(首の骨を折って死んだエイミー・ロバート)


1558年、イギリスは若き女王の誕生に沸いていた。その名はエリザベス。芳紀25歳の若さ。

(戴冠式のエリザベス1世。この時25歳。1533〜1603)



エリザベス1世は「イングランド王国と結婚した女王」と称えられ、処女王として生涯一度も結婚せず、ひとりの女である前に女王として生きた。

(エリザベスとロバート・ダドリー)

しかしエリザベスも健康な年頃の女性であった。
人並みに恋をするようになっていた。
若く生命力にあふれた若い女性に恋をするなという方が無理な話だったアセアセ




相手は美男子で有名だった主馬頭ロバート・ダドリー。


(ロバート・ダドリー。1533〜1588)

エリザベスと同じ歳で幼馴染ラブラブ
その上ロバート・ダドリーは身長183センチで頭も良く話術も巧みでダンスの名手。

スタイルもよく洗練された物腰の魅力的な男性でしたラブドキドキドキドキ





美男子でしたが特に目が魅力的だったそうですキョロキョロラブラブ







エリザベスはダドリーに夢中になりました。



スペイン大使曰く、エリザベスは〝昼も夜もダドリーの部屋に入り浸っていた〟らしいぼけーぼけーアセアセ


さらにエリザベスがダドリーの子を妊娠した、いやいや出産までした、という噂まで宮廷に広がるほどだったアセアセアセアセ





1560年前後にエリザベスは外国からの大量の縁談きた。


しかしこの時期エリザベスがどの縁談にも見向きしなかったのはエリザベスが愛する人との結婚を願っていたからだと言われていています。





しかしエリザベスとダドリーの結婚には問題があった。


理由はダドリーが結婚しており既婚者だったからです。



1550年にダドリーは17歳でノーフォークの大地主の女子相続人エイミー結婚していた。



(エイミー・ダドリー。1532〜1560。肖像画は結婚時に描かれたもの。)



エイミーは1532年6月7日、ジョン・ロバートとエリザベス・スコットとの間にノーフォークで生まれましたニコニコルンルン






エイミーは非常に良い教育を受け、美しい字を書く女性へと成長し、18歳の誕生日の3日前にロバート・ダドリーと結婚し、エイミー・ダドリーとなりました。


エイミーは非常に美しい女性でもあったようですラブドキドキドキドキ




一方恋に目がくらんだエリザベスはダドリーを独り占めしようとウィンザー宮に部屋を与え、次々と高い地位を与えました。


ダドリーはすっかり女王の亭主気取りで妻エイミーをアビングトン近くの親戚の家に預けて放置していました。


妻エイミーは地獄のような日々を送っていました。



夫にも見放され、ライバルが女王だったばかりに否が応でも世間の注目をあびてしまう。。ゲッソリゲッソリ





さらにエイミーは夫と女王から殺されるかもしれないと考え、毒殺を恐れたエイミーは料理を食べる前に飼い犬に料理を与えてみるほど用心深くなっていきましたえーんアセアセアセアセ




1560年エリザベス27歳の秋、予想もしていなかった大事件が起こる。





なんとエイミーが屋敷の階段から落ち、首の骨を折って死んだのだ。








エイミーはまだ28歳だった。



(エイミーが生前最後に書いた手紙。ロンドンの服屋宛)


エイミーの死には不審点がたくさんありました。

エイミーは〝二段ばかりの階段〟から落ちて死んだとされているが、その時エイミーがかぶっていた帽子にはなんの損傷もなかったうーん






さらに当時の階段は幅が広く、段差も低いため瀕死の事故につながるほど険しくないのが普通でした。



しかし検死官はエイミーの死は事故死と判断した。



このエイミーの死はあまりにもタイミングが良過ぎたガーン





ヨーロッパ中がエイミーが殺されたと信じ、エリザベスとダドリーの今後の成り行きに注目が集まりました。






エリザベスは苦しみました。ダドリーが晴れてはてなマーク独身になった以上、ダドリーと結婚するなら今がチャンスではある。。アセアセアセアセ





しかしもしここでダドリーと結婚すればエリザベスの殺人容疑は深まり国民の非難が高まる恐れがあった。


幼い頃、幾多の辛酸を舐め、ほとんど奇跡的に王位を継承したエリザベス。。






苦しみ抜いた挙句に、エリザベスは女であることより女王であることを選択しました。


涙を呑んで愛するダドリーとの結婚を断念しましたぐすん




ーそれにしてもエイミーの死の真相はなんだったのでしょうかうーんもやもや?






見せかけだけでも自然死であればエリザベスとダドリーは結婚できた可能性は高いえー?





ということはこれはエリザベスとダドリーを結婚を阻止するためだったのか。







それとも夫を取られたくない妻エイミーが派手な自殺を決行したのだろうかうーん?

出世街道まっしぐらのダドリーに嫉妬した家臣が目論んだ殺人事件だったのでしょうか?






その後のダドリーですが、結婚が難しくなったことへの穴埋めのように、エリザベスのダドリーへの寵愛を強まっていきましたショック




さらに1564年には、レスター伯爵に叙されるとともにケニルワース城が与えられました。



そして54歳でダドリーが死ぬまでエリザベスの寵愛は変わらなかった。




ダドリー以外にも女王の寵臣、恋人は数多くいたが、そのうちの誰もダドリーほど女王の中で大きな存在にはなれなかった。





1603年に女王が69歳で崩御した時、エリザベスの枕元の箱の中には宝飾品と一緒にダドリーの手紙が入っていた。