1560年前後にエリザベスは外国からの大量の縁談きた。
しかしこの時期エリザベスがどの縁談にも見向きしなかったのはエリザベスが愛する人との結婚を願っていたからだと言われていています。
しかしエリザベスとダドリーの結婚には問題があった。
理由はダドリーが結婚しており既婚者だったからです。
1550年にダドリーは17歳でノーフォークの大地主の女子相続人エイミー結婚していた。
(エイミー・ダドリー。1532〜1560。肖像画は結婚時に描かれたもの。)
エイミーは1532年6月7日、ジョン・ロバートとエリザベス・スコットとの間にノーフォークで生まれました
エイミーは非常に良い教育を受け、美しい字を書く女性へと成長し、18歳の誕生日の3日前にロバート・ダドリーと結婚し、エイミー・ダドリーとなりました。
エイミーは非常に美しい女性でもあったようです
一方恋に目がくらんだエリザベスはダドリーを独り占めしようとウィンザー宮に部屋を与え、次々と高い地位を与えました。
ダドリーはすっかり女王の亭主気取りで妻エイミーをアビングトン近くの親戚の家に預けて放置していました。
妻エイミーは地獄のような日々を送っていました。
夫にも見放され、ライバルが女王だったばかりに否が応でも世間の注目をあびてしまう。。
さらにエイミーは夫と女王から殺されるかもしれないと考え、毒殺を恐れたエイミーは料理を食べる前に飼い犬に料理を与えてみるほど用心深くなっていきました
1560年エリザベス27歳の秋、予想もしていなかった大事件が起こる。
なんとエイミーが屋敷の階段から落ち、首の骨を折って死んだのだ。
エイミーはまだ28歳だった。
(エイミーが生前最後に書いた手紙。ロンドンの服屋宛)
エイミーの死には不審点がたくさんありました。
エイミーは〝二段ばかりの階段〟から落ちて死んだとされているが、その時エイミーがかぶっていた帽子にはなんの損傷もなかった
さらに当時の階段は幅が広く、段差も低いため瀕死の事故につながるほど険しくないのが普通でした。
しかし検死官はエイミーの死は事故死と判断した。
このエイミーの死はあまりにもタイミングが良過ぎた
ヨーロッパ中がエイミーが殺されたと信じ、エリザベスとダドリーの今後の成り行きに注目が集まりました。
エリザベスは苦しみました。ダドリーが晴れて独身になった以上、ダドリーと結婚するなら今がチャンスではある。。
しかしもしここでダドリーと結婚すればエリザベスの殺人容疑は深まり国民の非難が高まる恐れがあった。
幼い頃、幾多の辛酸を舐め、ほとんど奇跡的に王位を継承したエリザベス。。
苦しみ抜いた挙句に、エリザベスは女であることより女王であることを選択しました。
涙を呑んで愛するダドリーとの結婚を断念しました
ーそれにしてもエイミーの死の真相はなんだったのでしょうか
見せかけだけでも自然死であればエリザベスとダドリーは結婚できた可能性は高い
ということはこれはエリザベスとダドリーを結婚を阻止するためだったのか。
それとも夫を取られたくない妻エイミーが派手な自殺を決行したのだろうか
出世街道まっしぐらのダドリーに嫉妬した家臣が目論んだ殺人事件だったのでしょうか?
その後のダドリーですが、結婚が難しくなったことへの穴埋めのように、エリザベスのダドリーへの寵愛を強まっていきました
さらに1564年には、レスター伯爵に叙されるとともにケニルワース城が与えられました。
そして54歳でダドリーが死ぬまでエリザベスの寵愛は変わらなかった。
ダドリー以外にも女王の寵臣、恋人は数多くいたが、そのうちの誰もダドリーほど女王の中で大きな存在にはなれなかった。
1603年に女王が69歳で崩御した時、エリザベスの枕元の箱の中には宝飾品と一緒にダドリーの手紙が入っていた。