人気の高さが伺えます。
ネルが生まれた時イギリスは流血と悲劇の時代でした。
清教徒革命が起こり、議会によりイギリス国王チャールズ1世の死刑が決定。
1649年1月30日チャールズ1世はロンドンのホワイトホール宮殿前に設置された処刑場で斬首されました。
これよりイギリスでは王政が廃止され共和国となります。
しかし共和制とは名ばかりの護国卿クロムウェルによる独裁政治でした
クロムウェルはあらゆる娯楽を廃止し、劇場を閉鎖させるという禁欲主義を国民に強い、国王を処刑して王政を廃止しておきながら自分たちはぬけぬけと宮殿に住むと言う始末でしたので、クロムウェルが死ぬと新体制はすぐに崩壊。
国民は生まれながらの王による政治を求め始め、チャールズ1世の息子、チャールズ・スチュアートがチャールズ2世として即位し、11年ぶりに王政復古を果たしました。
チャールズ2世が亡命先フランスからイギリスへ帰国した1660年5月29日、ロンドンは興奮と熱狂にわきました
道という道には色とりどりの花が撒かれ、あらゆる建物の壁には歓迎のタペストリーが架けられ、噴水には水の代わりにワインが溢れていた、と言われるほどチャールズ2世の帰国は歓迎されました。
新国民となったチャールズ2世はハンサムで30歳の若さ、「ブラック・ボーイ」の異名を取るほどの濃くて豊かな黒髪に183センチを超える長身で惚れ惚れするほどの男ぶりと圧倒的な王者の風格があったので国民からとても人気がありました
しかしチャールズ2世には欠点がありました。
実はチャールズ2世は〝陽気な王様〟とあだ名されるほど女好きだったことです
最も危険視されたのが〝ロンドン美人〟と呼ばれたバーバラ・ヴィリアーズです。
美しく色っぽいバーバラでしたが、バーバラは金と権力と地位の亡者で宝石を買うために国庫の一部である国王手元金に手をつけ、各国外交官に賄賂を要求する始末でしたので〝国の災い〟と呼ばれました
臣下であるバッキンガム公爵は国に金を湯水のように使うバーバラを追い払おうと白羽の矢を立てたのが、人気女優だったネル・グウィンでした。
1650年2月2日ロンドンのスラム街で生まれました。
父親トマス・グウィンは王党派の大尉でしたが、王政復古を待たぬまま、投獄中にオックスフォードで獄死してしまいました
母親エレノア・スミスは下層階級出身で身持ちがよくなくアルコール中毒でした。
ネルの両親は売春宿をかねた居酒屋を開き、姉ローズとネルが生まれました
1661年、父親の死後、母親エレノアはビールを売って生計を立て、姉ローズとネルはキングスハウス劇場の近くでオレンジを売る〝オレンジガール〟の仕事を始めました。
〝オレンジガール〟の少女たちは元値より出来るだけ高い値段で果物を売るように訓練され、監督されていたので、オレンジガールの仕事は売春婦より少しマシな程度のものでした
少女たちは客を掴もうと必死に営業しました。
一年半ほどオレンジを売ったあとネルは12歳でダンカン大尉の愛人になりました。
姉のローズはハリー・キリグルーの愛人になっていたが手切れ金なしに捨てられた後、追い剥ぎを生業とする男と結婚し、生活のため売春婦になっていました。
ネルは女優を志すようになり、シェイクスピアの甥の息子チャールズ・ハートに見初められ、女優として舞台に立つチャンスを掴みます
ネルは読み書きが全くできなかったため、台詞は全て暗記しなければいけなかったが抜群の記憶力でカバーしていました
ネルは小柄でほっそりとしたきれいな脚と小さな足を持っていました
ネルは大人っぽい色気のある美人というよりは可愛らしい顔立ちでどこか小動物のような愛らしさがあります。
さらにネルには天性の人を楽しませるセンスとユーモアの才能がありました
ネルは1665年、15歳でジョン・ドライデンの劇『インドの皇帝』の舞台に立ちました
ネルの初舞台は大成功を収め、ネルはキングスハウス劇団に入ることを許されました。
溌剌とした明るく無邪気な性格がコメディ女優に向いておりたちまち人気女優に
さらにドライデンなど当代一の劇作家たちがネルのために競って喜劇を書きました
1667年には金銭的な事情によりチャールズ・ハートと別れ、チャールズ・サックヴィルの愛人になりました。
(ドーゼット伯爵チャールズ・サックヴィル)
実はネルとチャールズ2世を引き合わせたバッキンガム公爵ジョージ・ヴィリアーズはネルの前にチャールズ2世にデュークハウスのライバル女優モル・ディビスを紹介していました
チャールズ2世はモル・ディビスが舞台で見せた官能的な踊りに夢中になりモルを愛人にし、サフォークストリートに立派な家を与えられました。
しかしモルはいかにして国王を征服したのかを吹聴したため、『世界で最も生意気で恥知らずのあばずれ女』と酷評されました
モルはチャールズの娘と息子を出産しますが、その強欲さとでしゃばりな性格のためチャールズ2世から年金とともにお払い箱になります。
1668年バッキンガム公爵の計らいでネルとチャールズ2世は出会い、その瞬間からネルは国王を終生魅了し、喜ばせ楽しませ続けることになります
チャールズ2世は当然ネルを独占したがりました。しかしネルは国王がどんなに頼んでも舞台をやめませんでした
18歳のネルは美しい盛りで人気絶頂にありました。
いまやロンドン中が彼女にひざまづいていました。
だからこそこの国で最高の地位にある人の愛と歓心を勝ち得たことをネルは知っていました。
それから2年間チャールズ2世の愛を独占しました
ネルは最も人気のあるコメディ女優として活躍していたが舞台から降りざるを得なくなった。
チャールズ2世の子を身篭ったからだった。
ネルはペルメル街79番地に借家を見つけて移り住みました。
1670年5月8日ネルは自宅で息子チャールズを出産しました。
1671年ネルに強力なライバルが出現します
ルイーズ・ド・ケロワールという21歳のフランス貴族の娘だった。
ルイーズはフランス国王ルイ14世からチャールズ2世をカトリックするべく密命を帯びてイギリス宮廷に送り込まれたスパイでした
この時チャールズ2世は40歳で老いを感じ始めていたこともあり、あどけない美しさを持った初々しいルイーズに夢中になってしまいます
またルイーズは処女であることを武器にチャールズ2世から莫大な収入や称号、ルイーズの家族の面倒を見ることを約束させたが、ルイーズは王になかなか処女を捧げずに焦らし続けました
ルイーズが正式にチャールズ2世の愛を受け入れたのは1671年10月のことでそれからきっかり9ヶ月後にルイーズはチャールズ・レノックスを出産します。
チャールズ2世はしとやかで可憐なルイーズに夢中になり公式寵姫としたが、カトリックであり、外国人だったルイーズは国民から人気を得られませんでした。
1675年にはネルのライバル、ルイーズも太り2人の関係は一段落していたが、その頃宮廷に新しい脅威がやってきます
マザラン枢機卿の姪、オルタンス・マンチーニがチャールズ2世の気前の良さを知り宮廷にやってきたのです。
オルタンスは30歳だったが情熱的な黒髪の美人でチャールズ2世を虜にしました。
オルタンスはネルとは違い教養があり、3ヶ国語を操る才女でもありました。
しかしオルタンスはチャールズ2世に貞節ではなく、またバイセクシャルだったため宮廷に男女問わず多くの愛人を作ったため、愛人関係はあまり長く続かず終了しました
ネルの太った陽気な母親エレノアはネルから金の面倒をみてもらっていましたが、アルコール中毒だった彼女は1679年7月酔っ払ってドブ川に落ちて死んでしまいます。
しかしネルはそれを恥じたりして隠したりせず、ネルらしいウィットを忘れずに盛大な葬式を行いました。
チャールズ2世の死は突然やってきました。
1685年ホワイトホール宮殿でネルの35歳の誕生日祝いに出席するため着替えをしていた時に心臓発作を起こして死んでしまいました。
54歳だった。チャールズ2世は最後までネルの行く末を案じ、弟ジェームズに自分の死後ネルの面倒を見るように頼んだと言われています。
ネルはチャールズ2世が亡くなってからしだいに元気を失い、ネルは時折かつて女優として立った劇場を訪れるだけになっていきました。
チャールズ2世の死から2年後、チャールズ2世の後を追うようにネルは重体に陥いります。
ネルは30歳頃から王から移されたであろう
梅毒の症状(体の一部がすでに麻痺していた)に苦しんでいました。
ネル・グウィンは1687年11月13日に梅毒により亡くなった。37歳だった。
ネルは遺言で誰のことも忘れていませんでした。
友人、使用人、姉のローズにも惜しみなく遺贈がされました。
財産の大半は息子のものとなりましたが、〝毎年クリスマスには貧しい人々や罪人にも隔てなくお金を寄付するように〟と言い残しました。
ネルが死んだ時、ネルの不道徳な過去を非難する人はいなかった。
葬儀の日、ロンドン中からあらゆる階層の参列者が集まり、ネルに別れを告げた。
彼女は王の心を掴み、ロンドンの人々の心まで掴んでいたのである。
ネル・グウィンは社会の最底辺から這い上がり、国で最高位の人の愛を勝ち得ました。
ネルは国王に対して唯一貞節であり国王の愛人の中でネルだけが賄賂や取引に応じませんでした。
とりわけ最底辺から一気に上昇していったネルに人々は勇気づけられました。
シンデレラのように目の眩むような高みにのぼりたいと夢見る人々に希望を与えました
出身から考えればネルが母親と同じような売春婦になるのは避けられなかっただろう。
しかし貧しいネルから今日まで続くセント・オーバンズ公家が始まっただけでなく、その子孫は広く英国貴族社会に根を下ろしていきました。
ネルは運命に逆らい、ウィットや美しさ、溢れるユーモアを武器に貧民街から這い上がり別の世界に手を伸ばした勇気ある女性だったのです