スウェーデンでは、特にグスタフ3世の時代を指して、「グスタフ朝時代」あるいは「ロココの時代」と呼称されています
グスタフ3世は文化芸術の王だったが、特に幼少の頃から演劇を愛し、自ら脚本を書き、それを演ずるのを好みました
またマリー・アントワネットの恋人、フェルセン伯爵を臣下とし、フランスとの友好関係を深めました
そしてその最期も仮面舞踏会の舞台で暗殺されました。まさに彼の20年の統治自体が舞台劇そのものだったのです。
そしてヴェルディの歌劇、『仮面舞踏会』はグスタフ3世を主人公としたものです。
ロココ文化というのは個人の生活を楽しむために生きようとする、〝生きる喜び〟が追求されました。直接個人を取り巻く衣装、装飾品、壮麗な宮殿ではなく暖房のよくきく居心地のいい小さな居室、そうした生活のこまごまとしものが重要視すれるようになりました
百科全書を編纂したディドロはブーシェの作品が、『優雅さ、甘ったるさ、空想的なギャラントリー、コケットリー、安易さ、変化、輝き、化粧っぽい肌の色、みだらさ』を持っているとさんざんに非難する。
しかしその非難こそロココが目指した〝生きる喜び〟の時代、エスプリに満ちた会話の時代、人工の時代の真髄にほかならなかった。
グスタフ3世は1746年1月13日、スウェーデン国王、アドルフ・フレデリックとロヴァーナ・ウルリカの間に生まれました。
グスタフ3世はドロットニングホルム宮殿で幼少期を過ごしました
湖に面した壮麗な宮殿で『北方のヴェルサイユ』と呼ばれました。
グスタフ3世が8歳の時フランスから名高い劇団を招いたことがあった。幼いグスタフに劇の内容を理解する力はまだなかったがその華やかな衣装やせりふ回し、言葉の美しさにグスタフは魅了されました。
グスタフが20歳の時、対外政策としてデンマーク王の娘、ソフィア・マグダレーナと結婚しました。
ソフィアとグスタフは性格があわず結婚生活もまた悲劇でした
グスタフ3世は母親との折り合いも悪く、家庭的には恵まれない人生でした。
24歳の時グスタフはハガ伯爵という偽名を使い、パリに2ヶ月ほど滞在しました。ここでもグスタフは毎日劇場に通い、オペラ、画家や建築家のアトリエ、美術館などを訪問しました
グスタフ3世はスウェーデンにフランス文化を輸入し、グスタフ3世とフランス文化は切っても切れない関係となっていました
こうして彼は演劇を愛し、華美な服装を好み、また社交的でした。ヴェルサイユの宮廷を真似て典礼の規則まで作りました。
グスタフ3世はルイ16世とマリー・アントワネットに招かれヴェルサイユ宮殿を訪問しました。
ヴェルサイユでの夜会は豪華を極め、マリー・アントワネットはその夜の参加資格は白い服を着ることだった。
グスタフ3世は舞踏会などではいつも若い夫人には目目くれず老年夫人とばかり踊るのが常でした。
その理由は、『彼女たちの長年の経験からくる成熟した考え方や豊かな昔の記憶からくるさまざまな有益の話ーそれは若い女性たちからは得られない会話の楽しみなのだよ』
と答えたそうです。
グスタフ3世は女性に対しては淡白な方だったとら言われていますが、エグモント伯爵夫人だけは例外でした。グスタフにとってエグモント伯爵夫人は女性そのものでした。
エグモント伯爵夫人は美貌で魅力的な性格の持ち主でした。しかしエグモント伯爵夫人は肺結核に罹ってしまい33歳の若さで亡くなってしまいました。
エグモント伯爵夫人は最後の力を振り絞ってグスタフに手紙を書きました。
『恵まれぬわが愛は沈黙のまま永遠に生きつづけるでしょう。愛して!愛して!』
この手紙を受け取ったグスタフは独り言のように呟いたを
『時も死も2つの魂を離すことはできぬ。』
グスタフは内政として拷問の廃止、死刑の激減、信仰の自由、言論の自由を認めました
それまで終身制だった官僚に定年制も導入しました。国民の人気が高まるのも当然でした。
グスタフ3世の政治は絶対王政であり、もはや貴族たちが口を挟む余地はなくなってしまっていた。議会すらほとんで開かれず、国民を味方につけたグスタフ3世は貴族たちを孤立させることに成功し、絶対王政を完全なものにしたのだった。
しかしこのグスタフ3世の政策は貴族たちからの反発を生んだ。そして一部の貴族たちが国王暗殺を企むようになりました。
1792年3月16日、その日はオペラ座で仮面舞踏会のある日だった。国王夫妻が舞踏会に現れるあと音楽が流れて、舞踏の輪と渦が動き出しました。
その瞬間突然銃声がします。
会場は騒然となり、近衛士官たちはただちに王のもとに駆け寄り、別室へと運びました。
グスタフ3世は背後から拳銃で撃たれていました。
しかし銃弾は背中から左胸に入って止まっており、当時の医学水準ではもはや手の施しようがありませんでした。
グスタフ3世は2週間後に46歳で死亡した。
犯人は下級貴族アンカーストレム伯爵だった。
アンカーストレム伯爵は右手を切断された上で斬首刑に処せられた。
グスタフ3世は、暗殺の数年前にスウェーデンで有名な占い師ウルリカ・アルヴィドンから暗殺予告を受けていたと言われる。
彼がそれを信じていたかは定かではないが、オペラ座の私室で最後の晩餐を終えた後、暗殺を警告した秘匿の手紙を受けたグスタフ3世は、「彼らが暗殺を行うのだとしたら、今夜ほど良い機会はないだろう」とも語ったという。
この国王暗殺は国内のみならず全ヨーロッパに衝撃を走らせました。
後にこの事件はヴェルディの『仮面舞踏会』となって永遠に残ることになりました。
最初は『グスタフ3世』という題名だったがあまりに直接的すぎるということで『仮面舞踏会』とされました。
この作品はスウェーデンでもオペラ座で随時上演されています